「10秒前を忘れても、喜びは残る」認知症高齢者が自分らしく生きる手段としての はたらく

認知症の高齢者をイメージした写真

9月は世界アルツハイマー月間として、世界各地で認知症の理解を深めることを目的とした啓蒙活動が実施されている。

2025年には65歳以上の高齢者の5人に1人が認知症になるといわれる日本。

2024年1月、認知症に関する初の法律「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」が施行された。

また医療現場では、2023年に保険適用となったアルツハイマー病の新たな治療薬レカネマブに続き、2024年8月には治療薬ドナネマブの製造販売が国に承認された。

人生の後半ステージを認知症とともに生きることが珍しくなくなった昨今。

“はたらく”ことを通して、地域社会とつながり、役割を見つけて暮らす2人の認知症高齢者に取材した。

“はたらく”ことは、必ずしも賃金を稼ぐだけではなく、誰かのために何かをすること。

そのように広く捉えると、認知症になった後も、社会に参加しながら自分らしく生きるための一つの選択肢が見えてくる。

トントントントン。

広い調理スペースの一角で、ミネストローネに入れるニンジンを、慣れた手つきで切る女性Jさん(76)。

ここは福岡市東区にあるベーカリーカフェ「カッセス」。

焼きたてのパンと食事、コーヒーを目当てに地元の人々でにぎわう店だ。

Jさんは2カ月前から、週1回2時間程度ここで勤務している。

時給は、他のアルバイトスタッフと同じ。

野菜のカットから、店で販売するクッキーの梱包やドレッシングの瓶詰めなど、仕事は多岐にわたる。

「包丁を持つのが大好き」と話すJさん。

「昔から料理して人に食べさせるのが好きやったんです。私の母も近所の人たちを呼んじゃあ、料理を振る舞うのが好きな人やったから。ここでみんなでああじゃこうじゃ言って、笑いながら作業するのが一番嬉しい」

かつてJさんは、看護師として長年働いていた。

50歳を過ぎてからは、料理好きが高じて、自分の喫茶店を開いた。

体調に変化があったのは6年前。

私生活で精神的にストレスとなる出来事が立て続けに起こり、寝込むようになった。

甲状腺の病気と診断され、治療を始めると体調は回復したものの、3年ほど前から記憶力が著しく低下するように。

昨年から、近くに暮らす娘家族と同居することになった。

現在は、要介護1(排泄や入浴などで一部手助けが必要な状態)の認定を受け、デイケアやショートステイも利用しながら、この職場に通っている。

はたらくきっかけを作ったのは、この日の勤務に同行していた娘のMさんだ。

同居する中で、母の認知症による物忘れや被害妄想、暴言、暴力などの症状が増えていき、市の相談施設に行ったところ、認知症の人と地元企業をつなぐ「オレンジ人材バンク」について教えてもらったと話す。

Jさんの暮らす福岡市では、高齢化率の上昇が続き、2040年には4人に1人が高齢者になると予測されている。

その中で、認知症の人が自分らしく生きる場の創出のための「オレンジ人材バンク」が2021年からスタートした。

地域のためにはたらきたい認知症の人と、はたらき手を求める企業。

両者をつなぐ役割を福岡市が担っている。

現在参加しているのは、21人の認知症の人たち。

Jさんのように企業ではたらいたり、モニターとして企業の商品開発に協力したり、さまざまな仕事がある。

娘のMさんがそれを話すと、母から返ってきたのは「やってみたい」という答えだった。

「普段母は、10秒前の出来事を覚えていないこともよくあります。でも、身の回りのことは変わらずできて、残存機能がたくさんある。その力を社会で生かすことで、母が笑顔で過ごせないかなと思ったんです」

Mさんは母について「常に目標を持って生きてきた人」と話す。

病院で働きながら大検を受け、准看護師だったところから正看護師の資格を取得したり、第二の人生で自分の店を開いたり。

挑戦し続ける母の姿を見てきたからこそ、介護施設でサポートを受けるだけでなく、誰かのために何かをすることが、母の性に合っているように感じたと言う。

現在は、娘のMさんが仕事の合間にカフェベーカリーに同行し、作業を共に行っている。

ニンジン1本を切り終えると記憶がリセットされるため、次の1本を切る前に、他のスタッフがもう一度切り方を説明する。

仕事の工程を繰り返し伝えるのが決まりだ。

仕事を終えると、はたらいたことを忘れるJさん。

娘のMさんは「本当は覚えとってほしいけど」としばらく黙った後、こう言った。

「でもそう思うのは、こちらのエゴかもしれないなって。何をしたか忘れても『嬉しい』『充実している』という感情は残ると思うから。その一瞬一瞬を重ねられたら」

これまでの道のりをJさんは振り返る。

「看護の仕事も料理の仕事も、一生懸命やってきたなぁと、思い返すと何だか涙が出ます。なんで自分にあそこまでできたのか。もう一度心燃えるものに出合いたいという気持ちがあります。やっぱりこの年になると、気力が落ちて、そういう気持ちもどんどん失っていく気がして。自分のことがよくわからなくなるときもあるんです。でも、人間というのは、自分が心に決めたことは絶対にやれるもんだと思いますよ。だから、自分がやりたいと思ったことは、捨てずに持っとったほうがいい」。

Jさんは確かなまなざしでそう話した。

最後に給料の使い道を尋ねると、ビアガーデンに行きたいと話すJさん。

「やっぱりビールはジョッキで飲まなきゃ」という言葉に、周囲のスタッフたちがどっと笑った。

靴べら作りをする大手建設会社に勤めていた男性「角がとがっていると痛いから、ちゃんと丸くしないとね」。

そう言いながらシュッシュッと小刀で竹を削るのは、三村さん(88)。

作っているのは、竹製の靴べらだ。

ここは、神奈川県相模原市にあるデイサービス施設「BLG相模原」。

認知症の人たちが地域や社会、仲間とつながる活動の一環として、地域から依頼される仕事を有償ボランティアという形で請け負っている。

仕事の内容は、地元の薬局やマンションの清掃、チラシのポスティング、近所の子どもたちが集う駄菓子屋の運営など。

はたらいた分の謝礼は、月に数千円ほどメンバーそれぞれに支払われる。

現在三村さんは週2回ここに通って、ポスティングや清掃などをしている。

靴べら作りは、1カ月前に他のメンバーが行っているのを見て、自分もやってみたいと始めた。

今後、地域の公共施設や個人商店などでの販売を目指している。

「やっぱり物づくりは楽しいよ。作ったものでみんなが喜んでくれるのは嬉しいし、意欲がわいてくる。家にいたって、ぐで~として何もしないから。私にできることがあるなら、どんどん使ってほしい」と、三村さんは穏やかに笑う。

もともと建設会社で設計の仕事をしてきた三村さん。

定年退職してしばらく経った2019年、大動脈瘤の手術をして、アルツハイマー型認知症の診断を受けた。

その後、同じ食品を重複して購入したり、賞味期限切れに気づかなかったりといった症状が見られるように。

2023年10月にこの施設がオープンしてすぐ、ケアマネージャーの紹介で通い始めた。

昨年末、三村さんは1カ月半ほど入院して、要介護3から要介護4(日常生活のほぼすべてに介助が必要な状態)の認定を受けた。

認知機能の低下のため、主治医は自宅に戻ることに反対。

退院直後は週6日ショートステイに滞在することになった。

そんな中で、週1日ここではたらくうちに、身の回りのことを自分で行う感覚を取り戻していった。

今は家で暮らしたいという希望通り、週3日自宅で生活をしてここに通っている。

「一緒に靴べら作る?」と誘う三村さんに、「お、やってみるかな」とメンバーの柳澤さんBLG相模原では、毎朝その日にやりたいことを自分で決めるのがルールだ。

三村さんのように仕事をする人もいれば、部屋でゆっくりお茶を飲んで過ごす人もいる。

この施設の管理者・伊藤知晃さんは話す。

「はたらくことはあくまで選択肢の一つであって、何もしたくないという選択肢があってもいいんです。自分のしたいことを自分で決める。人として当たり前の尊厳を、ここでは大事にしています」

三村さんは「いろいろな活動をしながら、みなさんとお話できるのが何より嬉しい」と語る。

仕事を通して得た仲間と居場所が、ここにはある。

“はたらく”ことは社会参加の手段「はたらくことは、認知症の人が社会参加をする上での手段の一つです」。

そう話すのは、認知症の人が社会とつながるコミュニティー「BLG」を全国に広げる取り組みをする100BLGの代表・平田知弘さんだ。

2012年に東京都町田市の介護事業所から始まったBLGは、現在BLG相模原を始め、全国18カ所の拠点ができている。

「そもそも、認知症と診断された途端、できることを周囲から制限され、ストレスや生きづらさを抱える人はとても多いです。『火事になるから料理はしなくていい』『けがをするから外に出なくていい』。そうやって周囲が先回りすることで、本来自分でできることもどんどん奪われていく。そして自分の意思とは異なる生活を余儀なくされた結果、自信を失い自発性が封じ込められたり、自分らしく生きることを諦めたりする当事者がたくさんいます。ですが、誰かのために何かをすることで、自分の価値を再認識できたり、自分はここにいてもいいと思えたりする。はたらくというのは、そのための一つの手段になりうると思います。同時に、あくまで手段にすぎず目的ではない。大切なのは、社会や仲間とのつながりが切れないこと。そして自分が望めば、その人なりの役割を担えること。それはつまり、認知症であってもなくても、地域に生きる一人の人として、ごく当たり前に生きることにほかなりません」

実際に、認知症の人がはたらく際には、多様な仕事がある。

例えば、冒頭のJさんのように、経験やスキルを生かす仕事。

清掃やポスティングといった、体を使う仕事。保育園児たちと過ごすなど、その場にいることが価値となる仕事。

当事者の相談に乗ったり、モニターとして商品開発に協力したりといった、当事者経験を生かす仕事。報酬の有無やはたらき方もさまざまだ。

「自分がしたいことを探す場合は、まずは地域で認知症の人たちとつながるコミュニティーを見つけられるといいと思います。近年、私たちのような民間団体も少しずつ増えています。そうした場で何かつぶやいてみることで、誰かが拾ってくれたり、新たな出会いが生まれたりして、思いを形にできるかもしれません」

「自分がしたい」ことを「自分で選択」すること認知症の人がはたらくことは、医師の視点ではどのように見えるのか。

長年認知症の人やその家族との対話を続けてきた、日本認知症ケア学会理事長の繁田雅弘医師に話を聞いた。

「はたらくこと自体で、認知症の人の脳の状態が改善するわけではありません。でも、はたらくことが、その人にとっての生きがいになるなら、それはその人にとって大きな意義になります。自分がしたいことに自分から取り組むことで自分に残っている能力を発揮する機会になり、能力の維持にもつながるでしょう。米国では、生きがいを持っている人は、アルツハイマー型認知症になって脳の病理的変化が進んでも、認知機能の低下が起こりにくいという研究結果も報告されています(※)」

そもそも認知症の中でももっとも割合の多いアルツハイマー型認知症は、「軽度」から「中等度」「やや高度」「高度」へと、ゆっくり年月をかけて進行する。

特に近年は、医療と介護技術が進み、進行スピードはかなり緩やかになってきたと繁田医師は語る。

「すべての人が高度に至るわけではなく、軽度や中等度の状態を維持したまま、寿命を全うする人も増えていると感じます。ですから認知症になった途端、何もできなくなるというのは大きな誤解。したいことやできることをなんとか見つけて、自分の意思で選択し、それに取り組むことが、その人らしい生活を続けることにつながります。自分で選ぶというところが大事です」

医療現場においては、昨年から、アルツハイマー病で脳に溜まるたんぱく質を除去する新薬レカネマブが保険適用となった。

この活用についても、その人がどう生きたいかに沿った判断が大事だと繁田医師は言う。

「薬への期待が高まっていますが、これは進行を止める治療ではなく、あくまで進行を遅らせるもの。メリットとデメリットを理解した上で選択することが大事です。例えば、副作用の可能性があることや、治療費が安価ではないこと、2週間に1度点滴を受ける必要がある一方で、進行の速さを2割か3割遅らせるという効果をどう考えるか。ご家族からは『先生ならどうしますか?』とよく質問されます。今の僕なら『家族のために仕事を続ける必要があれば、治療を受けるかな。でも退職していたら治療を受けず、家族と長い旅行に行きたい』と答えるかもしれない。何を大切にして生きたいかは、みんな違う。家族も私たち医師も、本人の意思を引き出すサポートをすることが大事だと思います。医師を選ぶ際にも、そのための情報提供を惜しまず、一緒に悩んでくれる人を選ぶことだと思います」

2024年1月、認知症基本法が施行。

政府は「認知症施策推進基本計画」の素案において、「認知症になったら何もできなくなるのではなく、できること・やりたいことがあり、住み慣れた地域で仲間とつながりながら、役割を果たし、自分らしく暮らしたいという希望がある」という考え方を、まさに「新しい認知症観」として打ち出した。

100BLG代表の平田さんは語る。

「従来の価値観をアップデートするためには、認知症の人とそうでない人の接点を、意識的に社会に埋め込んでいくことが必要です。例えば、はたらく活動以外に、学校や企業研修などで、認知症の人が日々リアルに感じていることを話す取り組みも少しずつ広がっています。今後は、さらに日常のあらゆる場面での接点を増やし、認知症の人たちが社会に混ざっていく仕組みづくりが必要です」

認知症になった後も、それぞれの人が持つ固有の価値を発揮しながら、当たり前に暮らす。

その実現に向けて、社会全体の価値観や仕組みが今変わろうとしている。

参照元∶Yahoo!ニュース