テレビ番組の出演が激減との噂も ものまね界のプリンス 青木隆治、「干され疑惑」について初言及
「ものまね界のプリンス」の異名を持つアーティスト・青木隆治(43)。
男女の垣根を超えた“七色の歌声”とその甘いマスクで、ものまね番組を席巻してきた。
しかし現在、青木の名前を検索すると、「テレビ出ない」の文字が。
なぜ、テレビ出演が減ったのか。
その理由を青木自ら初言及した。
1981年、4人家族の長男として生まれた青木。
幼少期から活発な性格で、人前で歌うことが好きだったという。
父は、古畑任三郎のものまねで有名なツートン青木。
ダンプカーの運転手から一念発起して、ものまねタレントになった異色の経歴の持ち主だ。
「突然 家に帰ったら古畑任三郎がいるという奇跡の家庭になりましたけど、(父が)モノマネやると言い始めたのが僕が中学受験の時で、すごく神経をとがらせている時に家に帰ってきたら、鏡に向かってずっと『ご無沙汰しています』とか『あなた犯人ですね』みたいな。いやご無沙汰してねぇし、犯人じゃねぇし、受験生だし。そもそもどうすんの?それで食えなくなったら僕たちどうすんの?って思って、嫌っちゃ嫌でした」
安定した職業を手放し「ものまね芸人」になった父に憤りすら感じていたという青木。
それゆえ、最初に目指した道は「ものまね芸人」ではなく歌手だった。
「高校2年生の末に『NHKのど自慢』に出させていただいたんですけど、チャンピオン大会に出て、初めてギャランティーをいただいたんです。手応えはもうバリバリありましたね(笑)。その時の審査員がすごく褒めてくれたんです。『君が一番良かった』みたいな。『あれ?俺天才?』と思って(笑)。『敵いないな』と思っちゃうぐらい勘違いするんですよ。僕は日本で一番歌が上手いやつという思い込み、そこから(芸能活動を)はじめました」
テレビ出演をきっかけに音楽活動への手応えを感じた青木だが、その道は厳しいものだった。
「レコード会社に歌を送って オーディションも行きましたけどすべて…『うーん』という…『何が足りないんだろうな』『心がない』と言われても…『なんだろう心がない』って…」
所属先が決まらず、なかなか芽が出ないまま、気づいたら「のど自慢」出演から5年が経っていた。
そんな青木に転機が訪れたのは23歳の時。
カラオケができる飲食店でアルバイトをしていたときのことだった。
「たまたまものまね番組のプロデューサーが来たんです。『あれ?お前ツートンの息子だろ?』と言われて、『何かやってみろよ』と。その時に初めて美空ひばりさんをやったんです。そうしたら…『お前絶対に出ろ』と言われて。『いや、でも僕は親父と同じ道に行きたくない』と『ものまねにも興味ない』と断ったんですけど。ちょうどその時もがいていた。すべてがうまくいかなくて。なので、『まぁ出てみてもいいかな』と思ったのが、プロデューサーに会った約1年後だったんです。最初にやったのはポルノグラフィティの『サウダージ』。でも生意気だし、顔だけテレビに映ればいいなと思っていただけで、ものまねしていないんですよ(笑)。ただ歌いに行ったんです(笑)」
――当時、ものまねへのリスペクトは?
「全くないですね。むしろ…自分の声で勝負できない人たちと思っていたので」
ものまねをくさしていた青木を改心させたのは、その番組で共演した“ものまね界のトップスター”だった。
「コロッケさんに出会えたのが一番デカかった (自分は)タンクトップにハーフパンツに雪駄を履いて、サングラスかけてガラガラ引いてテレビ局に入って。あいさつもせず、僕も恐れを知らない。『誰も知らんがな』みたいな感じだったので、楽屋をドンと開けて『コロッケさん飲みに連れて行ってください』(って言った)。普通だったら考えられないヤバい奴じゃないですか。だけど『じゃあ行こうか』その時に言ってくださった。『人として…この仕事をしていく以上は見られている』ということを大切にしなければいけないし、コロッケさんの演目を見て感動して、この人みたいになりたい、この人を超えたい(と思った)。もう1回出ようと思って、やることをやろうと思った。次は尾崎豊さんをやらせていただいたんですけど、そのときはバチバチに聞いて、バチバチに練習しましたね。そこから(ものまねに)めり込んでいった」
コロッケに感化された青木は、心を入れ替え「ものまね」を芸として追求することを決意。
実際、どのようにレパートリーを増やしていくのか特別に教えてくれた。
「寝る時も起きてもずっと曲を流しっぱなし。毎日繰り返して、今度は映像を見るじゃないですか、音を消してずっと映像を見る。そうすると仕草が入ってくる。例えば『尾崎さんここでマイク持ち換えたんだ』とか。早くても2~3カ月はかかる。聞きすぎると勝手にここで歌ってんですよ。僕が一番大事にしているのがビブラートがすごく大事で、いろんな種類のビブラートができないときつい。例えば堂本剛さんは『ちりめん』と言って速いビブラートなんです。秋川雅史さんはこう。(再現する)そういう細かい部分を常に追求するというか、そういうところを僕は心がけてきた」
――こんなことを聞いていいのかわからないんですけど、楽しいですか?結構しんどそうだと思いまして。
「(笑)好きだからできますし、その人のことが好きだから聞けますよ。やはり好きじゃないとできない」
いまも「ものまね」を続け、ライブをメインに活動している青木。
当時と比べるとテレビ番組の出演が激減した中、ネット上では「干されたのでは?」というウワサが。
そのことについて本人はどう思っているのか。
「『テレビから干された』とか言っている人たちもいる。干されていたらそもそも取材も来てないし、まずものまねも出続けられない。他の局でもいろんな番組を呼んでいただいてますけど、(干されていたら)来ないじゃないですか。すごく出ていた時でも、月に2~3本しか出ていなくて、だから年間にしても30~40本くらいしか出ていない。だからそもそもが出ていない。結論『そもそもが出ていない』(笑)」
――テレビに出なくなった理由があるわけじゃない?
「ないです。全くないです。全然呼ばれたら行きます。ただ、やっぱり僕はそれを思うんですけど、ものまねってやっぱりものまねなんですよ。だから、呼ぶ側だって限られてきちゃう。コンセプトに合った企画でしか、呼ぼうとも思わない。だったらいろんなポテンシャルを身につけて、いろんなことをやっていった方が、いろんな角度で呼んでいただけるかなというのもあるし、自分がそれをしたいというのもあります。そこが一番でかいんじゃないですかね」
参照元:Yahoo!ニュース