東日本大震災の被災3県で移住者増加、復興へ「参加したい」 福島では最近5年で6倍に

移住を検討している人

東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島の3県への移住者が増えている。

避難指示が順次解除されている福島県では最近5年で約6倍に増加。

復興の街づくりに関わりたいと移住する人も多く、震災後の人口減に悩む各県の担当者は「移住増加が地域活性化につながれば」と期待を寄せる。

各県で集計している「移住者」はそれぞれ定義が異なるが、近年はいずれの県も増加している。

福島県は、自治体の支援を受けて移住した人のほか、就職や結婚、親族との同居に伴う転入者なども移住者として集計。

2018年度の557人から、23年度は3419人に増えた。

県の担当者は「福島では避難指示が順次解除されて街づくりが進む最中で、そこに参加したいと移住する人も多い。移住者が福島の魅力を発信し、新たに人を呼び込む好循環も生まれている」と話す。

岩手県は、県や市町村の窓口、ハローワークを通じて移住した人や、就農などでU・Iターンした人をカウントしている。

23年度は1868人に上り、18年度(1233人)の約1.5倍となった。

市町村の窓口経由やU・Iターンが多く、被災地との交流を通じて岩手に愛着を持ち移住した人、県外へ進学し「防災教育に携わりたい」と戻ってきた人もいるという。

宮城県は、東京にある相談窓口を通じて移住した人が、18年度の134人からコロナ禍で減少したものの、23年度は206人に上った。

復興が進み、豊かな自然と穏やかな気候を気に入って移り住む人が多いという。

移住者が増える一方、3県では人口流出や少子化により直近5年間で県民がそれぞれ3~7%減った。

10年後にはさらに10%前後減る見通しとなっている。

NPO法人ふるさと回帰支援センターの高橋公理事長は「移住者は地域の新たな魅力を発見し、被災地を活性化する原動力となってくれる。引き続き呼び込むためにも、腰を据えた取り組みが必要だ」と指摘する。

大阪府出身の合田七海(ごうだなつみ)さん(29)は、宮城県女川町に暮らして間もなく6年になる。

大学で防災を学び、東北の被災地支援に取り組む中で「町づくりの一員になりたい」と移り住んだ。

町にとけ込み、「もっと活気づけたい」と意気込む。

「寒いけどみんな、盛り上がっていきましょう!」。

2月23日、JR女川駅前で開かれた音楽イベント。

町民らで結成したバンドのボーカルを務める合田さんが、詰めかけた約100人を前に美声を響かせた。

2011年3月11日の震災時は、堺市の中学3年生だった。

自衛隊が懸命に捜索活動を行う様子をテレビで見て、「被災者を支えられるようになりたい」と心を動かされた。

14年春、神戸学院大に新設された社会防災学科へ進学。

女性目線で防災を考えるサークルの結成にも加わった。

宮城県の被災地にボランティアで初めて赴いたのは同年夏。

名取市では仮設住宅で掃除を手伝ったり、被災者の話し相手になったりした。

一人暮らしの高齢女性から「自分だけつらいとは言えなかった。話せて気持ちが軽くなった」と感謝され、「力になれたんだ」と胸が熱くなった。

女川も訪れた。

津波で甚大な被害を受けた港町は、がれきが撤去され「何もなかった」が、次の年に行くと駅ができ、その次の年には商店街がオープンしていた。

活気を取り戻す様子に「私も一員になりたい」との思いが募った。

大学を卒業し東京で会社員をしていた19年2月、女川の移住プログラムを見つけ「これだ!」と応募。

春から女川で新生活を始めた。

家に帰るとご近所さんが「おかえり」と声をかけてくれ、地元の漁師が新鮮なタラやワカメをお裾分けしてくれる。

暮らしてみて一番感動したのが、人の温かさだった。

14年前、女川の人たちは大切なものを失った。

自分は震災を直接経験していない。

だからこそ「気持ちに寄り添いたい」と、みんなの声に素直に耳を傾けようと心がけている。

いまは飲食店でアルバイトをしながら、盆踊りや音楽イベントなどにも関わる。

防災の知識を生かせればと、消防団でも活躍する。

バンド仲間の須田善明町長は「震災で多くを失った女川に来てくれて、自身が輝ける場所を見つけてくれた。すごく町になじみ、周囲に良い影響を与えてくれている」と目を細める。

ライブを終えた合田さんは充実した表情を浮かべた。

「見に来てくれた人は女川の良い所を知ってくれたはず。もっと町を盛り上げたいですね」

参照元∶Yahoo!ニュース