桂ざこばさん死去 関西芸能界代表する“愛されキャラ”芸人が突然の別れ
上方落語の重鎮、桂ざこば(かつら・ざこば、本名関口弘=せきぐち・ひろむ)さんが12日午前3時14分、ぜんそくのため、大阪府内の自宅で亡くなった。
76歳。
米朝事務所が発表した。
3代目桂米朝さんの弟子として古典落語を極め、99年に兄弟子枝雀さんが亡くなった後は、事実上の筆頭弟子として米朝一門を支えた。
高座に加えて、歯に衣(きぬ)着せぬ発信力、老若男女から愛される人柄でタレントとしても活躍した。
通夜、葬儀は家族葬で行い、後日、お別れの会を予定している。
突然の別れだった。
事務所によると、ざこばさんは11日夜、自宅で夕食をとった後、ぜんそくの発作に見舞われ服薬したが、意識を失ったという。
夫人が救急車を呼んだが、力尽きた。
ざこばさんは、4月30日に一門のひろば、ちょうば、そうばの襲名発表にも出席。
興行は来年3月に予定されている。
事務所によると「ここ最近は体調を整えることを優先し、仕事は入れていなかった」としたが、同興行への出演はざこばさんの視野にもあった。
ざこばさんはヘビースモーカーだったが、17年に脳梗塞を患った後に禁煙。
21年には持病のぜんそくに慢性閉塞性肺疾患(COPD)を併発したが、高座やテレビにも復帰していた。
ただ、昨秋から不調に悩まされていた。
1月3日の新年恒例「米朝一門会」では、弟子塩鯛、孫弟子米紫とトークショーに参加したのみで、ネタは演じず。
「(昨年)10、11月と入院退院の繰り返し。肋骨(ろっこつ)を折って痛い」などとぼやく場面もあった。
ざこばさんは中学時代、寄席で米朝さんの「浮世床」を見て感動。
師匠の勧めで中学卒業後に1カ月の会社勤めを経て、内弟子となり、「桂朝丸」と名付けられた。
脚光を浴びたのは70年代半ば、日本テレビ「ウィークエンダー」がきっかけ。
「下世話な事件」も扱う番組で泉ピン子らとリポーターを務め、独特な言い回しで人気を集めた。
一方で、落語家としても力をつけ、81年に米朝一門では米朝、桂枝雀(ともに故人)に続き、大阪・サンケイホールでの独演会を開催。
88年には2代目桂ざこばを襲名した。
一時は離れていた上方落語協会で桂文枝会長をサポートし、天満天神繁昌亭オープンへも一役買う形となった。
情に厚く、涙もろい人柄はテレビ画面越しにもあふれ、直情型の熱血漢として、関西芸能界を代表する“愛されキャラ”芸人だった。
この日、事務所からの書面にも異例のコメント。
滝川裕久代表取締役から「我々スタッフにもお気遣いくださる、とてもすてきな師匠でした」と言葉が添えられていた。
参照元∶Yahoo!ニュース