「人は絶対ミスるけど、それでも人生は続くし、また笑えるようになる」 漫画家・鳥飼茜が青年誌で性を描く理由

7月に公開された映画『先生の白い嘘』が、2年前の撮影時に、俳優が求めたにもかかわらずインティマシー・コーディネーター(性的な接触や行動をともなうシーンを調整する専門職)を入れなかったことで話題になった。
映画制作の現場が、俳優の安全や尊厳を守る方向へ変化する過程で生じた出来事だったが、風当たりの強さは、世の中の意識変化を逆説的に物語った。
鳥飼茜(43)による原作の同名漫画は、性暴力がいかに人間の尊厳を削り取るかを描く。
鳥飼はこの作品以外にも、男女間で認識のずれや対立が生じているテーマを真正面から、しかも多くは青年誌で描いてきた。
現在連載中の作品では、10代の予期せぬ妊娠と、いわゆる“射精責任”を扱う。
「男の人も女の人もいるなかで言えることを言うのが大事」と言う鳥飼は、漫画で何を伝えようとしているのか。
映画『先生の白い嘘』の“炎上”は、原作者である鳥飼をも相当に悩ませた。
大勢の人が関わる映画の現場を、原作者の価値観に染め上げることはできない。
鳥飼は、のちに発表した声明で、映画になることは光栄だし、完成した映画は真摯につくられていたとした上で、「自分はこの漫画を描くとき確かに憤っていたのだ。ひとりの人間として、ひとりの友人として、隣人として、何かできることはないかと強い感情を持って描いたのだ。それはある意味特別で、貴重な動機づけだった」と綴った。
漫画『先生の白い嘘』は、2013年から2017年まで「月刊モーニング・ツー」に連載された。
主人公は、友人の交際相手からレイプされた過去を持つ高校教師。
屈託を抱えつつも、その人物の支配から逃れることができずにいる。
「子どものころからレイプがものすごく怖かったんです。漫画にしろ映画にしろ、昔はもっと気軽にレイプシーンがあったんですよ。よくわかんないけど怖い目に遭っていて、女というだけでその可能性があるというのはすごく怖いことやなと思ってて。大人になって、とうとう本当にそういう目に遭った人が、私のまわりに現れるんですね。ある人から相談されたとき、私はむちゃくちゃ憤って、警察に届けるべきだ、絶対に闘うべきだ、私はずっと味方するって」 加害者は顔見知りだった。
「相手は仕事関係の人で、彼女が言うには、自分もよく思われたい気持ちがあって、そういう雰囲気づくりに参加していた部分があるかもしれない、だからどこまで責任があるか、追及されたらわからないって。これか、と思ったんですよ。レイプって、まったく知らない人にボコボコにされるものかと思ってたけど、違うんだって」
被害に遭った女性が抱く、自分に1ミリでも隙や「媚び」があったら、合意がなかったと主張できないのではないか、というおそれ。
実際、強姦罪(2017年に強制性交等罪、2023年に不同意性交等罪へ改正)の不起訴率は高かった。
「でも、いや、待てよ、と。犯罪になってもならなくても、起きたことは同じですよね。そういう目に遭っているのは彼女だけじゃないし、起きていることを誰かが記録して、テーブルに載せないといけないと思ったんです」
その憤りが『先生の白い嘘』という作品になっていくのだが、性犯罪被害者や支援者から「よく描いてくれた、ありがとう」と感謝されることは想定していなかったという。
「私はただ、ウエッ!ってさせたかった。見たくないものを見せてやりたかった。仕返しやったんやと思います。のうのうと生きてる犯人(加害者)に向かってツバを吐きたい、みたいな気持ち。そのツバは何かと言ったら、私という一人の女性のなかにある、汚い部分もきれいな部分も、全部見せることなんです。そのためにキャラクターをいっぱいつくって、セックスなんてくだらないけどくだらなくないとか、大事に扱わなかったら大変な目に遭うんだとか、いろんな気持ちを(漫画のなかに)全部出して。そいつが読むわけないねんけど」
『先生の白い嘘』では性暴力を、現在連載中の『バッドベイビーは泣かない』では10代の予期せぬ妊娠と“射精責任”を扱う。
どちらも女性にとって切実な問題だが、連載するのは青年誌だ。男性読者に読まれることをどう考えているのか。
「青年誌と言っても、女性の漫画家も読者もいます。だから、男相手にやってやんよという気持ちはなくて。青年誌は共学、女性誌は女子校みたいな印象です。女子校には憧れがあるんですけど、同性だとわかってもらえることに甘えて、説明をはしょってしまう。漫画はやっぱり仕事だし、男の人もいてようやく社会。男の人も女の人もいるなかで言えることを言うのが大事って感じます」
男性にも届いてほしいから、男性側のことも徹底的に考える。
『先生の白い嘘』のときは、当時の担当の男性編集者に本音をぶつけた。
「女は怖い目に遭ったり屈辱的な経験をしたりしてるんだけど、そのことをどう思う?みたいなことを聞きたかったんですよね。漫画のためなら、編集者は相当自己開示してくださる方が多いので(笑)。そうしたら、男性が雰囲気をつくってそっちの(性行為の)方向に持っていくというのは、昭和の男性はみんなやってたことだと思うけど、鳥飼さんと話してたら、ただノーと言えなかったから応じてくれただけで、相手にとってはいい思い出ではないかもしれない可能性に気づいたと、落ち込みだしたことがあって。その人はそのとき40代でしたけど、ちゃんとした性の話を妙齢の男性とがっつりしたのがおもしろかったんです。彼の感覚と今の20代の感覚もたぶん全然違う。そのときどういう態度を取るのが正解なのかという通念は男にも女にもあって、時代とともに刻一刻と変わるんだってことに気づきました」
7月から連載開始した『バッドベイビーは泣かない』は、女子高生が怪しい業者から経口中絶薬を買う場面で幕を開ける。
歌舞伎町で置き引きまがいのことをして金を手に入れようとする彼女と、彼女を助けようとする大人4人。
重いテーマだが、テイストはポップなラブコメだ。
「私の漫画って、『暗い』とか『えぐる』と言われることが多いんです。今回は、全然違うテイストにしたいと思いました。他人の目を気にせず、好きなことを好きなように描こうと。気楽な会話劇をやりたくて、最初のネームを切ったんです。そのときは中絶や妊娠というテーマは出てきていませんでした」
編集者と打ち合わせを重ねるうちに、「鳥飼さんのなかに、妊娠や中絶というテーマがあるんじゃないですか?だったらそれを真ん中に据えたほうが、物語に求心力が生まれるのでは」と言われた。
「中絶って命を絶つことだから、嫌悪感を持つのは当然だし、一般的にいいことだとは言えない。一方で、そうせざるを得ない人のために選択肢として残しておくべき、というのも正論。だから、中絶について語るのはめちゃめちゃ難しいんですけど、経験したことのない人にとって、切羽詰まったときに中絶という手段があることのありがたさは、相当想像力を働かせないと共感できないと思います」
10代のころ、生理が来ないことは恐怖だった。
相談をしても相手の男性が心から支えになることはなかった。
自分1人の心身にのしかかる不安と将来への絶望感は、いまだに忘れることはない。
約20年前の当時、望まない妊娠をした女性が産まない決断をした場合、選択肢は手術しかなかった。
それなのに、麻酔のリスクも術後のケアも教わらない。
鳥飼さんは、大人になってから、フランスでは経口薬で中絶ができることをフランスの漫画で知って驚いたという。
「それを見るまで(薬で中絶できると)聞いたことがなくて、『そんなことが?いつから?30年前から!?』って。もちろん中絶せずに済むのが一番だけど、つらい決断の先にある負担は少ないほうが絶対にいい。自分の人生を守るために、選べる未来は多いほうがいい。かつての私のように不安や絶望のさなかにいる人たちにとって、世の中は少しでも生きやすくなっているだろうかと考えると、私にもまだ描けることがあるって。いろんな意見が対立するなかで、中絶は女性の権利だって、どのくらい言えるかなと思って」
鳥飼がやりたいことは、中絶の是非を論じたり、避妊について啓蒙したりすることではない。
「世の中の大多数は、中絶せざるを得ない状況になった人について、愚かなセックスをした愚かな人っていう判断をするんです。そういう、ある種の偏見をどのくらい取っ払えるか。私はそれをやりたいんだと思います。男の人に毎回必ず100%コンドームをつけてもらうことを、できている人もいるんでしょうけど、できない人もいるやろとか。空気に流されてつけずにしたとか。愚かなことやと思うけど、そういうことってしてしまうんですよ。ある種の人からは、『自分というものが全然ないやん』と思われるやろなと思うけど、好きな人を喜ばせようと思ったら自分なんてすぐなくなるし、機嫌が悪そうだったら言いたいことものみ込むんです。私がそうだった。私だけかもしれないけど、だったら私の話を描けばいい」
これまでも「私」を全部出して漫画にしてきた。
そのときそのときに本気で考えたことが作品に刻まれている。
右往左往している当時の自分は滑稽でもあるが、そういう自分を描いたことに後悔はない。
「人は絶対ミスるんですね。で、ミスっても人生は続くんですよ。こういうふうにミスりましたというのを表に出すと、黒歴史とかって言われるんだけど、私はミスを恥ずかしいとはあんまり思ってない。中絶とか犯罪被害に遭うとかは、ミスというか、“成功じゃない”出来事だけど、そういうときでも、人は絶対にベストを尽くしているんです。だから、どんなに悲しんでいても、また笑うこともできるようになる。それが生きていることの醍醐味だと思ってて。漫画でもずっとそういうことをやっていきたいし、ちょっとでも何か、人に手渡すことができたらいいなと思っています」
被害者はずっと被害者でいなきゃいけないわけじゃないし、失敗にいつまでも落ち込んでいる必要はない。
鳥飼作品が「えぐる」と言われながらもどこか希望を持ったラストになるのは、人間の多面性を信じているからだ。
人間の性に真正面から向き合ってきた鳥飼だが、年を重ねるにつれて心境に変化も生じている。
「私たちは、日々膨大な量の映像を目にするなかで、男性が見るという前提でつくられたものを消費してきているんです。例えば、性被害を訴える作品であっても、被害を受けている場面の描写は男性を喜ばせてしまうし、私たちもその景色を受け取ってしまう。男の目線で女性を消費してしまっている。そういう考えがあることを最近知って、反省したんです。考えてもみなかったと思って。私がこれまで性欲とみなしてきたものも、頭のなかが男になっていて、男として女の人の裸に欲情するような、ねじれた自意識があったと思う。これからは、自分が描いた作品のなかに性描写があることについて、前よりも責任感を持たないといけないと思うし、単純に性描写自体、ちょっと描きづらくなりました。時代的にあんまり求められていない感じもあります」
鳥飼の漫画は、登場人物が多い。
その一人ひとりに人生があって、性についても命についても、バラバラの価値観を持っている。
社会は多様だ。
「今描いている作品でも、ちょっとでもいろんな人に触れるようにしたいですね。『私のことを言っているのかな』と思ってもらえるような仕掛けをどんどんつくりたい。歌舞伎町にいる10代女性のリアルを見聞きして、どうしてこの子たちはこういう行動に出ちゃうのか、そうせざるを得ない理由があるはずだから、そのことをとにかくいつも考えてる。自分が納得したら、たぶん描けるから。それに、女の子たちがどんどん生きやすくなるようになってほしいとずっと思っているんですけど、そのためにも、男の子たちにもがんばってほしい、変わっていこうよって思っていますね」
参照元:Yahoo!ニュース