東北の農産物、輸出に活路 国内でなお風評被害「震災前を超えるのが本当の復興」

ビニールハウスが並ぶ宮城県山元町の農村。
4日、「山元いちご農園」の岩佐隆社長(69)が腰上あたりの棚に植えられたイチゴの生育状況を確認していた。
収穫期の真っ盛りで、ハウス内の温度などに気を配る。
山元町と、隣接する亘理町は東北一のイチゴ産地。
東日本大震災で生産者380戸のうち356戸が被災し、農地の9割以上も浸水する壊滅的な被害を受けた。
海沿いにあった岩佐さんの農園も、津波でハウスや設備が流された。
3か月後、近くの被災農家3人と内陸側に今の農園を設けたが、津波で土壌の塩分濃度が高くなり、栽培は難しかった。
そこで始めたのが、ハウスに並べた棚に土の代わりに繊維を敷き、水道水で苗を育てる「高設養液栽培」だった。
2012年に生産に成功。
13年には観光農園も開業し、生産量は順調に増えていった。
ただ、次第に栃木県や福岡県といった有力な産地との価格競争が激しくなる。
目を付けたのが輸出だった。
宮城県は23年、人口減少が進む中で新たな市場を開拓しようと、県産イチゴの輸出を始めた。
岩佐さんも加わり、東南アジアを中心に本格的に輸出に乗り出した。
今年は5月までに県産品種「にこにこベリー」などを含む約1万5000~2万パックの出荷を見込む。
岩佐さんは「震災後には、海外からも義援金など多くの支援を受けた。海外の人にもおいしいイチゴを食べてもらい、復興していることを伝えたい」と意気込む。
国際的な日本食ブームや円安に加え、各国の輸入規制の撤廃で、日本の農林水産物・食品の輸出額は伸びている。
24年は前年比4%増の1兆5073億円で、震災前の10年の3倍に増えた。
東京電力福島第一原発事故の影響で12年度に2トンまで減った福島県の農産物輸出量も、23年度は震災前の3倍の453トンに増えた。
しかし、国内に目を向けると、原発事故の影響は今も残っている。
福島市の「まるせい果樹園」は約10ヘクタールの畑で果物を栽培し、主力のモモは福島を代表する「あかつき」など約20品種に上る。
東京電力福島第一原発事故の後は風評被害が広がり、出荷に加え、観光農園、直売所の集客も激減。
収入は一時、前年の1割以下になった。
「雇用も維持できず、先が見えなかった」。
経営者の佐藤清一さん(55)は振り返る。
2011年度の冬に除染が始まったが、すぐには回復しなかった。
運転資金の確保に奔走する中で知ったのが、品質の高さを証明する認証制度「GAP」(農業生産工程管理)だ。
肥料の使用記録や土壌管理など100以上の項目を点検し、毎年審査を受ける。
「今の福島には必要」と13年に日本版を取得すると、小売店の引き合いが増えた。
23年度の売り上げは、震災前の2倍の約1億5000万円に伸びた。
ただ、23年度の国内での福島県産モモの価格は、1キロ・グラムあたりで全国平均より100円近く安い。
佐藤さんは「原発事故の風評被害は、まだある」と話す。
23年の農業産出額は震災前の10年比で、岩手が30%増、宮城は15%増だったが、福島は7%減だった。
原発事故の被災12市町村で営農の回復が遅れ、6割減となっている影響が大きい。
県は震災復興の一助にしようと、農産物の輸出に力を入れてきた。
モモは東南アジアを中心に出荷し、昨年9月に英ロンドンの高級百貨店「ハロッズ」で試食イベントが開かれるなど欧米でも人気だ。
日本総合研究所の三輪泰史チーフスペシャリストは「日本の農産物や食品は海外で評価が高い。原発事故の風評被害は一部で残るが、現地の需要を分析し、輸出先や数量を増やす取り組みを続けることが重要だ」と指摘する。
佐藤さんは昨年、長男から提案され、インドネシアへの輸出を始めた。
「地道な努力で、将来の風評被害をなくしていく。震災前を超えるのが本当の復興だ」。
おいしいモモを国内外に届け、福島の魅力を伝えていく。
参照元∶Yahoo!ニュース