白血病で失明した35歳女性、赤裸々に実体験語る 「あなたに何ができるかを考えてほしいから」

医療をイメージした写真

白血病の再発で8年前に両目の視力を失った35歳の女性が実体験を語り始めた。

「誰もが暮らしやすい社会にしていくために、あなたに何ができるかを考えてほしいから」――。

一昨年の秋から三重県内の小中学校や高校などを回り、児童、生徒、先生らに明るい声で障害福祉の大切さを訴え続けている。

女性は亀山市在住で、UDアドバイザーとして活動する中川桃子さん。

UDとはユニバーサルデザインの略で、「国籍や年齢、障害の有無にかかわらず、すべての人が快適に利用できるように製品や建造物、生活空間などをデザインすること」をいう。

体験談が将来の街づくりに役立てられればとも考えている。

白血病の告知を受けたのは2011年11月。

4歳の頃からの夢だったという看護師を目指していた愛知県の藤田保健衛生大(現藤田医科大)4年、21歳の時だった。

国家試験や卒業試験が迫る中、「落ち込んでいる暇はなかった」。

病室に教科書を持ち込んで勉強に励み、無事に試験に合格した。

ナースとして大学病院に勤務し、病魔を克服したかに見えた。

6年後の17年夏に再発する。

夫の大樹さん(36)と結婚後、わずか3か月のことだった。

白血病の細胞が増殖し、脳の視神経を圧迫したという。

意識のないまま眠る日が続いたが、薬が効いて目を覚ますと「何だか目の前が暗いぞ」と気づく。

医師から説明を受けても、「失明はドラマや映画の世界の話。大丈夫だろう……」と、どこか人ごとのように受け止めていた。

だが、現実は違った。

右目は何も見えず、左も部屋の明かりや窓から入る光を感じる程度。

退院して家庭に戻ってもドアや壁にぶつかる日々……。

1人では外出すらできない。

人は必要な情報の8割を目(視力)から得ていると言われる。

日常生活は一変した。

「生きることをもう終わりにしたい」

絶望の淵に落ちかけた桃子さんを救ったのは、それまでと同じように接してくれた家族であり友達だった。

さらには街角で出会った見ず知らずの人たちの親切だった。

飲食店の店員さんは店の外の段差まで教えてくれた。

女性用トイレの入り口で夫と困っていた時は、女性がエスコートを代わってくれた。

「すてきな親切に出会い、色々なところに出掛けてみたいと思えるようになった」。

今は目の代わりをする白杖(はくじょう)を手に、1人で外を歩く訓練を続ける。

今年2月、松阪市の県立松阪商業高の1年生160人を前に失明前後の人生を赤裸々に語った。

講演の前、生徒に伝えたのは、「話を聞いてもらいながら、『えぇ』とか『おぉ』とか拍手とかで、反応してほしい」というお願いだった。目で反応を追えないので、静かに聞いていられると「ちゃんと伝わっているだろうか……」という不安や心配が頭をもたげてくるのだという。

続く自己紹介で手話を交えると、生徒から大きな拍手が湧いた。

すかさず「わあー、うれしい!」と反応を返す。

「私のことは『桃子さん』と呼んでくれるとうれしいです」と語り始めた。

映像も駆使したよどみないトークに生徒は引き込まれていった。

講演の後、女子生徒(16)は「白杖を持った人に接する時は『大丈夫ですか』ではなく『何かお手伝いできることはありますか』と声を掛ける方が良いことを学んだ」と感謝した。

別の女子生徒(16)は「桃子さんは自分のことを不幸には見せず、体験談を率直に語ってくれるすてきな方だった」と話し、徒歩3分ほどの講演会場までエスコートした女子生徒(15)は「誘導中に話しかけてくれて私の方がリラックスできた」と人柄に触れた。

桃子さんは、「不便な状況に置かれることは、誰にでも起こりうる。相手を障害者として捉えるのではなく、コミュニケーションを取る相手として見ることで社会はいい方向に向かうと思う」と話している。

中川桃子さんへの講演依頼などは亀山市ボランティアセンターへ。

講演で紹介したのが「クロックポジション」の有用性だ。

アナログ時計の文字盤を水平方向に見立てて方角を伝える。

例えば食事の際、テーブル上の料理を「3時の位置にみそ汁、9時にご飯、12時にえびフライ。お箸は6時にあるよ」と伝えるとわかりやすい。

外を歩いている時も「2時の方角から自転車が来るよ」と注意を促すことができる。

桃子さんは、ファミリーレストランの店員からクロックポジションでコップや料理の位置を教えてもらった時、「うれしくて感動した」と実体験を紹介した。

参照元:Yahoo!ニュース