無期懲役を狙って新幹線に乗り込んだ22歳の凶行、期待通りの獄中生活に「とても幸福」 死刑に次ぐ刑罰の意味とは

刑務所に服役している受刑者

多くは人の命を奪う重大な事件を起こしながら、刑が確定した後は社会から忘れ去られていく無期懲役囚。

期限のない刑罰によって、人間はどう変わり、どう変わらないのか。

犯現在も服役している受刑者には、あえて無期懲役を狙って事件を起こし刑務所での生活を「とても幸せ」と表現する若者や、「有期刑なら深い反省はなかった」と考えを改め仮釈放の機会を自ら放棄した者など、様々な人がいる。

彼らと手紙をやり取りする中で、無期懲役という刑罰の限界が見えてきた。

無期懲役囚の小島一朗は新幹線の車内で乗客を殺傷する事件を起こした。

凶行は時速300キロ近いスピードで走行する新幹線で起きた。

2018年6月9日午後9時45分ごろ、新横浜ー小田原駅間を走行していた東海道新幹線のぞみの12号車で、乗客の女性2人がなたで切りつけられ、それを止めようとした兵庫県の会社員の男性(当時38歳)が首などを切られ死亡した。

現行犯逮捕されたのは、当時22歳で住所不定の無職、小島一朗(28)。

「一生刑務所に入りたい」「無期懲役になりたい」そう述べた小島に対し、横浜地裁小田原支部は2019年12月18日、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。

報道によると、小島は判決を聞いた後、法廷で手を上げながら「ばんざーい」と3回大きな声で叫んだという。

望み通り無期懲役囚となった彼はその後、どんな受刑生活を送っているのか。

今年4月、小島が収容されている刑務所に手紙を送ると、約1カ月後、計21枚の便箋が2回にわたって届いた。

小島は服役してから食事を拒否したり暴れ回ったりするなど、刑務所内で度々トラブルを起こしているようだ。

現在は「寝たきり」の状態で、他の受刑者と隔離された保護室に入っており、着替えや入浴、トイレなど日常生活を刑務官らの介助によって送っているという。

<私はもう、あとは栄養失調で心停止、すなわち餓死するのを待つ。もういつ死んでもよいやというかんじ>

下書きした跡が残る手紙には、つらつらと余生に関する投げやりな記述が続く。

自身の罪を悔いたり被害者や遺族に謝罪したりするような言葉はなかった。

<私は死ぬまで保護室ないしは観察室に入っているために人を殺して、刑事施設に入ったのです

受刑者となってまだ5年にも満たないが、彼は塀の中での生活が期待していた通りであることを度々強調する。

<信じられないかもしれないが、私は今とても幸福です。こうなることは人を殺す前から分かっておりました>

<日本の刑務所は素晴らしい。ここにはまだ希望がある>

一方で手紙には、小島が社会にうまく適応できずに苦しんでいたと思わせる記述もあった。

<刑務所は衣食住があたりまえであり、友人も仕事も娯楽も全て用意してもらえる。社会ではこれらを得るために努力しないといけないのだ。ところが刑務所は努力しなくてよい。社会にいる時にあれだけほしかった食物、どうしても得ることができなかった食べ物が、ここでは食べないと食べてください(と)お願いされる>

小島は事件を起こす前、半年にわたって野宿生活を送っていた。

この「家出」中に新幹線での無差別殺人を計画したとされている。

<仮釈放は怖い。もう二度とシャバには出たくない>

裁判の判決では、裁判長が「刑務所での服役の日々を送らせ、受刑の現実に直面させることで、その刑責の重さに向き合わせることが相当である」と述べた。

これに対し、小島は「裁判長が『受刑の現実に直面させる』と仰っていたが、さて、どうだったでしょうか」と挑発するように続ける。

<死ぬまで刑務所に居てもよい無期でこそ、私と国は一つとなる。無期なら国が死ぬまで面倒を看てくれる>

死刑でも有期の懲役刑でもなく、あえて無期懲役となるように意図した小島は、手紙で「刑務所と社会はあべこべである」と日本の刑事司法の矛盾に触れている。

刑務所に入るために事件を起こす人がいる一方、事件を機に考えを改める者もいる。

美達大和(みたつ・やまと)のペンネームで多くの本を出している男性は、今もある刑務所に服役している現役の無期懲役囚だ。

美達は2件の殺人を犯した。

すでに30年近く服役しているが、著書などを通して仮釈放の可能性を放棄したと公言している。

仮釈放されないことを受刑者自身が決められるのかという疑問に対して、美達は著書で、「工場に出ることを拒否し、単独での処遇を受けることによって可能」と説明している。

今年6月、美達に手紙を送ると、本名や収容されている刑務所、事件の詳細を明かさないことを条件に書面での取材に応じた。

無期懲役囚として獄死することを決断した理由について、美達は「倫理」を引き合いに次のように表現する。

<反省した結果、自分にも非があり(自己の信条により他者の生命を奪う事は断じて許されないと)、相手が生き返らぬ以上、自己を殺すか、人生を捨てるとせねば倫理の対称性の点からも納得できず、出ない(社会での人生を捨てる)としました。今、生きているのは、善行も行ってから終わろうという意味で、被害者遺族の年齢を鑑み、その人の死より早く人生を終える事にしています。全く逡巡も迷いもなく、さっと決めました。>

美達は同じ刑務所に収容されている無期懲役囚を観察する中で感じ取ったことを著書に記している。

<無期囚が仮釈放になる服役期間の三十年、三十五年という年月は、それだけを考えれば長い年月ですが、口を開けば娑婆のことばかりで、被害者と遺族について話すことはほとんどありません>

では、美達自身は無期懲役に服する意味をどう考えているのか。

<物事の受けとめ方につき、複眼的、多様性が加わりました。また、仮に自分が正しく、相手に非がある場合でも、「ちょっと待て。世の中にはこういう人もいるのだ。ま、いいか」となる事が増えています。 「ま、いいか」は妥協的で大嫌いな言葉・態度でしたが、今はこだわりません。有期刑なら、社会で次にどうするのか、また野心マンマンになるのは明白なので、深い反省、省察はなかったのではないか、と捉えています>

社会に戻れることが確約されていない「無期刑」だからこそ、自身が犯した罪に深く向き合えている。

美達の手紙からはそんな思いを読み取ることができる。

無期懲役囚は今、ほとんどが塀の外に出ることがないまま獄死している。

”終身刑”化しているのが現実だが、その中で開き直る者もいる。

西日本のある刑務所で服役する男性は、これまで性犯罪を繰り返してきた。

刑務所に2度入り、出所して2年後、街で偶然見かけた女性を強姦目的で襲った上、命を奪った。

無期懲役刑について、彼は「死刑よりきつい」と話す。

その理由が手紙に書かれていた。

<無期囚は仮釈(放)率が少なく、刑務所内で亡くなるか、出所後2年以内に亡くなる人がほとんどだからです。特に(今いる)刑務所には、私が生まれる前からおられる方や私が来てから、中で亡くなられた方などがいるので、そう思うのかもしれません。一般的な死刑と違い、無期懲役は時間をかけて行われる死刑であり、終身刑と同じだと感じています>

その上で、過去の服役とは異なる受刑生活を送っていると明かした。

<これまでは有期刑でしたので、懲罰のことを全く気にしていませんでした。今回は無期刑なので、なるべく懲罰を受けないようにしようと思っています。そのかわり、仮釈放なんてないと思っているので、所長や監査官に対し、苦情を出したり、訴訟を起こしたりしています>

記者が取材している無期懲役囚たちから送られてきた手紙の一部。

解読が難しい字を書いてくる人もいれば、丁寧な字できれいに書かれたものもある無期懲役刑は日本で、死刑という極刑に次ぐ重さの刑罰だ。

その意味はどこにあるのか。

美達からはこう返信があった。

<よほどの覚悟がないと仮釈放には至らぬ刑(ただし、大半の芯がない腰抜けの者にはどうってことのない)です。という刑の反面、ほとんどの者は反省より社会に出ることのみしか眼中にない刑でもあり、効果につき疑問です。現実は更生、改心より懲罰、社会の保安上、獄に入れておく刑となっていますし、それが妥当です>

参照元∶Yahoo!ニュース