「僕は自閉症です」客前でさらけ出す15歳の大道芸人 学校に行けなくても、障害があっても、目指す高い夢

マイクを撮影した写真

山形県北西部に位置する庄内地域。

日本でも有数の穀倉地帯として知られるこの地域に、週末のイベントや祭りにひっぱりだこの15歳の大道芸人がいる。

「ikatako」こと菅原澪(れい)さんだ。

発達障害のひとつ、自閉症スペクトラム症(ASD)の特性を持ち、小学生の頃から睡眠障害とうつに苛まれる日々を送ってきた澪さんにとって、大道芸は藁(わら)にもすがる思いで見つけた〝好きなこと〟だった。

障害があっても挑戦はできる。

プロの大道芸人という高い夢を目指すikatakoを追った。

名峰・月山を望む山形県鶴岡市。

澪さんは両親と妹、弟、祖父母の家族7人で暮らしている。

うつ傾向の強い自閉症で、集団行動が苦手。

小学生の時から学校になじめなかった。

不登校のきっかけは、1年生の時、担任の何気ない一言だった。

「担任の先生から見た時に、真剣に聞いている時の表情が怒っているように見えたらしく、『何怒っているんですか』って言われて……。そこから学校にトラウマができて……」

ASDは、他者との自然なコミュニケーションが苦手とされ、繰り返し行動やこだわり、感覚過敏、鈍感さなどが見られることが多いという。

症状は軽度から重度まで幅広いが、他者からはその症状が明確に分かりづらいため〝見えない障害〟とも言われ、生きづらさを抱える人も少なくない。

加えて澪さんは季節の変わり目にうつ傾向が強まる。

さらに日常生活を送ることを難しくさせるのが睡眠障害だ。

決まった時間に起床ができず、日中も激しい睡魔に襲われる。

規則正しさが求められる学校は、澪さんにとって疎外感に満ちた場所だった。

家からほとんど出ることのない昼夜逆転のひきこもり生活。

冬が来れば、鶴岡には地吹雪が吹きすさび、鉛色の空が部屋の窓を覆う。

どこにも行けない、どんづまりの世界で、むくむくと頭をもたげてくる自殺願望……。

朝夕に抗うつ剤を服用し、うなだれる息子を見ながら、両親も行き場のない苦悩を抱えて生きてきた。

母・晴美さんは「ひきこもりになって死にたいと言っていた時期もあった」と視線を落とし、父・健さんも「俺なんて生まれてこなきゃ良かったんだという息子の叫びを聞いた」と振り返る。

これから息子はどうやって生きていけばいいのか。

この社会で自分らしく生きるとはどういうことなのか。

ikatakoも両親も、数えきれないほどの自問を繰り返して1日1日を生きてきたのだった。

そんな澪さんが、自分の生き方を変える小さな出会いを経験したのは小学2年の時だった。

仙台市で家族と見た大道芸、特にその中でジャグリングに強い興味を抱いた。

帰宅するとすぐ道具を買い、ひたすら練習を行った。

毎日数時間、時間を忘れて没頭した。

人前で初めて大道芸を披露したのは小学4年生の時だった。

選んだのは中国ごま。

支援学級の発表会で、無我夢中でこまを回し技を決めた瞬間、同級生や保護者たちから大きな歓声と拍手喝采が湧き起こった。

これまでに感じたことのない喜びと興奮を覚えた。

大道芸をしている瞬間、いつもと違う自分が確かにそこにいることを感じた。

独学では物足りなくなった澪さんは、プロのパフォーマーのもとへ行き、教えを請うようになった。

ジャグリング、中国ごま、ダイススタッキング、曲芸――。

次々に技を修得してレパートリーを増やしていった。

そして、技だけでなく、ショーの構成、盛り上げ方、観客をひきつけるトークといったプロの技術も、目を見張る早さで吸収。

大道芸人としての腕を磨き続けた。

この頃、芸名が欲しくなり、好物だったイカとタコから取った。

この日から、澪さんはikatakoになった。

不登校は中学生になっても続いていた。

だが2022年、中学1年の時にイベントのパフォーマーとして声がかかり、道が開き始める。

自分らしい大道芸にこだわり、パフォーマンスの最後に観客へメッセージを送るようになった。

「僕は自閉症という障害をもっています。障害をもっている人たちって、何か挑戦する時に大きな壁があると思っています。僕はその壁を少しでも取り除けるようなショーが出来たらと思っています」

その真っすぐな言葉に、行き交う人々は足を止め、彼に視線を注ぐ。

ショーが終わると、地面に膝をつき、頭を下げて投げ銭を求める。

「もし僕のパフォーマンスを見て何かを感じていただけたら、こちらにみなさんのお気持ちをお願いします」

ikatakoのパフォーマンスを見た観客は、「気持ちが伝わってきてすごい感動しちゃって。すぐインスタフォローしました」「ぜひ私たちのイベントに彼を呼びたい」「私にも自閉症の子がいて思い悩んだ時期があった。彼を心から応援したい」と評判に。

中学生パフォーマーikatakoは山形県庄内地域で知られた存在となり、週末のイベントや祭りにひっぱりだこになった。

この頃、ikatakoのインスタグラムの自己紹介文には〝自閉症持ちですがなにか〟と書かれていた。

健さんはこれを見たときのことを振り返り、目を細める。

「こいつ開き直りやがった、って(笑)。学校みたいな、型にはまった、みんなで一斉に何かしようというところではやっぱりこの子には無理だったんだろうなって」

2025年3月7日、山形県公立高校入試当日。

この日もikatakoは自宅にいた。

地元の中学校へは行かず、通信教育で学んできた。

リビングのテレビに流れる県内の入試の様子を横目に、ジャグリングの練習を始めた。

この1年の間に、実に70回以上のステージをこなしていた。

「みんなと違っても、自閉症があっても、うつがあっても、コミュニケーションが苦手でも、大道芸を披露する20分間は言葉ではない『何か』を人に伝えられるかもしれない」

そんな自信と自覚が芽生えた1年間だった。

ところが、2025年春のある日のこと。

ちょっとした失敗をしてしまう。

山形の長い冬がようやく終わり、屋外イベントが開催されるようになり、ikatakoも久しぶりのパフォーマンスが決まる。

出演に向かう朝、ikatakoは抗うつ剤を誤って多く服用してしまう。

その結果、本番ではショーのテンションが上がらず、精彩を欠いてしまったのだ。

半年前にikatakoの大道芸を見て感動したという一人の男の子が、大きな拍手を送ってくれたことだけが救いだった。

健さんは言う。

「プロになったら一度(仕事を)受けたら、どんな条件でもきちんとしなきゃいけいない。きちんとした技が見せられなければ、お客さんからはいろんな批判が出てくるだろうし、この先、いろんなきついことが出てくると思う。そういうことを乗り越えて〝自立〟してほしい」

実際、ikatakoはお客さんからしつこく「学校にきちんと行けてるのか!」と絡まれて悩んだこともある。

しかし、自閉症と共に自分の道を歩みはじめた息子に、健さんはエールを送る。

「学校に今も行けなくて、学力的に言ったら、いわゆる社会的には落ちこぼれ。何をやってるんだ、って言う人はいっぱいいる。でも自分なりに生きがいを見つけ、頑張る姿っていうのは、何かしらみんなの心を打つものがあるんだろうと思います。頑張ってる姿は、誰が何と言おうと100点ですね」

「障害があっても挑戦はできる」と前を見るikatakoは通信制高校の1年生になった。

これからもステージに立ち、自らに障害があることをさらけ出しながら、ダイナミックなパフォーマンスに挑み続ける。

「できる! ぜったいできる! いけるよ!」

参照元:Yahoo!ニュース