52歳でNHK退局「妻も“そのうち辞めるだろう”と」あのスポーツ名実況アナが決断理由を明かす「ラグビーW杯で… あ、後輩も大丈夫だな」

NHK本社の外観を撮影した写真

ラグビーW杯など数々のスポーツ競技で名実況を残した豊原謙二郎アナウンサーが、2025年春限りでNHKを退局した。

52歳でのステージチェンジの経緯と今後の展望を語り尽くしてくれた。

被災地の希望となった東北楽天ゴールデンイーグルス、史上初の大阪勢同士のセンバツ決勝、歴史を塗り替えたラグビーW杯、賛否を呼んだ東京オリンピックの幕開けとなった開会式……日本のスポーツ史に残る節目の瞬間をお茶の間に届けてきた豊原謙二郎アナウンサーがこの春、NHKを退局した。

新たに会社を設立し、経営者と実況者の両立に奔走している。

入局から29年、NHKの看板を背負うところにまで上り詰めた豊原は、なぜ安泰の世界から飛び出したのか。

決め手となった理由はふたつあった。

――まず率直にお聞きしますが、NHKを退局した理由は? 

「NHKのスポーツ実況アナウンサーとして、目標としてきたことを達成できたというのがあります。これはとても幸せなことです。高校時代から愛着があったラグビーは、大学選手権や日本選手権の決勝、そしてW杯と、これ以上何を求めるんだというほどの舞台を担当させてもらいました。オリンピックではロンドン、リオ、東京と実況させていただき、2期にわたって配属された大阪局時代は甲子園で多くのチャレンジをさせてもらいました。仙台局にいた2013年は楽天を1年間追いかけ、日本シリーズで実況を任せてもらえたことは本当に感慨深い思い出です」

――豊原さんといえば、NHKの老舗スポーツ番組「サンデースポーツ」のキャスターも勤めていました。

「2020年10月から3年半ほど。スポーツ界にとって厳しいコロナ禍でしたが、ナレーターとしての仕事もあり、とても充実していました。でも、いつか交代のタイミングが来るだろうとは思っていました」

――つまり、世代交代? 

「NHKのような大きな組織は、新陳代謝と言いますか、新しい血を循環していかないといけない。そうじゃないと良くないことが起こるんです。これまでの先輩たちが潔く後進に道を譲ってきたように、繋いできたものを止めるわけにはいかない、と。誰にも言われたことはありませんが、なんとなく“空気”は感じるものです」

――NHKで管理職、または指導する立場にもなれたと思います。

「もちろん、後進の育成、マネジメントのような仕事は非常に大切でやりがいのある業務であることもわかっていました。ただ、スポーツ報道を志してNHKに入り、ずっと現場でいた人間ですので。わがままを言えば、現場(スポーツ実況)の仕事は続けられたと思います。でもそれは違うよね、と。この先、何をしていくかというのはずっと考えていました」

――「サンデースポーツ」での任務を終え、2024年春から名古屋局に配属になりました。情報番組「まるっと!」のキャスターに。

「東海三県向けの報道番組を1年間、担当しました。NHKという組織は改めて地域報道に支えられてるんだと感じることができたので、勉強になる濃い時間を過ごすことができました。一方でやりたいことが他にあるということがハッキリわかってしまった、とも言える時間だったなと」

――ハッキリとわかった、とは? 

「目指すものが見えてきた、そんな中で名古屋への転勤が決まりました。報道の仕事に自分自身が生きがいを感じることができれば続ける選択肢もあったと思いますが、この1年間で自分の気持ちを「確認」したという感じです。それこそ、報道志望の優秀な後輩はたくさんいるので、私ではなくてもいいのではないかとも思っていました」

――ご家族は反対しなかったんでしょうか。

「少しずつではありますが、妻には『サンデースポーツ』が終わったらやりたいことを実現できる環境に身を置きたい、という話をしていました。『もし、辞めるって言ったらどうする?』みたいなことを3年ぐらいかけてじっくり(笑)。だから妻も、そのうち辞めるだろうと覚悟はしていたと思います」

――決断を伝えたときの反応はどんなものだったでしょうか。

「最終的には『食べていけるんだったらいいよ』という形で、私の想いを尊重してくれました。今年の春に長男が社会人になり、次男が大学2年生になる。あと2年分の学費と自宅のローンを払いながらやりくりすればいい。それならば頑張れる、と。妻はとても不安だったと思いますが、私は気持ちが顔に出てしまうタイプなので、葛藤が伝わっていたのかもしれません。“生き生き”していたほうが家庭の空気が良くなると思っていたんじゃないかと思います(笑)。先ほども言った通り、早く決断できていたので、自分としては円満退職だと思っています」

――先ほど世代交代のお話が出ましたが、後輩の方々はどういった反応だったのでしょうか。それこそ、豊原さんの実況を見てNHKに入局した方も多いと思います。

「ありがたいことに『もうちょっと一緒にやりたかった』とか『まだまだ教えて欲しいことがあった』と言ってもらえました。これは本当に嬉しかったですね。そういう意味で、勝手に決断して申し訳ない気持ちはありますね。

――後輩のアナウンサーに伝えたことはありますか? 

「辞める時というよりは、日頃から『なぜスポーツ中継をやるのか?』を考えるように問いかけはしていました。なぜ日ごろ子供番組を放送しているEテレが、それをとめてまで高校野球を流すのか、それを考えないと『打ちました』『捕りました』と単純なプレーをしゃべるだけになってしまいます。

スポーツ実況は2〜3時間の生中継の世界ですから、アナウンサーのポリシーや人生観が出るものです。正解を求めなくても良いから、自分なりに『高校野球はこういうもの』という考えがあるべきで、それがないと放送の深まりもないと私は思っていて。人の心を震わせるような実況をするためには立ち返るものがあったほうがいい。しっかりと視聴者に説明できるんです」

豊原がNHKでの実況のハイライトに挙げるシーンの一つに、2019年ラグビーW杯アイルランド戦がある。

日本代表が格上相手に勝利をもぎ取り、史上初のベスト8入りを大きく手繰り寄せた一戦だった。

実況席にいた豊原は「もうこれは、奇跡とは言わせない」と叫んだ。

遡ること4年前、2015年大会で強豪・南アフリカを撃破した歴史的な一戦でも実況を担当した豊原は、その勝利を「奇跡」と評されたことに違和感を覚えていた。

その裏には確固たる準備があった。違和感に向き合い続けた豊原だからこそ、発することができた名実況だった。

――想いを託せる後輩はいましたか? 

「それこそ、2023年ラグビーW杯では、開幕戦や予選プール初戦のチリ戦を後輩に託しました。目立つところ(地上波放送の試合)は後輩に託し、自分は(BS中継だった)イングランド戦までやらないと決めていました。その試合の実況がひどかったら『まだまだじゃないか』と出ていくつもりでしたけど(笑)、すごく立派にやり遂げてくれました。偉そうな言い方になりますが、あ、もう大丈夫だなと」

――実況者として、まだやれるという自負もあったと思います。

「すごく僭越なのですが、自分の中で元サッカー日本代表のキーパーの松永成立さんと川口能活さんの関係性を重ね合わせていました。松永さんがまだバリバリの現役選手だった頃、所属する横浜マリノスに川口能活さんが大型ルーキーとして入団してきて、守護神の座を代えられたじゃないですか。松永さんはクラブを離れたわけですが、あの時の気持ちがわかるような気がして。やれる自信があるけど、でも次の世代を担うべき人間が入ってきた。松永さんもきっと彼なら託せると思った部分もあったと思うんです。引き際や世代交代をアスリートに重ねて意識していましたね。

参照元:Yahoo!ニュース