違法薬物で逮捕の元NHKアナ「自分の存在消したかった」再就職できず、家も借りられず 過度な“社会的制裁”と社会復帰の壁

違法ドラッグをイメージした写真

9年前の2016年1月11日、違法薬物の所持・製造でNHKのアナウンサーだった塚本堅一さんが逮捕された。

京都、金沢、沖縄などで活躍、2015年に東京配属となり、1年が経とうという時だった。

「ニュース番組のレポーターをやっていた。外に行って夕方の天気の様子を短く伝えたり、楽しくてやりがいもあった。今までやってきたことを活かせるじゃないが、そう思って仕事はしていた」。

ただ、この逮捕で人生は一変。30日間勾留された後、罰金50万円を払い釈放となったが、NHKを懲戒解雇に。

その後も「NHKアナ」という肩書もあってか、事件とは関係ない報道やバッシングで苦しみ続けた。

罪を犯した後悔と反省の念が強い塚本さんだが、身に覚えのないことでも叩かれ続け、また仕事も住居も見つからず、人間関係もゼロに。

次第に外に出ることもできなくなり、鬱になった。

「ABEMA Prime」では現在、依存症予防教育アドバイザーとして働く塚本さんの9年間を振り返り、“叩かれて当然”という風潮と、社会復帰の壁について考えた。

9年前のその日、朝9時ごろに塚本さんの自宅の呼び鈴がなった。

「玄関を覗いたら、結構な人がいた。何だろうと思いながらも、役所の人と言うから本当だろうと思って開けたら、麻薬取締官の捜査員の人たちだった。私が逃げないように鍵を開けたらなだれ込んできた。まずいことになったのは分かっていたが、冷静にいなきゃという気持ちの方がすごく大きかった」。

逮捕の理由は違法薬物の所持・製造の疑い。

かつて「危険ドラッグ」などと呼ばれていたものだ。

「合法なやり方で、同じような効果があるものを作ったというサイトを見つけた。もともとの危機意識も薄かったし、そこは反省するしかない。私の失敗なんだと思う」。

塚本さんが所持・製造した危険ドラッグの一種「ラッシュは」は、以前は合法的にアダルトショップで売られていた。

これが2007年に「指定薬物」に認定され、販売禁止に。

2014年には法改正で危険ドラッグとして所持・使用・購入が違法になった。

学生時代、ラッシュを使用していたが、東京に来てライバルも多く、大きなストレスも抱えていた中、再び手を出し、そして逮捕された。

合法的に同じような効果が得られるというサイトに騙された形にもなったが「信用してしまって、本当に馬鹿だなと思う」と後悔の念は大きい。

逮捕から1日経ち、検察に送られる際、警察車両の中から多くの報道陣を見た。

これまで犯罪のニュースを“伝える側”だった塚本さんが、“伝えられる側”になってしまったことを、まざまざと体感した。

「私の背負っていた看板があると、どれだけ(報道)の人が集まるだろうと考えると、何となく想像もできた。今まで見たことのない景色というか、レンズのこっち側と映る側。自分の中でもショックだったし、なんてことをしたんだろうと強く思った」。

カメラのフラッシュが大量に光る中を、塚本さんを乗せた車両が通過した。

30日間の勾留と罰金50万円で釈放されたが、そこからは社会復帰への高い壁と、世間からの“社会的制裁”が、塚本さんを長く苦しめた。

新たな一歩を踏み出すべく、再就職のためにハローワークに行くも、なかなか仕事が見つからない。

「仕事を探すというのはマッチング。『今までどんな仕事を』という話になると、事件に結びついてしまう」。

ハローワークには、罪を犯した人向けの担当窓口もあるが、自身が逮捕されたことを口にできない思いからか、その窓口には相談ができなかった。

東京に来てまだ1年あまり、外を歩けばすぐに誰かと分かるほどでもなかったが、それでも「薬物事犯として見られるという怖さもあって」、次第に外に出ることができなくなり、鬱状態にもなった。

人間関係も、ゼロと言っていいほどになった。

「もちろん残ってくれた人たちもいる。私の状況を知って心配してくれたり、ご飯に誘ってくれたり。だけど、なかなかそれ以上は…。慰めはしてくれるけれど、その先に進まない。そこを責めているわけでもなく『ああ、こんなものなのだ』とすごく感じた。何かをされて嬉しかったことは、あまり覚えていない。具体的な心配をしてくれる人も、意外に少なかった。それこそ『お金はどうしてるの?』とか。助けてほしいわけではないけれど、そこまで心配されると、その人は信用して心が開けたところはあった」。

追い打ちをかけたのが、逮捕から約1年後にあった報道だった。

テレビのワイドショーで、塚本さんが今度は覚醒剤に手を出したというような内容が報じされ、それがネットニュースにもなり拡散した。

「全くの事実無根」ではあったが、その頃の塚本さんにはもう、反論する力が残っていなかった。

「当時は自分の存在自体を消したかった。ニュースへの反論にしても、それこそ名誉毀損になるようなものもあったが、裁判するとなると、それがまたニュースになる。もう騒がせちゃいけない、私が悪いんだと考えて、戦うことは全く考えていなかった」。

塚本さんが立ち直るきっかけを掴んだのは、依存症の回復施設に通うようになってからだ。

「1人で頑張らなきゃと思って過ごしていたし、鬱にもなって外に出られない状況でアドバイスをもらい、依存症の回復施設に行くようになった。同じように薬物で逮捕された人が意外にいるのだと教えてもらって、8カ月通った。私以外にも薬物で逮捕された経験があったり、そこから社会に戻る人も意外にいるのだと、恥ずかしながら初めて目の当たりにした。それが私の中ではすごく効果があった。私もまた社会に戻ってもいいのだと思えた」。

今ではその経験を活かし、依存症予防教育アドバイザーという職にも就いている。

苦しみながらも社会復帰を果たした塚本さん。

薬物に手を染めてしまった人が、再犯することを防ぐ「2次予防」「3次予防」について、呼びかけを続けていく。

「みんながあまり知らない、考えたことがないと思う。私はそういうことを考えている人たちとたくさん出会い、味方もいると思えて社会に戻ることができた。その人たちの話を集め、記事を書いてもいる。ちょっとずつでもいいから、広めていきたいと思う」。

参照元∶Yahoo!ニュース