「人を殺している実感」死刑執行に関わった元刑務官の苦悩 矯正教育との矛盾

刑務所をイメージした写真

神戸市で弁護士事務所を開く野口善国さん(78)は、刑務官として東京拘置所に勤務していた1971年の冬、死刑執行に関わった。

執行されたのは40代くらいの男性で、強盗殺人の罪を犯し、死刑が確定していた。

東京拘置所では当時、死刑囚に執行の告知を前日に行っており、死刑囚は遺書を書き、家族と面会することもできた。

「死刑執行の前日、拘置所からの電報で駆け付けた男性の妻は、テーブルを挟んで向かい合う男性の手を握り、涙を流していました」。

野口さんは、その模様を鮮明に覚えている。

男性は取り乱す様子もなく、泣いている妻に「自分が責任を取って死ぬのは当然のこと。平静な気持ちでいるから、どうか悲しまないでほしい」と語りかけた。

妻は最後の別れとなる間際、男性に「あなたの子どもが、あなたの顔に似てきた」と伝えた。

様子を見守っていた刑務官の中には、涙ぐむ者もいたという。

死刑執行当日の朝、野口さんは男性を房から刑場に連行する任務を命ぜられた。

男性は4階の房からいったん屋外に出て、黙ったまま敷地内の刑場に誘導されていった。

そこはコンクリートの塀で囲まれた小さな平屋の建物で、幹部職員が待機していた。

男性は職員らに「お世話になりました」と礼を述べて握手をした後、目隠しと手錠をされると、絞首のロープがある場所まで、刑務官に誘導されながら歩いて行った。

踏み板を開くレバーが引かれると、大きな音がして男性は地下に落下していった。

野口さんは「バーン!と激しい音がして、男性の体が一瞬跳ね上がったように見えた後、すぐに落下していきました」と言う。

開いた踏み板からはぴんと張ったロープが大きく揺れていた。

野口さんはその揺れを止めようと、とっさにそのロープを握りしめた。

下をのぞくと、医師が死刑囚の胸をはだけて、聴診器を当てているところだった。

心臓の辺りがどくどくと動いているように見えた。

「ロープを握りしめながら、それが無理だとはわかっていても、今何とかしたらこの人は助かるんじゃないかというような、そんな気持ちで見ていました」。

その時、野口さんはこう感じた。

「正当な職務の執行ではあっても、人を殺しているという実感がありました」 

10分程度の時間だったが、ひどく長く感じた。

執行後、ぼうぜんとしている野口さんに、男性の死亡を確認した医師が「死人より顔が青いぞ」と声をかけた。

刑務官たちは遺体をロープから外して体をふく作業に移ったが、野口さんが命ぜられることはなかったという。

20代前半で死刑執行に携わったその時の経験は、半世紀以上たっても脳裏に焼き付きいている。

「一種のトラウマ」と表現する野口さん。

「何度も立ち会った幹部職員は、精神的な負担が大きいと思います」。

だが、刑務官が死刑のことを口にするのはタブーで、執行後も「お互いになかったことのような雰囲気」だったという。

「矯正教育の考えと死刑は矛盾します。受刑者の更生を志して刑務官になった人が死刑に関わるのは、相当につらいことでした。だから、触れたくないという空気が生まれるのではないでしょうか」。野口さんは、そうおもんぱかった。

死刑の歴史を研究する滋賀県立大准教授の櫻井悟史さん(41)は「刑務官が死刑執行を担うのは、職業倫理の観点から問題がある」と、死刑の運用に疑問を投げかける。

刑務官の職務は受刑者の立ち直りを支えることにあり、社会復帰を想定しない死刑は正反対なことだから精神的に大きな苦痛を与えると言う。

櫻井さんは、死刑執行を「働く立場に身を置いて考えるべきです」と話す。

「死刑は、日常的に死刑囚と接する刑務官に、殺すことも命じるということです。命令に従う根拠もなく、慣習で行われています」。

その慣習の中で、執行する側の人権が見過ごされていると指摘する。

そうした現実を踏まえ、櫻井さんは一つの代案を示す。

「執行を含めた死刑に関わる職務を、命令を下す法相や検察官が担うべきではないでしょうか」。

刑務官に死刑執行を担わせることで「死刑という刑罰がどういうものかという、根本的な議論が封じられてしまった」と話す。

また、死刑が確定すると外部との面会や文通が厳しく制限され、孤独の中で執行の恐怖におびえる日々を送ることも、死刑という刑罰に含まれるのかという疑問もある。

死刑執行の告知に関する法令はないが、少なくとも1970年代までは前日までに行われていたとみられる。

当時は東京拘置所でも、運動や俳句などで死刑囚同士の交流が認められていた。

野口さんは「独房内で小鳥を飼い、花を生ける死刑囚もいました。現在よりも人間的な処遇だったと思います」と話す。

だが現在、死刑は当日の執行1~2時間前に知らされている。

法務省は「事前に告知すれば、本人の心情に著しく害を及ぼすおそれがある」とし、前日に告知して死刑囚が自殺したケースがあると説明するが、方針変更の時期や詳細は明らかにしていない。

これに対し、当日に告知するのは不服を申し立てることができず違法だとして、死刑囚2人が2021年11月に大阪地裁へ提訴した。

原告の代理人は「死刑囚は、毎朝死ぬかもしれないとおびえている。極めて非人間的だ」と批判した。

だが、2024年4月の判決は「死刑囚は現行の運用を含めた刑の執行を甘受する義務がある」とし、訴えを退けている。

関西大教授の永田憲史さん(48)は「生命を奪うこと以外、死刑囚への負担はできる限り小さくすべき」と、現在の運用を批判する。

永田さんは死刑存置の立場だが、死刑制度には「国家は人を殺すなと言いつつ、刑罰として殺すという矛盾がある」と指摘する。

その矛盾を小さくするため、恐怖や苦痛は最小限にし、生命を奪うことにとどめるべきだとの考えだ。

「被害者を苦しめた死刑囚に恐怖や苦痛を与えるのは当然、という意見はもっともです。しかし、それを国家が刑罰として行うことには賛成できません」

米国では、絶命までの苦痛を少なくするため、執行方法が絞首刑から電気椅子、薬物注射へと変わっていった。

永田さんは「日本は米国の2周か、それ以上遅れています」と評した。

絞首のロープがある執行室には、複数のボタンが並ぶ部屋がある。

死刑囚の首にロープがかけられると幹部職員が合図を送り、待機していた刑務官が自分の前にあるボタンを押す。

すると踏み板が開き、死刑囚の体は地下に落下していく。

踏み板につながっているボタンは1つしかなく、複数の刑務官が同時にボタンを押すことで、自分が命を奪ったのではないかという精神的負担を緩和させる狙いがあるという。

しかし、執行に立ち会ったことのある元刑務官は「ボタンを押した刑務官の全員が、〝自分では〟という精神的な負担を抱えることになる」と話す。

別の元刑務官は「刑務官は死刑執行を命令されると、拒否することができない。職務として当然のことと考える」と言うが、命を奪う行為に関わることが、心に重くのしかかることは想像に難くない。

死刑執行に立ち会った野口善国さんが、その経験を「一種のトラウマ」と述べていたことが印象的だった。

死刑囚を収容する拘置所の中では、死刑囚が直前までいつ訪れるかわからない執行に神経をとがらせ、刑務官は命令を受ければ、死刑囚の命を絶つ作業に関わらなくてはならなくなる。

死刑判決の先には、死刑囚が国家による強制的な死を迎えるまでの、さまざまな場面がある。

死刑の是非を議論する前に、そうした現実に目を向ける必要があるのではないだろうか。

参照元:Yahoo!ニュース