「豪州からVIP待遇で」初来日“コアラフィーバー”から40年 輸出禁止だったコアラが日本に来るまで

いまから40年前のきょう、1984(昭和59)年10月25日、オーストラリアからコアラが初めて来日した。
この日早朝、成田空港に到着した6頭の雄コアラは機内で検疫を済ませ、簡単な引き渡し式のあと、受け入れ先である東京都多摩動物公園、名古屋市東山動植物園、鹿児島市平川動物公園へ各2頭ずつに分かれて向かった。
6頭のうち東京と名古屋の各2頭はシドニーのタロンガ動物園、鹿児島の2頭はクイーンズランド州のローンパイン・コアラ保護区から寄贈された。
成田には100人を超える報道陣が待ち構え、餌となるユーカリなど植物の検疫中、オーストラリアから付き添ってきたローンパイン・コアラ保護区の代表取締役が鹿児島に行くコアラをケージから出して抱き上げると、一斉にカメラが向けられた。
その前日、コアラたちをシドニー空港とブリスベン空港から乗せて日本へ出発したカンタス航空の特別便は「コアラ・エキスプレス」と名づけられ、客室の後部3分の1を間仕切りしてコアラ専用室に充てていた。
まさにVIP待遇で、機内ではシドニーを離陸してしばらくすると「この飛行機には“VIM”が搭乗しています」とのアナウンスが流れたという。
VIP(Very Important Person=重要人物)のPをMarsupial(有袋類)のMに置き換えたのだ。
日本に着いたコアラはそれぞれ成田および名古屋、鹿児島の空港から車に乗せられると、やはりVIP待遇で、各園までパトカーの先導で運ばれた。
いずれも午前中には到着し、地元の幼稚園や保育園の園児らに出迎えられる。
ただし、一般公開は、日本での生活に慣らせるため約1ヵ月を置き、3園とも11月20日となった。
公開に先立ち、それまでブラックやオレンジなどの仮名で呼ばれていたコアラ6頭の正式な名前が全国から公募のうえ、11月10日に決定する。
各園の2頭はそれぞれ、東京は「トムトム」「タムタム」、名古屋は「モクモク」「コロコロ」、鹿児島は「はやと」「ネムネム」と命名された。
公開初日は平日(火曜)にもかかわらず、東山動物園では午前9時半の開園とともにコアラ舎の前に行列ができたため、10時半から公開開始の予定を15分早めた。
この日、名古屋でコアラを見たのは1万1200人におよんだ。
これに対し、多摩動物公園はあいにくの雨で、気温も下がったこともあり、6439人にとどまる。
平川動物公園でも予想に反して2700人ほどの入場者だった。
それでも一般公開が始まって最初の休日となった11月23日には、両園とも1万人を超える人がコアラと対面する。
東山動物園にいたっては3万8000人が詰めかけた。
先に紹介した機内アナウンスにあったとおり、コアラは哺乳類のうち子供を育児嚢(のう)と呼ばれる袋で育てる有袋類に属する。
生息するのはオーストラリアの森林に限られ、ユーカリの木の葉しか食べず、水分もそこから摂取するので、水はめったに飲まない。
その個体数は、20世紀前半までに毛皮を取るための乱獲や生息する森林の破壊により従来の半分にまで減ってしまい、オーストラリア政府は1933年以来、半世紀近くにわたり国外への輸出を禁止してきた。
しかし、アメリカでは飼育・繁殖で実績を出し、例外的に輸出が認められていたこともあり、コアラを呼ぼうという動きが日本でも起こる。
東京の上野動物園は1971年、11年後の開園100周年に向けてコアラを誘致する計画を立て、ユーカリの育成を始めていた。
計画自体は、翌1972年に同園が中国から日本に贈られたパンダの受け入れ先に急遽決まったこともあり頓挫するものの、このときの準備はその後、同じ都立の多摩動物公園がコアラを受け入れる下地となる。
鹿児島市では1975年に「コアラを鹿児島に連れてくる会」という市民グループが発足し、誘致活動が始まる。
名古屋市でも1980年にシドニー市と姉妹都市の提携を結ぶに際し、コアラ寄贈の話が持ち上がる。
東京都も同様に、コアラ受け入れが具体化したのは、1984年にオーストラリアのニューサウスウェールズ州(シドニーはその州都)と友好都市関係を結ぶ過程においてであった。
この間、1980年9月にコアラ輸出が解禁された。
これを受けて、上記の3都市に埼玉県・兵庫県・横浜市・大阪市も加わり、熾烈な誘致競争が繰り広げられる。
この事態を収めるため、オーストラリア政府のコーエン内務・環境大臣が1984年4月の来日時に記者会見を行い、コアラはまず東京・名古屋・鹿児島の動物園へこの秋にもほぼ同時に送られるだろうと述べた。
3都市の動物園はこのときには、オーストラリア側がコアラを提供する条件の一つにあげたコアラ舎の建設を進めており、ユーカリの育成にも数年前より取り組んでいた。
他方、オーストラリアの野生のコアラは、2019年から翌年にかけての大規模な森林火災により多くの個体が犠牲となった。
火災の原因は地球温暖化による異常気象にあると考えられる。
オーストラリア政府はこの事態を受け、自国版のレッドリストでコアラを危急種から絶滅危惧種へと引き上げた。
40年前のコアラ初来日と前後して1983年にはラッコが初来日し、さらにテレビなどを通じてエリマキトカゲが人気を集めるなど、世の中は珍獣ブームのさなかにあった。
それもあって、コアラの導入に対しては、当時どこも来場者数が伸び悩んでいた動物園が集客の目玉にするため、莫大な費用をかけてまで進めているといった批判も少なからずあった。
来日まもなくしてコアラがあいついで死んだときには、日本での飼育を疑問視する声も上がった。
しかし、各園では、コアラたちの嗜好に応じたユーカリの葉を日々提供し続けるなど努力を重ねながら、日本の環境に慣れさせてきた。
だからこそ、コアラはここまで長く飼われ、増え続けてきたのだろう。
種の保存への貢献はあきらかであり、元気なコアラの姿は私たちにこの動物への興味を抱かせてくれる。
それはコアラが、人間の所業のために直面する危機について考えるきっかけにもなるはずだ。
参照元:Yahoo!ニュース