オウム真理教対応記録、山梨県庁で発見 「行政介入できない」苦悩も

山梨県庁の外観を撮影した画像

1995年に地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教について、教団施設があった山梨県が98年までの3年間の対応を記録した文書が、県庁内で保存されていた。

毎日新聞の情報公開請求で判明した。

世間を震撼(しんかん)させた教団に対する地方自治体の行政対応を巡る経緯や苦悩が310ページにわたり記されている。

文書は「オウム真理教対策の記録」と題され、98年3月に作成。

山梨県上九一色村(現富士河口湖町)などの教団施設に対する警察の強制捜査があった95年3月から、県の「オウム真理教対策室」が解散するまでの3年間の記録が記載されている。

県庁内の報告資料として整理・作成されたものとみられ、表紙には「庁内用資料」の記載もある。

5年の保存が義務づけられており、本来は廃棄の対象だったが、処分されることなく県庁内の倉庫に保管されていた。

毎日新聞の情報公開請求を受けて県が探索したところ、発見された。

文書によると、強制捜査の前、県は土地の取得や建物の使用で法令違反の疑いがあるとして、複数回にわたり教団施設の現地調査や行政指導をしていた。

ただ「オウム真理教も指導には応じていたため、当時においては、それ以上行政庁が介入できない状況であった」と苦悩していた状況が記載されている。

強制捜査後の信者の社会復帰対策では、95年10月に臨時相談所を設置した時の記録として「開設早々保護を求める声が出現するなど緊迫した状況が見られ」と記載。

相談態勢を拡充した様子が書かれている。

県は教団施設の解体や土地の処分でも対応に苦慮。

96年9月、教団の破産管財人の阿部三郎弁護士(故人)から「破産者オウム真理教施設の解体等について」と題した文書を受け取った。

事件遺族らへの配当を確保するには解体費を少なくする必要があり、国や県に土地の買い取りなどを求める内容だった。

施設にはまだ一部の信者が残っており、文書の結びは「国や自治体の協力がなければ、建物の解体費用はまかなえない。その場合、施設は残ってしまう。教団を解体しようとする国の悲願が今回の破産事件(破産手続き)の出発点だったはず」と記されていた。

これを受け、県は国への要望活動を実施。

厚生省(当時)は同年12月、阪神大震災で運用された「災害廃棄物処理事業」の枠組みで、解体撤去と施設内のゴミ処分費約5億円の半額を補助すると決めた。

その後、更地となった土地は管財人により村に無償譲渡された。

当時の企画県民局長名の前書きは「施設は一部を残して撤去が終了し、地域の真の平穏回復に向け大きな前進が得られた。庁内用資料として(文書を)作成したので、今後の参考にしていただきたい」と結ばれていた。

参照元:Yahoo!ニュース