「47歳で第一子」誕生の男性が24年勤めた《リクルート》を辞めて移住&”専業主夫”になるまで 今も「養ってもらっている」訳ではない理由とは?

家族をイメージした写真

23人に1人――。

妻との間に第1子が生まれた男性のうち、45歳以上の男性の割合だ。

まだまだ多数派ではないが、20年前の「67人に1人」に比べ、格段に増えている。(厚生労働省「人口動態統計」2003年、2023年報を基に筆者集計)。

アラフィフからの子育て、と聞くと「経済面、体力面ともに大変そう」とネガティブに捉える人も少なくない。

しかし、当の本人たちはどのように感じているのか。

本連載では、45歳以上で「パパデビュー」した男性に、リアルな子育てライフを聞く。

第7回は、元リクルート社員・現在は専業主夫となった河野さん(57歳)にお話を聞いた。

「会社を辞める、家を建てる、子どもが生まれる。いっぺんにその3つが重なったのが、2015年の4月です。人生が変わった1カ月でしたね」

河野さんは現在57歳。46歳で再婚し、その1年後に第1子となる息子さんが、52歳のときに第2子となる娘さんが生まれた。

12歳年下の妻は子ども向け英会話スクールを経営している。

河野さんは第1子の誕生を機に24年間勤めたリクルートを辞め、妻の地元に家を建て、専業主夫として家庭を支える日々を送ってきた。

リクルートといえば、「リクナビ」「スーモ」「ホットペッパー」などを運営する大手webサービス企業だ。

実力主義の企業風土で知られ、リクルート出身の起業家は数知れない。

なぜ河野さんは「第1子の誕生」と「家を建てる」という、人生の中でも多額の資金が必要となる人生の節目で、誰もが羨むような大企業を辞めるという選択をしたのだろうか。

1991年、河野さんは新卒でリクルートに入社。

求人サイトの法人営業として、新規顧客開拓、既存顧客との関係の維持・強化に尽力した。

入社当時は研修の一環として、社外の人間と名刺を交換し100枚獲得するという「名刺100枚獲得キャンペーン」なるものが実施されていた。

昔ならではの泥臭い方法かもしれないが、現場感覚や仕事に対する耐性などが大いに鍛えられるという。

「量は質を凌駕する、っていう言葉が社内でもありましたね。社内研修がものすごく充実していました」

河野さんの実家は北九州にある。

家業は銭湯を営んでおり、父は外で会社員を、母は家業の手伝いをしている忙しい両親だった。

他に12・13歳年上の兄姉がいたが、実質的には「大人の中にひとりだけ子どもがいる」ような状況で育った。

「僕自身、親が高齢のときに生まれた子でした。みんな忙しくて、割とほったらかしで育てられたわがままな子どもだったんです。それが大人になって災いして、会社に入ってから大変な思いをしました」

「自分が全部正しい、周りは馬鹿」「型にはめられるのが嫌」「基本的な挨拶ができない」「問題が起きると言い訳を考え、周りのせいにする」。

そういう若者だったと話す。

自己中心的で他責思考の若者が、自己を省みるまでに成長できたのは、徹底的な社員教育のおかげだという。

「例えば『360度評価』という研修では、同僚・上司・顧客先まで、自分の見た目から行動などに関するアンケートをお願いするんです。びっしりと項目がありましたが、20〜30人分くらい集計します。それを踏まえ、周りからの評価と自分自身の評価について講師からとことん詰められて、今後の行動をどうするかを決める。それを部署に持ち帰り、アンケートに答えてくれた同僚・上司の前で表明する。すると、その内容をまた厳しく指摘されまくる」

今の時代には合わないかもしれないけど、と河野さんは言い添えつつも「そういうことを繰り返して、やっと客観的に自分を見られるようになった。そこからだいぶ変わりましたね」。

その後、河野さんは社会人として成長の場を与えられ、地方を中心とした延べ1000社以上の企業をまわる営業のプロとして活躍した。

その経験が今の子育てにも生かされているという。

しかしその前に、まずは河野さんの結婚歴からたどっていくことにする。

初婚は32歳のとき、スピード婚だった。

結婚生活は10年ほど続いたが、最終的には性格の不一致により終わりを迎えた。

離婚後は配属先の長野で一人暮らしをしていた河野さん。

ある日フェイスブックのタイムラインに流れてきた、ひとりの女性の投稿に目が留まる。

「きれいな人だな」。

一目惚れだった。

「まったくつながりはないんですが、どうしても気になってフェイスブック上で声をかけました。そこから徐々に仲良くなって、妻の地元で食事をしようかということになって。1年くらいお付き合いをして、結婚に至りました」

ちなみに今の妻とは12歳差。

「とんでもなくプラス思考で、前しか見えない人。僕はその後ろをついていっている感じ」だという。

河野さんはすでに実家に戻る予定はなく、妻は当時、東海地方の地元で子ども向けの英会話スクールを開業したばかり。

自然と「結婚後は妻の地元に移住し、家を建てて一緒に住もう」という流れになった。

また、ちょうど会社からも「この期間に退職すれば、退職金を大幅に上乗せする」という通達が出たタイミングでもあった。

まさにその頃、河野さん自身も会社員としての進退について考え始めていたため、これを機に思い切ってリクルートを去ることを決めたという。

しかし、専業主夫になる他にも、新たに働き口を見つける選択肢などがあったはずだ。

「まあでも、今までそこそこ頑張ってきたし、奥さんも忙しいだろうからと思って。専業主夫をやりたいとも別に思ってなかったんですけどね」

その選択を、妻も「いいんじゃない」とまったく否定しなかったそうだ。

専業主夫になって約10年経った今、家計のやりくりについて伺うと「家にかかるお金はほとんど僕が出しています。食費、光熱費もそうですね。家は即金で払ったのでローンもないです。子どもの習い事の費用は、妻が出してくれているかな」と驚きの回答が返ってきた。

リクルートを早期退職し、家の建築費用はその退職金を使い一括で支払った。

現在、家にかかる費用は「年に1回支払う固定資産税くらい」。

しかし専業主夫である今でも、食費、光熱費など生活に関わる主な支出のほとんどは河野さんが担っているという。

一体どういうことなのだろうか。

「僕の貯金と、あとは資産運用をしています。株の取引ですね」

子どもたちを学校や保育園に送り出した後、午前中の時間のほとんどは株の取引に費やすという。

このような家計資金の捻出方法を実現させるためには、まず大きな元手が必要なのは言うまでもないが、河野さんのようなポジティブな資質と、冷静に大局を見て資産を動かすセンスが合わされば、可能なのかもしれないと感心するばかりだった。

また、お金の使い方は、結婚前と結婚後で大幅に変わったという。

「以前はかなり適当でした。値段も見ずに趣味のものを買ったり、飲みに行ったりしていました。でも今は『これから子どもがどういう風に育っていくか』という視点で使うようになりましたね。でも結局は、半分自分のためでもあります。親が楽しく生きていれば、子どもも楽しく生きられるだろう、って」。

参照元:Yahoo!ニュース