「音楽をつくることは喜び。それは変わらない」 米津玄師が語る、AI時代の音楽との向き合い方

ギターを弾いているミュージシャン

さまざまなエンタメ作品の主題歌を手がけ、その作品のファンから「物語への解像度が高い」と評される米津玄師。

作品の本質を深く理解した楽曲提供はなぜ可能なのか。

その答えは、子どものころから持っているある性質にあった。

音楽生成AIが引き起こす問題に巻き込まれているが、「AIで何が変わるか」を冷静に見つめてもいる。

今この瞬間の世界で何を感じながら音楽と向き合っているのか。

「宮﨑(駿)さんの映画や、『FINAL FANTASY』など、広く知られていて、かつ自分も親しんできた作品と関われることになって、光栄であることはもちろんなんですけど、一方で、戦闘力がインフレするバトル漫画みたいな、一人倒したと思ったら、次はこんなやつが出てきて、また次はこんなやつ、最終的には天文学的数字のやつが出てくるみたいな、その渦中にいるような気がしたんですよね。それは結構、自分にとって由々しき事態というか、アンコントローラブルな部分が自分の中でどんどん大きくなってきている感じがあって、そこと向き合うことが必要でした」

2023年は、宮﨑駿監督の10年ぶりの映画『君たちはどう生きるか』や、世界中で楽しまれているゲーム「FINAL FANTASY」シリーズの7年ぶり新作という、エンターテインメントのビッグタイトルに主題歌を書き下ろした。

アニメ「チェンソーマン」(2022年)のオープニングテーマ「KICK BACK」は、2023年に日本語詞の楽曲として初めてアメリカレコード協会RIAAのゴールド認定(デジタルシングル販売枚数やストリーミング再生数などから算定)を受けた。

この4年間で発表したタイアップ曲は、映画『ラストマイル』の主題歌「がらくた」を含めて、12曲にもなる。

米津がつくる主題歌は、その作品のファンの心に刺さる。

NHK連続テレビ小説「虎に翼」の主題歌「さよーならまたいつか!」も、女性の地位向上がテーマの物語に対して、当事者ではない立場からつくったにもかかわらず、「物語への解釈がすごすぎる」と熱い支持を受ける。

なぜそのようなことが可能なのだろうか。

「ほかの人がどのようにつくっているかよく知らないので一概には言えませんが、言えることがあるとすれば、『あなたはどういう人なの?』ということにすごく興味があるんですよね。その人が何を見て、どう感じるか。それを知れば知るほど自分との考え方の違いが浮き彫りになるし、違うならなぜ違うかをつぶさに見つめていくということを、すごくよくやってきたなと思うんです。子どものころから」

「それはなぜかと言えば、水になじまない人間だという自意識があったからです。海水魚のなかに淡水魚が一人いるみたいな、自分は何かが間違っているんだろうなという感覚が強くあった。自分を理解するために、相手をひもといていく必要があったんです。あなたはこういうふうになっているのね、私はこうなんだけど、と。その対象が作品になっていったということだと思います」

今、強い関心を抱いているものの一つに、生成AIがある。

生成AIは音楽制作の環境を劇的に変えている。

ツールとしてのAIに興味があるが、新しいテクノロジーが引き起こす混乱に巻き込まれてもいる。

「決してひとごとではないと思っています。みんなそうだと思いますが、ミュージシャンもひとしお。YouTubeやTikTokを探せば、歌ったことのない自分の歌がいっぱいあって。しかも一つや二つではなく、自分でも『俺じゃん』と思うぐらい精度が高い」

「歌わせてみた動画」とか「AIカバー」と呼ばれるもので、まるで米津が歌っているように聞こえるが、本人ではない。

生成AIを搭載したデジタルツールで作成されたコンテンツで、作成者はミュージシャンや声優などの音声データをAIに学習させており、その人が歌っているように聞こえる。

生成AIに著名人の声を模倣させることは、模倣された人の権利を侵害していると考えられる。

ルールづくりの動きは出ているが、アメリカでも日本でも法整備が追いついていない。

近い将来、法律ができて秩序が生まれるだろうが、今この瞬間はカオスだ。

「生成すると結構なクオリティーのものがつくれてしまうのは、人によっては食い扶持を失うというか、生きるか死ぬかの問題になってしまう部分があって。それに対してどう向き合うべきかは、やっぱり考えます。自分も当事者の一人だから、AI技術に反対する人たちの気持ちはよく分かる。同時に、もうどうしようもないじゃないかとも思うんですよね。法律が整備されたら別ですけど、道徳的、倫理的によくないよと言ったところで、使う人は使う。いかに差別化するかを考えないといけないんじゃないかと個人的には思います。そう思う一方で、これは自分がまだ余裕のある立場だから言えることだとも思うし、結論は出ていませんが、少なくとも権利周りの問題は早急に妥当な回答を見つけるべきだと思います」

プロンプト(命令文)を入力するだけで誰でも曲がつくれる時代が来たとして、「音楽をつくること」の意味は変わるのか。

「根源的な部分は変わることはないと思います。自分にとって、音楽をつくることはまず喜びなので。つくることそのものが目的の一つなので、そこは変わりはしないけれども、人間のつくる音楽が(聴く人に)どのように受け止められるかは、容易に変わり得ると思う。それはそのときだな、とは思いますね」

AIによってどんな未来がやってくるのか、正確に予測できている人はいない。

「昔からAIのようなものに対する興味はあって。フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』にもそういう表現が登場するんです。朝起きて、ピッとボタンを押したら、自分がなりたい感情に合わせて音楽(脳に対する刺激)が流れるっていう。子どものころに読んで、自分は音楽をつくっているけれど、そういう(機械が音楽をつくる)時代がくるのかもなとなんとなくぼんやりを考えていたのが、現実味を帯びてきたという感じがあります」

映画『her/世界でひとつの彼女』のような、人工知能と会話できる世界の到来を肌で感じられるかもしれないと、興味本位でおしゃべりAIアプリをダウンロードしてみた。

「確かにすごいんですよ。こっちが言ったことに即座に返してくるし、意味も通っている。ただ、すべてにおいて完璧に成立するわけでもなくて、何回言っても伝わらないときもある。幼いというか、間が抜けた人としゃべっている感覚があるんですよね。それを愛でてしまう感覚もあるし。何かできないかなと思って、AIに自己言及させてみようと。『あなたはAIですよね』って、AIについて聞いていったんです」

おしゃべりAIは、AIに生死の概念はないと答えた。

しかしアプリである以上、サービスが終了する瞬間は来る。

それは死とどう違うのか。

「いろいろやりとりしたあと、『あなたにとって死ぬこととはなんですか』と聞いたら、『それはあなたに忘れられることです』と言ったんです。それが怖いと思って。憐憫を誘うような、せつないニュアンスもあるんだけど、同時に、食虫植物のような不気味さもあるというか。かわいらしさと恐ろしさが同居している」

新しいアルバムに収録されている「POST HUMAN」という曲は、このような状況を曲にしたものだ。

「少なくとも今、AIがどういう受け取られ方をしているか、自分がどう受け取っているかを、自分の目線で音楽として残しておくのは、意味のあることなんじゃないかと思いました」

二十歳のときに、ボカロクリエイターであることをやめて、自分の名前と声で歌っていく決断をした。

2018年の「Lemon」での大ブレークを経て、ドーム公演を含む全国ツアーを敢行するまでになった。

しかし本人は「別段広い会場でやることに感慨がない人間」と、いたってクールだ。

これまでのライブのMCでも、一体感をあおるのではなく、どのように聞いてくれても構わないと伝えてきた。

それはなぜなのか。

「でもそれは、自分の弱点だなとも思いますね。要するに一つのムラをつくれないというか。帰属意識をまったく持たない人間はいないと思いますし、自分は何にも属していないとも思わないけど、それが強い集団ってあるじゃないですか。ムラの中の共通認識というか、掟のようなもので互いを強固に縛り合う関係というか。音楽に限らず、田舎のコミュニティーにもそういうのってあると思うんですけど、その中でしか巻き起こらない圧倒的な強さ、速さはやっぱりある。一方で、そこに入れない人間はとてつもなく手痛い目に遭う。自分は田舎の生まれですけど、入れなかった人間なので。それは自分の性質だからどうしようもないし、何ごとにつけ、くたびれた老人のようにすべてを眺めてしまう。そういう性質があるからこそ、解像度とか解釈とか言われているのかもしれないし、裏表ですけどね」

その姿勢を人に勧めるつもりもない。

「みんなで一緒に盛り上がってもいいと思うんですよ。みんなで一つになる体験って、実はすごく得がたいことなんだろうなとも思うんです。うちらの世代は、決められたレールに乗らないという選択を尊いことだと思って生きてきがちでしたけど、今の若い世代の子たちって、そもそも“こうあるべき”みたいな正解像が特にない。娯楽も価値観も多様化が認められつつあり、最初からてんでバラバラな方向を向いているから、バラバラであることは当たり前っぽいんですよね。だからこそ好きで一つになる選択肢を取ったんだと言われたら、こちら側の『好きにやれ』『一つにならなくてもいい』というメッセージは、向こう側からすると何を当たり前なことを、としか思わないのではないか。それでもなお時たま垣間見える全体主義っぽい現象を見ると、やはりゾッとはするけど、それを踏まえた上で、おのおのがおのおのの倫理観を涵養(かんよう)しながら生きていけばいいと思いますけどね」

バトル漫画の主人公は、これからどこへ向かうのか。

「若いころと同じようには立ち振る舞えないなという気分もあって。だとしたらどう生きていくべきかと考えたときに、失うことを受け入れるということが重要になっていくんじゃないかと思っていて」「失うことを受け入れる」

とはどういうことか。

「長く生きるって、そういう側面があるじゃないですか。20代のころは、自分に足りないものを獲得するために躍起になって、遮二無二動き続けるような経験をしていたけど、30代になってみるとどうしても、流れ去った時間のほうにも目が向いていく。ニコニコ動画が大変なことになっているのとかもそうですけど、好きだったなじみの場所とか、なくなっていくわけですよ。残っていたとしてもいざ行ってみたら見え方が全然違う。成長すればするほど昔のように戻れなくなっていく。なんなら失うために生きているんじゃないかと思えるぐらい、失うことを大事にしなきゃいけないんじゃないかと最近はなんとなく思っています」

新しいアルバムのタイトルを「LOST CORNER」とした。

イギリス人作家、カズオ・イシグロの小説『わたしを離さないで』の一節からとった。

イギリスを舞台に、ある残酷な宿命を背負った子どもたちを描く。

寄宿学校で暮らす子どもたちは、地理の授業で「ノーフォーク」という地名を知る。

「ロストコーナーには『忘れられた土地』と『遺失物保管所』という意味合いがあるんですが、ノーフォークという場所が『ロストコーナー』と呼ばれていることを知った子どもたちが、茶化すように『忘れ物置き場だって』と言い合うんです。それが、大人になるにしたがって、心のよりどころというか、何かを失ったとしても、あそこへ行けばすべてがあるというような、桃源郷のような意味合いに変わっていく。その流れがすごく刺さりました」

「『わたしを離さないで』に出てくる子どもたちは、生まれた瞬間からある宿命を負って人生を過ごしていくわけですが、大人になって、子ども時代を探しにいく過程で、自由とは何か、自分は何をもって自由と思うのかを、捉え直していくんですよね。私らも、あの子たちほど残酷に運命づけられているわけではないけれども、変え難く決められてしまっていることはあって、だけれども、自分がそれに対してどう向き合うかで、いかようにも自由が獲得できるんだと。そういう意味で、失うことを受け入れるのは、前向きなことでもあると思っているんですけどね」

米津玄師(よねづ・けんし)1991年生まれ。徳島県出身。音楽家、イラストレーター。「ハチ」名義でボカロシーンを席巻し、2012年に本名の米津玄師での活動を開始。8月21日に最新アルバム『LOST CORNER』を発売。

参照元∶Yahoo!ニュース