西鉄バス乗っ取り事件25年、顔切られた女性が加害少年に願い「社会とつながっていて」

2000年5月、当時17の少年が起こした西鉄高速バス乗っ取り・殺傷事件で、重傷を負った佐賀市の山口由美子さん(75)が、事件後から不登校の子どもらを対象にしたフリースペースの運営を続けている。
少年が引きこもりだったことを知り、子どもの「居場所」づくりが必要だと感じて始めた活動。
5月3日で発生から25年となるのを前に事件や活動への思いを語った。
「きょうは早かったね」。
佐賀市青少年センターの一室で4月中旬、山口さんは集まってきた子どもや若者らに優しく話しかけていた。
山口さんが代表を務める団体が、不登校や引きこもりの子どもらを受け入れるフリースペース。
山口さんらスタッフと話をする人もいれば、ゲームを楽しむ人もいる。
「来たい人が、好きな時に来て、自由に過ごしてくれればいいんです」
きっかけは25年前の大型連休に起きた事件だ。
「バスを乗っ取ります」――。
刃物を手にした少年が突然立ち上がり、こう言った。
山口さんは、恩師と慕う友人の塚本達子さん(当時68歳)と福岡市で開かれるクラシックコンサートに向かうため、高速バスに乗っていた。
山口さんによると、バスが高速道路の路肩に止められた際、外に出た乗客の一人が非常電話をかけていた。
少年が異変に気づき激高。
「連帯責任です」と言い放ち、山口さんの顔に刃物を振り下ろした。
後頭部から頬を通り唇にかけて裂けた。
顔を覆った両手の上からも切りつけられ、入院期間約1か月の重傷を負った。
隣にいた塚本さんは直後に刺され、命を落とした。
事件後、少年が中学時代にいじめに遭い、高校入学後、家に引きこもるようになったことが報じられていた。
いじめなどで小中学校で一時不登校となった同世代の長女と重なった。
長女は少年について「話ができる人がいなかったんだろうね。つらかったと思う」と話していた。
少年の心を受け止める「居場所」があれば、事件は起きなかったかもしれない――。
入院中のベッドの上で、凶行に及んだ背景に思いを巡らす中で山口さんはこう考えるようになった。
事件翌年の01年に不登校や引きこもりの子どもを持つ「親の会」を設立し、02年から、民家を借りるなどして子どもらを受け入れる「居場所」を設け、子どもたちに寄り添ってきた。
塚本さんの存在も支えになった。
塚本さんは元小学校教諭で、長女らが通った幼児教室を主宰していた。
親が心を開いて子どもたちに目を向ける大切さなどをつづった「瓦版」を配布したり、別の少年事件について話していた際には「社会を作ってきた大人の責任」などと説いたりしていた。
活動を続ける山口さんについて、塚本さんの長男の猪一郎さん(68)は「母の遺志を継いでくれていると思っている。ありがたい」と語る。
山口さんの活動は、居場所づくりにとどまらず、少年刑務所などでの講演は100回以上にわたる。
昨春には事件やその後の活動を記した「再生 西鉄バスジャック事件からの編み直しの物語」(岩波書店)を出版した。
12年に入学した九州大大学院で3年間子どもの感性について学び、子どもの居場所をテーマに書き上げた修士論文を土台にしたものだ。
「大人は子どもにもっと目をむけてほしい」。
居場所づくりも、出版も講演も、こうした思いを込めて取り組んでいる。
事件から歳月を経て、不登校や引きこもりについて、親や学校の理解が進んだように感じる。
年齢も重ねた。活動について「やめようと思ったこともある」と吐露する一方で、子どもらを見渡しながら語る。
「居場所があること自体に意味があると思う」。
もうしばらく続けるつもりでいる。
少年とは2005年、少年が収容された医療少年院で初めて面会し、直接謝罪を受けた。
この年に計3回会い、少年から届いた手紙には山口さんについて〈私のことを思って泣いてくれました。私はそのとき、自分の罪深さと温かい思いが同時に湧き起こりました〉などと記されていた。
山口さんは、その言葉を信じ、謝罪を受け入れた。
少年との関係は、山口さんが09年に少年に宛てた手紙を最後に切れた。
「伝えたいことは伝えた」と言い、少年に関し、怒りも後悔もない。
ただ、少年について今も考えることがある。
「社会とつながっていてほしい。愚痴や悩みを言い合えるような、信頼できる人が近くにいてくれたらいい」。
それだけを願っている。
参照元:Yahoo!ニュース