砂川・一家5人死傷事故10年 唯一生存の次女を「そっと見守って」

マイクをイメージした写真

北海道砂川市の国道で飲酒運転で暴走した車が永桶弘一さん(当時44歳)ら一家5人を死傷させた事故から6日で10年となった。

事故で亡くなった長女恵さん(当時17歳)の高校の同級生らは7日、現場付近で手を合わせ犠牲者を追悼した。

唯一生存した次女は、元気に働いていることを関係者が明らかにした。

その日は祖母の家で遊んでいた。

母と姉、兄と一緒にいた。

夜になると父親が迎えに来て、自宅に向かう車に乗った。

その途中、飲酒後の無謀な運転に家族で巻き込まれ、両親と兄、姉を亡くした。

自身も意識不明の重体。

唯一生存したのは12歳の少女だった。

砂川市の国道12号で2015年6月6日、酒に酔った男2人が運転する車が100キロ超のスピードで赤信号を無視して交差点に進入した。

1台は永桶さん一家が乗った車に衝突し、車は約60メートルはじき飛ばされ大破。

永桶さん夫妻と恵さんは死亡。

車外に投げ出された長男の昇太さん(同16歳)は、もう1台に約1.5キロ引きずられて死亡した。

男2人は危険運転致死傷罪に問われ、17年に懲役23年が確定した。

事故から1年後に祖父が発表したコメントや刑事裁判では、唯一生存した当時12歳だった次女のその後が少しずつ明かされた。

次女は事故後、意識不明の重体で砂川市内の病院の集中治療室に搬送された。

祖父から家族の死を聞かされたのは、意識が回復した後の16年4月だったという。

事故から10カ月たっていた。

翌5月、歌志内市の祖父の自宅で家族の遺影と遺骨に対面した。

涙は流さず、遺影の前にたたずんでいた。

後に祖父が真意を問うと、「パパもママもお姉ちゃん、お兄ちゃんも私のことを見守っていてください、とお願いしたの」と答えたという。

恵さんの高校の担任で、事故の悲惨さや再発防止を訴える活動を続けている小田島数幸さん(64)によると、次女は成人式に振り袖姿で参加した。

22歳になった現在は「元気に働いている」という。

知人経由で次女の現状を知った小田島さんは「お父さんもお母さんもきょうだいもいない。彼女一人でこれから乗り越えなければならないことがある」と話す。

「事故の遺族」という人生を生きるのではなく、「別の人生を歩めるよう、彼女のこれからをそっと見守ってほしい」と願っている。

長女恵さんの同級生4人は7日、事故現場となった砂川市の国道沿いで献花し、手を合わせた。

「10年たっても気持ちは変わりない」。

同級生は今後も恵さんの追悼を続けていく。

同級生たちにとって、事故があった6月の最初の土曜日は「約束の日」。

現場に来られるなら、共に手を合わせようと決めている。

現場近くのガードレールには、赤いカーネーションが添えられていた。

10年間、冷え込む期間以外は植木鉢が置かれている。

赤いカーネーションは、恵さんが高校2年の時、クラスメートと教室で育てた思い出の花。

小田島さんが事故から数週間後に供えてから、現在まで手入れを続けている。

手書きのメッセージが添えられていた。

「恵へ 教室のと同じ色のカーネーションだよ」

同級生らの思いを象徴する花に見えた。

今年はややしおれて元気がない様子だが、小田島さんは「まだ生きてますから。生きている限り、大切にします」と話す。

同級生は年々成長し、仕事や育児に追われているが、記憶の中の恵さんは17歳のまま。

同級生の原田玲於さん(27)は「皆が顔を合わせられる、恵が作ってくれた機会。10年たっても気持ちは変わりない。これからも(事故現場に)集まり続けたい」と語り、「飲酒運転は絶対にしてはいけない」と強調した。

小田島さんは「生きていれば、今年で28歳。将来の夢は保育士で、学費をためるために公務員を目指すと話していました」と振り返り、「もしかしたら同じ職場で働いていたかもしれない……」と恵さんが成長した姿を想像していた。

参照元:Yahoo!ニュース