《家族と絶縁20年》電波少年・坂本ちゃんの知られざる過去「お金たりない」家族に無心され1000万円渡した「その後」

マイクを撮影した写真

『進ぬ!電波少年』で一躍有名になった坂本ちゃんですが、ブレイクの裏で家族の借金を肩代わりする生活が続いていた。

電波少年の手元に残ったギャラは、わずか5000円だったと言う。

── 高校卒業後は数年の大学の浪人を経て大学にはいかず、地元・山梨の書店に勤務。27歳のときに子どものころから憧れていた芸能界の仕事に就くために上京しました。当初は役者を目指して劇団に入りましたが、33歳のときに今の事務所に所属し、芸人としてスタートをきります。2000年にテレビ番組『進ぬ!電波少年』の「電波少年的東大一直線」に出演すると、一気に知名度が上がりました。

坂本ちゃん:『電波少年』のお話をいただいたときは、芸人としてすごくチャンスだと思いました。番組が用意した部屋に家庭教師のケイコ先生と住み込み、2人で東大合格を目指して8か月勉強する企画でした。

勉強が大変だと思うことはありましたが、それ以上に部屋が快適でしたね。もともと私が住んでいた部屋は、6畳一間で風呂なし、エアコンなし。夏は極暑で冬は冷えましたが、番組が用意してくれた部屋は好きなときにお風呂に入れるし、エアコンも完備されていて、成績が上がれば食事も豪華になったので、当時の私にとっては意外と快適だったんです。

── 電波少年の出演のギャラで、家族に金銭面の援助をしていたそうですね。

坂本ちゃん:私が20歳のときに父が亡くなって、母はその後に病気を患い、半身麻痺の体になっていたんです。私には兄と弟がいますが、兄は私が電波少年に出る前から消費者金融でお金を借りていたらしく、番組に出るころには家族と音信不通になっていました。弟は働いていましたが、弟もどこかでお金を借りて、借金がかさんでいたようでした。

とにかく実家が貧乏だったので、母と弟に頼まれて家族の借金を僕が払うことになったんです。電波少年に出たといっても、半分素人だったので、みなさんが思うほどギャラは高くなかったんですよね。それでも家族のために借金を返し、私の手元には5000円だけ残った感じです。

── 電波少年の企画が終わってからはオファーが殺到。最高月収もすごかったそうですね。

坂本ちゃん:最高月収はたしか800万円くらいだったと思います。ただ、お金持ちになりたかったから芸人を目指したわけではありません。子どものころから地味だったので、テレビの華やかな世界に憧れて、自分がテレビに出ることで、自分の存在が誰かにわかってもらえたらいいな、と思って今の世界を目指したんですね。

でも、一気にテレビに出るようになると、私にお金があるだろうと嗅ぎつけた母と弟が、また私にお金を無心してきたんです。子どものころは大好きだった母が、お金によって変わってしまってショックでした。私も仕事がたくさん入ったと言っても、順調かというそんなことばかりでもなく…。

── どういうことでしょうか?

坂本ちゃん:たしかに『電波少年』が終わってしばらくは仕事も潤ってはいたんです。でも、芸人として引き出しがないまま一気にテレビに出てしまったので、番組の収録が終わった後にスタッフさんにダメ出しされるし、自分でもやっていることに自信がないし、毎日不安を抱えたまま家に帰っていました。それでも仕事がたくさん入ってきたので焦りばかり募っていて。

そんな状況でしたが、仕事から帰ってくると留守番電話のボタンが点滅しているんです。聞くと、母のか細い声で生活が「今この状態だから、お金がたりなくて…」と入っていて。キツかったですね…。

お金を一度振り込んでも、時間が経つとまた留守番電話に母や弟からお金を無心する声が入っていました。母も弟も消費者金融でお金を借りていたようでしたが、返済しても一度借りてしまうと辞められないんでしょうね。結局、自分たちでは返済ができなくなって、また私にお金の無心をしてくるんです。キリがないので、当時のマネージャーさんに相談し、話し合いの場を設けることになりました。弟が東京に来て話しをしましたが、どうしようもない額の借金になっていると言われて。そのころは私も蓄えがあったので、家族を助けるためだと思って1000万円だったかな、一括で家族にお金を出しました。

── かなりの高額ですが、そこまでひっぱくした状態だったと。

坂本ちゃん:そうなんでしょうね。あと、自分も仕事で不安を抱えていたので、不安になるものはひとつでも減らしたいと思っていたんです。弟にどうしてそんなに借金ができたのかも聞かなかったし、聞いて現実を受け止める余力もなかったので、お金で解決するならって思っちゃったんですね。もうこれで終わりにしたいなと。

── 1000万円を一括で渡した後は、お金の無心は終わったのでしょうか?

坂本ちゃん:いえ。渡した後に、すぐにお金を無心してきました。母や弟にとって、私は頼めばお金を出してくれるだろうって思っていたのかな。自分たちで汗水垂らして働いたお金じゃないからていねいにお金を扱わなかったんだろうし、借金癖もついてるから、お金を借りることに抵抗感がなくなっていったのかもしれません。

お金って人を変えると思います。私は自分がぜいたくをする前に家族にお金を渡してしまいましたが、もしあのままお金を持っていたらどう変わっていたか、わかりません。

── 再び催促がはじまって、しばらくはお金を渡していたんですか?

坂本ちゃん:数年くらいはまたお金を渡していましたね。でも仕事がどんどん減ってきて、自分が住んでいる部屋も、さらに家賃の安いところに引っ越さないといけなくなったときに、もう家族と距離を置かないとダメだと思いました。いくら血のつながりのある家族でも、まずは自分の生活を守らなきゃと思ったんです。そこから絶縁して20年になりますが、母や弟とはいっさい連絡をとっていません。

私は何げに人がいいので、もし何かのタイミングで連絡してしまうと、またお金を渡してしまいそうだったので、完全にシャットアウトしたんです。

■悲しむかもしれないけれど、後悔はない

── 絶縁から20年経って今どんなことを思いますか。

坂本ちゃん:母と弟にはいっさい会ってないので穏やかですね。弟は家を出たようでどこにいるかわかりません。母は、あるとき区役所から連絡がきて、「母の後継人になってくれないか」と、連絡がきましたが、ていねいにお断りしました。今は施設で暮らしているようです。

母はいい歳だと思うので、いつ亡くなってもおかしくないとは思いますし、母が亡くなったと連絡がきたら、もしかしたら悲しむかもしれません。でも自分が決めたことですし、冷たいと思われるかもしれませんが、自分ができることはやったと思います。後悔はありません。今は遠くで暮らしているであろう、家族の幸せを願いながら、自分は自分で穏やかに生活できていることに幸せを感じています。

今は穏やかに暮らしている坂本ちゃんですが、近年は生活習慣の乱れから、ピーク時は体重が90キロに。前立腺肥大と糖尿病の診断も受けるなど、健康面の問題が話題になりました。しかし、病気がきっかけで自身の健康について考え直すように。現在は毎朝4時起きで7時就寝、毎日2時間のウォーキングを欠かさないなど、健康的な生活を送れるように。糖尿病の通院も無事に卒業し、来年でついに60歳を迎えるそうです。

参照元:Yahoo!ニュース