「心ない言葉は、はじき返せる」 バッシングでうつ病になった兒玉遥さん、いま大切にする「自分の基準」

マイクを持っているアイドル

アイドルグループ「HKT48」元メンバーで、俳優の兒玉遥さん。ファンや周囲の人たちに認められたいと頑張り過ぎて疲れていた時、SNSで大量の誹謗(ひぼう)中傷が押し寄せ、うつ病になった。

ストレスから過食にも陥り、2度、休業もした。

「他人の評価を基準にせず、自分が幸せか、満足しているか、『自分の基準』を大切にしたらハッピーになる。しっかり休むことも大切です」と呼びかける。

小さな頃から人前に出るのが好きで、アイドルになる夢を描いていた。

学級委員になったり、劇の主役に立候補したりと活発な子どもだった。

そんな自分がうつ病になるなんて、思いも寄らないことだった。

アイドルになるきっかけは、父が見つけてくれた「HKT48」のオーディションだ。

地元・福岡を離れて東京に出るほどのガッツはなく、二の足を踏んでいた中学生の時、「地元を離れずに憧れのアイドルになれる、最高のチャンス」と思い、応募した。

オーディションの時から、歌や踊りで他の人との力の差を感じていた。

合格後は「グループ内でどう個性を出すか」「衣装がかわいく見えるようにもっと痩せなきゃ」と必死だった。

徹夜でダンスの練習をしたり、炭水化物を取らない食事制限を続けたり。

自信のなさを克服しようと必死で、自分を追い込んでいた。

HKTのメンバーになって5年がたとうとしていた2016年、新曲を歌う16人を決めるAKB48グループの「選抜総選挙」で9位になった。

初の選抜入り。

目標を達成してうれしいはずなのに、既に疲弊していた。

選抜入りした歴代の先輩方に比べて「自分は全然できていない」と不安が募り、仕事の前日は考え過ぎて眠れず、翌朝は体が重く感じた。

やがてぼーっとする時間が増え、グループのメンバーたちに「調子が悪そう」と心配されるようになった。

仕事の前後には、わけもなく悲しくなり、涙が出てくるようになった。

16年末のNHK紅白歌合戦で「事件」が起きた。

番組中にAKBグループの人気投票が行われ、48人の中から上位16人が下から順に発表された。

残り1位と2位になった時に、「自分が呼ばれるかも」と舞台の中央へ移動した。

ですが、名前は呼ばれなかった。

その場で号泣した。

SNSやネットの掲示板に「勘違い野郎」「めっちゃウケる」といったコメントが殺到した。

元々、ファンの反応が気になってSNSは毎日見ていた。

掲示板で嫌な書き込みがあると分かっていても、気になって見てしまう。

今なら、笑って話せますが、当時は真正面から受け止めていた。

「頑張っているのに、何で笑われるんだろう」。

言葉の刃(やいば)に心が折れてしまった。

それ以降、歌詞が覚えられず、ダンスも思い出せない。

これまでできていたことができなくなった。

会社の勧めで心療内科に行った。

うつ病と診断され、17年2月から休養した。

自分でも驚いた。

明るく前向きなはずの自分が、うつ病になるなんて、想像もしなかった。

もともと真面目な性格で、中学生の時は定期テストの成績が下がったのが悔しくて、分単位で勉強の計画を立てるようなタイプだった。

誰かに相談するという発想もなく、「今日も頑張ろう」「ずっと頑張ろう」と自分を鼓舞し続けてきた。

福岡の実家に帰ると、医師に「心の安定には、規則正しい生活が不可欠」と言われ、早寝早起きを心掛けた。

でも、起きても何もやる気が起きず、一日中ベッドに横になっている日もあった。

徐々に起き上がれるようになると、今度は「仕事がなくなる」「メンバーに忘れられる」という焦りが出てきた。

2か月後に復帰しました。無理のないよう仕事を選び、福岡をベースに月半分は東京でホテル住まいをしていた。

でも、「ちゃんと仕事ができていない。迷惑をかけている」と勝手に考え、メンバーやスタッフに腫れ物のように扱われているとも感じ、落ち込んだ。

ずっと悲しくてつらくて。

現場で涙がこぼれないよう耐えるのが精いっぱいだった。

ストレスで暴飲暴食をするようにもなった。

食べている時は、悩みや悲しみを忘れられる。

1キロの大容量のクリームチーズを容器ごと抱え、ハチミツをかけて食べたこともある。

半年で20キロ体重が増えた。

仕事が嫌になり、余計に落ち込み、うつ病を深刻化させてしまった。

「もう誰にも見られたくない、外にも出たくない」と、実家を離れている時は毎日、泣きながら母に電話しました。

でも、「他のメンバーにこれ以上差をつけられたくない」と休む選択肢を消していました。

そんな状態を見た医師に、「しっかり休まないと、健康な状態に戻るのは難しい」と言われ、復帰から8か月後に2度目の休養に入った。

事務所にも「期間を決めずにゆっくり休んでください」と言われ、やっと「休んでもいいんだ」と思えた。

それから半年は、自分の部屋で寝たきりの生活だった。

何も意欲が湧かず、あるのは絶望感だけ。

朝起きると涙が出た。

なぜかわかりませんが、ただ悲しくて、つらくて。

「みんなに迷惑をかけて、生きている意味があるのかな。自分は無価値だ」と感じていました。

そんな時、カウンセリングで医師に言われた言葉が、変化のきっかけになった。

「自分では変えられないことが三つある。一つ目はサイコロの目、二つ目は天気、三つ目は相手の心」

この頃はまだ頭にモヤがかかっているような状態で、すぐに心に響いたわけではなかった。

でも、この言葉を何度も思い返すうち、今まで「ファンやスタッフだけでなく、アンチの人たちにも認められるよう、もっと頑張らなきゃ」と自分を追い込んでいたことに気付いた。

他人の気持ちは分からないし、変えられない。

他人が自分のことをどう評価しているかという「他人基準」より、自分が頑張っていると思えるという「自分基準」にすれば良いんだと、発想を変えられた。

もう一人、私を救ってくれたのは母。

朝から泣きじゃくる私を抱きしめて、「遥は私が守る」と言ってくれた。

何があっても味方でいてくれる人がいると感じて、弱い自分をさらけだせるようになった。

まずは、スマホを開かず、SNSなどの情報をシャットアウトした生活を数か月続けた。

すると、少しずつ元気が出てきた。

車の運転免許を取ろうと思い、宮崎県の祖母宅から教習所に通った。

歌もダンスも覚えられなくなった状態からの回復を感じ、「私、できるじゃん」と大きな自信になった。

祖母宅には2か月ほどいたのですが、みんな畑仕事に忙しく、誰も「兒玉遥」のことなんか見ていなかった。

自分が思うほど、誰も私を気にしていない。

当たり前のことですが、大きな気づきだった。

次に、心理カウンセラーの資格を取得した。

芸能界に戻るつもりはなかったので、自分のように悩む人たちを助ける仕事がしたいと思ったからだ。

やがて、「旅をしたい」「友達に会いたい」と、「欲」が戻ってきた。

カウンセラーは後でもできるけれど、芸能界とは今戻らなかったら、それっきりになると思い、再復帰を決めた。

19年6月にHKTを卒業し、俳優として芸能界での活動を再開。

2年ほどの休業を経て、仕事への向き合い方は変わった。

周りが何と言おうと、頑張っている自分を認められるようになったこと。

もう一つは、自分から休めるようになったことだ。

以前は、休みの日もダンスを練習し、SNSも頻繁に更新していましたが、今はよく寝て、友達とサウナに行き、仕事を忘れてきちんと休んでいる。

今もSNSで、人を傷つける言葉を投げつける人はいる。

ですが、自分のためを思っての発言以外は、気にしなくていい。

他人の評価を基準にして、頑張りすぎたり傷ついたりしないでほしい。

自分を大切にして、自分の好きなことや、こうありたいという「軸」をしっかり持ってほしい。

そうすれば、心ない言葉は、はじき返せる。

参照元:Yahoo!ニュース