小沢仁志 ″顔面凶器″俳優の壮絶過去「″波乱″はあったけど、それはただの通過点でしかない」

「今の世の中、寛容さがなくなってきて閉塞感があるよな。コンプライアンスに抵触すれば一発アウトだし。まぁ、『FRIDAY』も、そのきっかけを作っている当事者なんだけどな!ガッハッハ」
開口一番、豪快に笑いながら世情を斬ったのは俳優の小沢仁志(63)だ。
’83年にドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)で役者デビューし、翌年の『スクール☆ウォーズ』(TBS系)で一気に注目を集めた。
以降、任侠映画やVシネマ界のカリスマとして不動の地位を確立。
その鋭い眼光と圧倒的な存在感から″顔面凶器″と呼ばれ、近年では映画『スペシャルズ』や『日本統一』シリーズで骨太な男たちを演じ続けている。
還暦を過ぎても進化を止めない小沢は、自身の人生を赤裸々に綴った自叙伝『波乱を愛す』(KADOKAWA)を7月30日に上梓する。
「俺の人生、傍から見ると波乱万丈らしい。確かに大なり小なり″波乱″はあったけど、それはただの通過点でしかない」
そう語る小沢は、今でこそ順風満帆な役者人生を送っているように見えるが、凄絶な過去や苦い失敗を乗り越えてきた。
30代半ばに心血注いで初めてプロデュースしたガンアクション映画『SCORE』(’95年公開)の興行成績が振るわなかったことは、「人生で一番の挫折だった」と振り返る。
「役者もスタッフも一丸となって制作したから、俺の中でショックがデカかった。どれだけ心を込めても報われないことがあるってことを、この時初めて実感したよ。それから20年以上経って、還暦前に満を持して『BAD CITY』(’23年公開)を撮ったんだ。『SCORE』を一緒に作った映画プロデューサーの奥山和由さん(70)がそれを観てくれて、『小沢、あの時の悔しさを代わりに晴らしてくれてありがとう』とメールが送られてきた時に初めて泣いたね。もし、『SCORE』が成功していたら『BAD CITY』は生まれなかったと考えると、マイナスだったと思えることもプラスに働いている。遠回りしているようで、ちゃんと道は続いていると悟ったよ」
さらに、経営していた映像制作会社が倒産する事態に見舞われたこともあった。
「″映像業界をより良くするために″という思いから30代半ばで設立した会社だったけど、あの時期はカネに追われる日々だった。資金繰りが立ち行かなくなった仕事仲間を助けるために8000万円を貸したら、そいつが飛んで会社は破産し、多額の借金を背負う羽目に。ただ、カネを貸すと決めたのは自分なんだから言い訳はできないよな。『あったカネなんだから作れるだろう』と自己破産せず、とにかく馬車馬のように働いた。石橋を叩きながら渡るタイプではないから、たとえ橋が壊れていて川へ落ちようとも、泳いで向こう岸にたどり着けばいいだろっていうマインドだよ。橋から落ちてしまったことを人は″波乱″と呼ぶかもしれないけど、落ちたあとは這い上がるしかないだろ?」
驚異的なポジティブ思考と強靭なメンタルを持つ男の生きざまは、唯一無二と言っても過言ではないのかもしれない。
7月17日発売の『FRIDAY 8月1日号』と有料版『FRIDAY GOLD』では、当時の芸能界の裏話やユーチューバーとしてのこだわりなどを赤裸々に語っている。
参照元:Yahoo!ニュース