大木凡人、大動脈解離を経ても「生涯現役」 芸能界最強説は本当か「ガードマンもやった」

タレントをイメージした写真

丸くて愛嬌のある顔におかっぱ頭と大きな黒縁メガネがトレードマークのタレント大木凡人。

1982年に始まったTBS系『街かどテレビ11:00』のサブ司会など多くのテレビやラジオ番組に出演してファンには「凡ちゃん」と呼ばれて親しまれている。

2015年に大動脈解離に襲われたが九死に一生を得て、79歳の今も元気で生涯現役だと愉快なトークで周囲を笑いに包む。

サービス精神旺盛で柔和な印象だが空手の経験が10年以上あり芸能界最強説もある。

凡ちゃんのあまり知られていない素顔に迫ってみた。

そもそも、なぜ芸能界入りしたのか。

「23歳の後半までヤマハのピアノ・エレクトーンの営業マンをやった後、大阪の宗右衛門町のキャバレーで働くことになりました。そこは専属歌手3人のほか松竹芸能、吉本興業から来たゲストも出演するお店。店の司会者が病気で倒れ、しゃべりが達者だからと代わりを頼まれたのが芸能界を目指すことになった発端です」

大阪の店で司会をやるうちに本格的に芸能界を目指そうと思い始めたという。

「僕は研究熱心なタイプ。上京して東宝アカデミーに2年、東映演技研修所でも2年、演技や滑舌、ダンスの勉強もしました。昼は学校、夜は銀座のキャバレーで司会者として働き、その後、日本一の予算で運営するキャバレーのロイヤル赤坂でも働きました。そこは来日したグレン・ミラーオーケストラやプラターズも出演するような店です。その後、その店のショータイムが終わったらうちの店にも来て司会とプロデュースをやってほしいと、同じ赤坂にある会員制クラブから誘われました。オーナーに僕の好きな毛ガニを毎日食べさせてくれるからと言われましてね」

熱く語る姿に司会への誇りと情熱を感じる。

目指していたのは日本一の司会者かと思ったが……。

「東映演技研修所の先生に『君は何を目指しているんだ』と問われたことがあります。僕は『メロドラマの主役を目指しています』と冗談で答えました。すると先生は私の先輩を呼んで『鏡の前に連れて行け』と言い、僕は皆に笑われました」

優の才能はともかく、ネタを毎日8つも作り飽きさせないしゃべりの才能は評判となった。

客として来ていたTBSの人からラジオをやらないかと声をかけられた。

1979年にTBSラジオ『大沢悠里ののんびりワイド』内の企画コーナー『凡ちゃんの商店街あの店この店』でラジオデビューとなった。

「僕はアドリブでいくらでも話せますし、ネタも毎日たくさん書き、世界中のジョーク集も100回ぐらい読んでいましたから、番組で年末の商店街を8分13秒で周ってくれと言われてもすぐにできました。ラジオをやっているうちにテレビの話も来て『街かどテレビ11:00』『風雲!たけし城』やとんねるずの番組などに出演して一気に僕を知ってもらえるようになったという流れです」

ここでトレードマークの髪形と伊達メガネについて聞いてみた。

「テレビに出演しはじめた頃だったかな。それまで短い髪のアイパーだったんです。両親に『人と話す時は相手の目を見て話しなさい』と言われて育ってきたのですが、周りからは『目つきがきつい。だからケンカをうられるんだ』と言われていました。それで、強面の印象を払拭するため伊達メガネとおかっぱにイメチェンしました」

「ケンカ」が気になったので聞いてみると思わぬ言葉が……。

「僕、意外と強いんですよ。営業マンのあとは実はちょっとガードマン人生もありまして(笑)」

身長180センチ余りのがっしりした体格。

確かに強そうだ。

「空手は営業マン時代からやっていて選手権にも出場していました。昔は見た目のせいかよくケンカをうられていました。1対5のときもありました。でも、自分からケンカをうったことは1回もありません!」

空手のキャリアを聞いてみた。

当然、有段者だと思うが。

「10年以上はやっていました。はしご段ぐらいにしておいてください」

芸能界最強説もあるようだ。

瓦割りはどれくらいけるのか。

すると正拳突きの動きを披露。

とても79歳とは思えない迫力だ。

「正拳突きで10~14枚です。新しい瓦なら10枚、古い瓦なら14枚割れます。僕は古めが好きです(笑)」 

ガードマンの話も気になる。

「実は芸能界に入ってからもスポーツ界の有名人、たとえばアントニオ猪木さんや横綱・千代の富士さんのガードマンもやったことがあります。ファンが大勢集まり、もめごとが起きたりする場合に備え、大木さんなら丸くおさめることができるので頼むよと依頼されました」

50年近い芸能人生。

思い出に残る仕事を聞いてみた。

「映画『アポロ13号』でトム・ハンクスが演じた宇宙飛行士キャプテン・ラヴェルにインタビューしたことが印象に残っています。

宇宙から見たら親指でも隠れるような小さな地球で戦争なんてやっている場合じゃないと平和を訴えていた姿が目に焼き付いています」

最後にどんな芸能人生だったかと振り返ってもらおうとすると、語気を強めて返事が返ってきた。

「僕は芸能人生が終わっているとは思っていません。ですから振り返ってどうだったと考えたことはないです。今も毎日、滑舌を良くする練習をしていますし、電車に乗れば、窓の外を見て、声を出さずに景色、雰囲気を織り交ぜながら頭の中でしゃべっています。もうクセですね。どのくらいしゃべれますかと聞かれて、1時間しゃべれます、2時間しゃべれますはアマチュア。僕は死ぬまでしゃべれます。ネタは20分ごとに変えます。20分以上同じネタが続くと聴いている人は飽きますから。常にいろんなネタを考えながら生きています。生涯現役です」

話していると人を楽しませることが生きがい、使命と感じていることが伝わってくる。

名刺もユーモアたっぷり。

「この名刺を3枚集めると靴ベラのかわりになります」「棚からボタモチという言葉が大好きな男です」などと記されている。

参照元∶Yahoo!ニュース