視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚すべてに苦痛を感じる18歳、起業した会社で「感覚過敏」解決に挑む

起業している人のイメージ写真

現在18歳の加藤路瑛(かとうじえい)さんは、五感すべてが敏感である「感覚過敏」を抱え、日常生活に大きな支障をきたしている。

ざわざわした音や食べ物の匂い、着る服にも苦痛を感じるという。

中学校には通えなくなったが、12歳で起業し、自身と同じ感覚過敏に苦しむ人々を救うための事業を進めている。

「生きづらい」と感じる人を救うため、感覚過敏という言葉も概念も必要ない世界を目指している。

今回は、若くして社会を変えるために挑戦し続ける加藤さんに話を聞いた。

五感すべてが敏感「当たり前」が苦痛加藤さんは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚のいわゆる五感すべてが過敏だ。

視覚過敏は五感の中では症状としては弱めで、視覚情報が多い環境を負担に感じることがあります。

聴覚過敏は大きな音というより、ざわざわとした状態が苦手で、特に教室やレストラン、カンファレンスや歓談時間中の話し声がいろいろな方向から聞こえると、頭痛や体調不良になってしまう。

嗅覚過敏は、ほとんどの香水や化粧品関連の香りが苦手。

レストランのようにいろいろな食べ物のにおいが混じり合っている場所に滞在することが苦痛で、味覚過敏については食べられるものが限られている状態。

触覚過敏は、下着や靴下が気になって身につけられないこともあるという。

加藤さんは、幼いころから感覚過敏の症状はあったが、その当時は両親も「感覚過敏」という言葉を知らなかったため、苦手なものが多い子、感覚が敏感で繊細な子という認識だったと振り返る。

中学1年生のときに加藤さんは、教室の騒がしさで体調が悪くなることが多く、そのことを保健室の先生に相談したところ「聴覚過敏なのでは?」と言われたのがきっかけで、初めて感覚過敏という言葉を知った。

「それぞれの感覚器の困りごとよりも、誰もが当たり前にできることが自分には難しいと感じ、それが生きづらさにつながっていたように思います…」

加藤さんは、中学1年生のとき、たまたま小学生で起業した人の存在を知り「社長かっこいいな。自分もやってみたいな」と思ったことをきっかけに、会社を起ち上げることを決意する。

しかし、加藤さんの起業は衝動的な思いつきのようなものだったため、当時両親に話しても本気だとは思われず「いいね」と軽く流されてしまった。

そこで、学校の担任の先生に起業したいと伝えたところ「事業計画書を作ってメールで送って」と言われたのが、最初の具体的なアクションだった。

「担任の先生や校長先生が起業を認めてくださり、両親も本気でやることを理解してくれ、応援してくれるようになりました」

中学1年生だった加藤さんは、子どもの起業や挑戦をサポートする会社を設立した。

株式会社の代表権は15歳にならないと取れないため、12歳で起業した加藤さんはお母さんに「代表取締役」になってもらい、加藤さんは代表権のない「取締役社長」として活動を開始。

会社で「感覚過敏」解決へ中学校生活と並行して事業に取り組んでいたが、学校での休み時間は騒がしく、「感覚過敏」の加藤さんは教室にいることが苦痛だった。

保健室に行くことや、教室を出て静かな場所を探すようになり、中学2年生のときに不登校になった。「会社という活動の場があったおかげで、中学2年生だった時の私は、学校に通えない状況を特別なこととは思っていませんでした」

その後、お父さんに「せっかく会社を持っているなら、自分の困りごとを解決する会社にしたら?」と言われて、すぐに思いついたのが「感覚過敏」だった。

そのときは、感覚過敏を事業にすると、食べたり、においを嗅いだりして感覚を使って商品開発することになるため、それは嫌だなと思って即決はしなかったと話す。

しかし、SNSで「感覚過敏で悩んでいる人いる?」と投稿したところ、たくさんの人が名乗り出てくれて、さまざまな悩みを聞くことができた。

そこで加藤さんは、自分と同じように感覚過敏で困っている人が多いことを知って、解決を目指そうと決心した。

事業の中では、感覚過敏の当事者と家族が参加できる無料コミュニティを運営しており、今は1500人の方が参加している。

コミュニティでは毎日のように悩みが投稿され、メンバー同士で支え合いや情報交換が行われている。

「感覚過敏研究所のおかげで学校に行けたとか、周囲に理解してもらえた、気持ちの支えになっているなどという言葉をいただいたときに、やってよかったな…と心から思います」

また、感覚過敏の人のためのアパレルブランドで服も作っている。

ブランドでは生地選びからデザインまで、加藤さん自身が試着を繰り返しながら製造を行っている。

感覚過敏の根本解決はできていないが、今は服の悩みがかなり減ったと話す。

「年齢が上がるにつれて、自分で選べる選択肢が増えて行き、苦手なものを無理にやらなくていい環境になったのでかなり楽になりました」

フリースクールに通うことにしたり、自身の苦手なことに向き合い、解消方法を身につけたりしたことで、以前よりストレスが軽減されていった。

「感覚過敏を知ってほしい」

加藤さんの訴え感覚過敏は病名ではなく症状であるため、診断名があるわけでもなく、治療方法があるわけでもない。

「感覚過敏の人々の困りごとは多種多様で一言でまとめられるものではありません」

しかし共通していることは、感覚は目に見えず、他人と共有もできないため、感覚過敏の困りごとは理解されにくいこと。

そのため、学校や職場などのコミュニティの中で孤立しがちであり、社会の中で孤独を感じやすい部分が生きづらいことだと思うという。

加藤さんが事業を通して社会に伝えたいことを1つあげるとするならば、それは「感覚過敏について知ってほしい」ということ。

「理解や支援などのアクションは、知っていることが前提です。この世界には目に見えない困りごとがたくさんあり、その1つとして『感覚過敏』という課題があることを知っていただけたらうれしいです」

加藤さんは今後について、究極のゴールは感覚過敏という名前も概念も不要な世界になることだといいます。

「それは、感覚過敏の根本的な解決方法が発見された状態かもしれませんし、感覚の多様性を認め合える社会が実現された状態かもしれません。そして、それは感覚過敏研究所の存在意義がなくなる状態でもあります」と。

長期的な目標は、感覚過敏のメカニズムを解明し、解決方法を発見することだ。

「感覚のコントロールスイッチのようなもので、自分の感覚の鋭敏さを自由に調整できるようなデバイスを開発できればいいなと思っています」

参照元∶Yahoo!ニュース