初代『たまごっち』担当者が明かす開発の舞台裏「全く想像にもなかった」30年後の再ブーム バンダイ社内では「刺激が強すぎる」と懸念も

数年前からじわりと広がる平成レトロブーム。
その象徴的な存在として多くの人に愛されている『たまごっち』は、2026年に発売30周年を迎える。
めざましmediaは、1996年に発売された初代『たまごっち』の企画・開発に携わった担当者を取材。
すると、当時バンダイ社内には商品化に懐疑的な声もあり、ロングヒットは全く期待されていなかったという意外な舞台裏が明かされた。
「数ある企画書の中の一つという感じで、売れるからというよりは、単純に面白いからやってみるかというぐらいだった」。
初代『たまごっち』発売時にバンダイで企画・開発に携わった本郷武一さん(70)。
当時を振り返り、開発の舞台裏を明かしてくれた。
「ペットを飼育する大変さを伝えたい」との思いで企画されたものの、子供向けにもかかわらず“キャラクターが死んでしまう”リアル過ぎる設定に、社内では「刺激が強すぎる」「行き過ぎでは」と懸念する声も。
腰を据えて作り上げた主力商品というよりは個人的な思いがベースにあり、現在のブームは「全く想像にもなかった」という。
企画書の段階では腕時計型の商品でしたが、製造コストを抑えるためキーチェーン型に変更。
潮目が変わったのは、発売前のテストセールスでした。
女子学生を中心に想定以上の勢いで売れた。
そして1996年に発売された『たまごっち』は、翌年の新語・流行語大賞にノミネートされるほどの社会現象となった。
「商品がここまで足りないという経験は初めて。日本で何万個必要なのか掴めず、驚くどころの騒ぎではなかった」(本郷さん)
それでも、流行は一過性のもので長期にわたって売れ続ける商品になるとまでは思っていなかったという。
案の定、ブームは数年のうちに急速に去っていく。
当初の売れ行きから逆算して在庫を準備したところ、需要が急激に落ち込み、バンダイは1999年に60億円の特別損失を計上。
本郷さんはこのとき、『たまごっち』はもう再浮上できないと考えていた。
人気が停滞していた『たまごっち』に再びブームが訪れたのは、2004年。
赤外線通信機能が搭載された『かえってきた!たまごっちプラス』がヒット。
本郷さんは子供たちが近所で遊んでいる姿を目の当たりにし、「これは大事に育てればロングラン商品になる」と確信した。
本郷さんはその後、2006年にバンダイの取締役を退任。
仕事として『たまごっち』に直接関わることはなくなったが、最近では親族の女の子が最新機種を欲しがる様子を見て、世代を超えて積み上げられてきた人気の高さを痛感しているという。
『たまごっち』の30年「魂を揺さぶる商品が作れた」
「『たまごっち』という名前を知らない人はいない。それだけ多くの人の魂を揺さぶる商品が作れた、そして自分がそこに携われたというのは、いま考えても感動する」(本郷さん) 『たまごっち』が作り出した“唯一無二の世界観”を巡っては、様々な逸話が残されています。 本郷さんによると、過去に「生と死を弄んでいる」として、ローマ・カトリック教会から“輸入禁止のお触れ”が届いたこともあったといいます。 また、幼稚園の女の子がお世話をして死んでしまった『たまごっち』をデバイスごと庭に埋葬してしまった、という象徴的なエピソードもありました。 本郷さんはこれらの話を聞いたとき、「『たまごっち』は最早、単なる“おもちゃ”と呼べる存在ではなくなってしまった」と感じていました。
今後の『たまごっち』への思い 守るべきもの
時代に合わせた様々な最新機種、そしてリバイバル商品。これまでに多くの『たまごっち』が世に出てきましたが、本郷さんは「当初のコンセプトを守り続けてくれてありがたい」と古巣に感謝しています。 スマートフォンやPC、ゲーム機など、身の回りの電子機器は目に見える形で日々進化を遂げている中、『たまごっち』は卵形のデザインや、お世話をするというコンセプトが、いつの時代も変わりませんでした。 誕生から30年目を迎える思いを聞くと、「担当している社員の子たちは、何を大事にすべきかしっかり分かっている。正常に進化させてくれると思うので、お任せしたい」。 時折笑顔を見せながら、開発当時の思い出話を振り返った本郷さん。 社会やトレンドは大きく変わっても、奮闘した開発者たちの思いは30年の時を超え次世代へとしっかり受け継がれているようでした。
参照元:Yahoo!ニュース