「どうせなら俺らしく」中尾彬さんの終活 トレードマーク「ねじねじ」200本処分「無」直筆の墓デザイン
映画やドラマ、バラエティー番組などで幅広く活躍した俳優の中尾彬(なかお・あきら=本名同じ)さんが、心不全のため16日に死去していたことを22日、所属事務所が発表した。
81歳だった。
中尾さんは、10 年ほど前から妻の女優・池波志乃(69)との「終活」を精力的に行っていた。
きっかけは、夫婦が直面した大病だった。
2006年、沖縄滞在中に池波がフィッシャー症候群(目や手足が動かせなくなる難病)で倒れ、翌年に中尾さんも急性肺炎で生死の境をさまよった。
2人には子どもがいない。
愛する伴侶が残された時のことを考えての生前整理で、終活との意識はなかったという。
まず着手したのは遺言。
派手な旅立ちは望まず、シンプルに送ってもらう旨を公正証書にしたためた。
もともとは都内の一軒家に加え、沖縄のセカンドハウス、故郷の千葉にアトリエを構え、3拠点で暮らしていたが、すべて売却。
2人で都内のマンションに移り住んだ。
インテリアや家財道具一式、書店並みの種類がある蔵書も躊躇(ちゅうちょ)なく手放し、バラエティー番組では「二束三文だよ」と笑い飛ばしていた。
トレードマークの「ねじねじ」も200本以上処分。
18年の著書「終活夫婦」では「柄物より一色がやりやすいね」と思わぬ“ねじねじ哲学”も語っていた。
思い出やキャリアも例外はなし。
1万枚以上の写真を捨て、演劇作品には出ない覚悟で楽屋のれんも処分した。
中尾さんが東京・谷中の寺院に建てた墓は、自らデザインしたもの。
池波の母方の実家、池波の両親、そして中尾家をイメージした。
3つの墓石が鏡餅のように折り重なって積まれている。
墓の下に書かれた直筆の「無」という文字には「死んだ人は『無』なんだから」という中尾さんの考えからだという。
「どうせなら俺らしく」と、こしらえた唯一無二の墓の中で中尾さんは眠ることになる。
参照元∶Yahoo!ニュース