妊娠19週で「おしりに空洞がある」と言われ、小さな体で生まれた娘の背中には600gもの大きなこぶが・・・ 生後3日での修復手術へ

NHKの工作番組「ノージーのひらめき工房」に出演している宮原紬ちゃん(9歳)は、母親の香織さんが妊娠5カ月のときに、二分脊椎(にぶんせきつい)と診断された。
二分脊椎は何らかの原因で、妊娠初期に脊髄が背骨と皮膚で覆われない状態になってしまう病気。
紬ちゃんには今も歩行困難と排せつ障害がある。
紬ちゃんの妊娠中から9歳(小学校3年生)になった今に至るまでのことを聞いた。
妊娠8カ月の香織さん。
胎児は順調に育っていた。
同い年の夫と31歳のときに結婚した香織さんは、サルコイドーシスという指定難病を患っている。
サルコイドーシスはリンパ節、目、肺、心臓などに、リンパ球などがかたまった肉芽腫ができてしまう病気。
自覚症状がないこともあるが、発症する部位によって、さまざまな症状が現れることもある。
「27歳ごろだったと思いますが、ある朝突然、息ができないほど苦しくなって救急搬送されたんです。詳しい検査をしたところ、サルコイドーシスだとわかりました。20代で発症した場合、自然治癒することもあるそうですが、私は今も治癒していないみたいで、ときどき症状が現れます。この病気を完治させる治療法はありません、皮膚にかゆみが出たら皮膚の薬、ぜんそくが出たらぜんそくの薬といったように、現れたそれぞれの症状に合わせた治療をするだけです」(香織さん)
紬ちゃんを授かったのは38歳のとき。
結婚して7年目のことだった。
「持病のせいで体力や免疫に問題があり、子どもをもつことは不安で、結婚後は子どもを作ることは考えずに過ごしていました。でも、30代後半に差しかかり、子どもを作るなら今しかないと夫婦ともに考えるようになり、それからはスムーズに妊娠しました。でも、つわりの期間は食べ物も飲み物も受け付けなくなり、栄養失調状態に。産科クリニックで数回点滴を受けました。糖分をこまめに取るように言われたので、氷砂糖やわた菓子を少しずつ口に含んでいるような日が続きました」(香織さん)
妊娠9週目ごろにはつわりが収まり、胎児は順調に育っていた。
「心音が確認でき、すごくホッとしました。ところが、ここまで診てもらった産科クリニックは、私のような持病がある妊婦の出産には対応できないそうで、地元の総合病院に転院することになりました。妊娠14週目に総合病院で初めて健診を受けたところ、経過は順調で、持病も問題ないとのことでした。初めての胎動は妊娠17週目ごろ。『赤ちゃんがいるんだね。生命の神秘だね』って、夫と一緒にとっても喜びました。私の病気もあり、安定期と言われる時期に入るまではどうなるかわからなかったから、妊娠したことをだれにも話していなかったんです。胎動を感じて、やっと親や周囲の人にうれしい報告ができました」(香織さん)
年の瀬間近の12月28日、妊娠5カ月(19週目)に、初めておなかの上からのエコー検査を。
夫婦2人で病院に行き、一緒にモニターを見た。
「最初のうちは『小顔だね~』とか言ってはしゃいでいたのですが、先生がおしりのあたりを何度も何度も確認していることに気づきました。私たちも気をつけて見てみると、おしりのあたりに丸い空洞のようはものが…。あれは何?と思っていたところ、『脊椎がうまく閉じず、中の神経や髄液が外に出てきてしまう奇形の可能性がある』という、衝撃的な言葉が医師の口から飛び出したんです。出産後に手術する必要があるけれど、年明けに再度エコー検査を行い、詳しい診断と説明はそのときするとのこと。『そのほかに悪い部分はなく、順調に育っていますよ』と最後に言われたけれど、もう上の空でした」(香織さん)
病院からの帰り道、香織さんは「心は不安で埋めつくされていた」と言う。
「久しぶりにファストフード店に行き、大好きなデミチーズグラコロバーガーを食べたのですが、何の味もしませんでした。泣きながら食べた記憶があります。自宅に帰ってからも落ち着かず、夜になっても眠けがやって来ません。リビングに置いてあるパソコンで、『脊椎が閉じない 空洞』など、健診時に聞いた言葉や気になったことを頼りに検索すると、『二分脊椎』『脊髄髄膜瘤(せきずいずいまくりゅう)』という病名がヒット。こわごわ説明を読むと、脊髄髄膜瘤は腰やおしりの上あたりから神経が出てしまい、大きなこぶができたような外見になるそう。しかも、下半身や排せつに障害が出て、水頭症なども併発するなど、悲しくなる説明ばかり続きます。たまらず、またもや泣いてしまいました。夫は寝室にいたのですが、同じように眠れず、同じように病気のことを調べていたようです。私が泣いているのに気づき、はちみつ入りのミルクティーを持ってきてくれ、『起こってしまったことを嘆くのではなく、どうすれば少しでもよくなるか一緒に考えようよ。この子のために最善をつくそうよ』と言いながらハグしてくれました。このときのミルクティーと夫の温かさは、今もよく覚えています。でも、先生に告げられた『奇形』という言葉が頭の中でグルグル回り続け、とてつもない悲しみと絶望を振り払うことはできませんででした」(香織さん)
翌日、年末のあいさつのために香織さんの実家に夫婦2人で帰省した。
「妊娠の報告をしていたから、両親や親族は顔を見た途端『おめでとう!』と言ってくれました。うれしいはずの言葉を聞くのが、こんなにもつらいなんて…。両親と私のきょうだいにはその日の夜、おなかの子の状況を伝えました。夫の両親にも年明けの訪問時に話しました。どちらの親も冷静に受け止めてくれたのが救いでした。とくに義母が言ってくれた『どんな子でも自分の子どもはかわいいものよ。置かれた場所で花を咲かせなさい』という言葉は、今でもずっと私の心の支えになっています」(香織さん)
年明けの健診までの間、香織さん夫婦はこれからのことをしっかりと話し合った。
「現実から逃げ出したい気持ちから、ほんの一瞬だけ『産まない選択』が頭をよぎりました。また、本当に産んでもいいと思っているのか、夫の本音を知りたいと思いました。正式な診断がつく前に、お互いの思いを知っておかないといけないと思ったんです。2人でとことん話し合いました。そして、この子の命と向き合っていく、障害者の両親になる、という覚悟を決めたんです」(香織さん)
その数日後、エコー検査を受けるために夫婦で総合病院へ行った。
「おしりのあたりのふくらみを、前回よりもさらに詳しく調べていました。心臓、そのほかの臓器、頭の中もじっくり見ているのがわかりました。その結果、二分脊椎と診断され、水頭症やキアリ奇形の可能性があることも告げられました」(香織さん)
水頭症は、脳と脊髄を覆う髄液が過剰にたまってしまい、脳室が拡大する病気。
キアリ奇形は、本来は頭蓋骨の中にあるはずの小脳や脳幹の一部が、頭蓋骨の出口の穴(大孔)を通って、脊柱管内へ落ちこんでしまう病気だ。
「これらのことは、年末にネットで調べていたとおりで想定内ではありました。とはいえ、実際に先生から告げられたときの衝撃は、ネットで文章を読んだときのものとは比べものになりませんでした。覚悟はしていたけれど、現実を突きつけられたことで、深い悲しみに打ちひしがれました。私がぼう然としている間に、夫は先生と今後のことを話し合っていたようです」(香織さん)
このころから香織さんは、病気のことを勉強するのは夫に任せるようにしたそうだ。
「調べれば調べるほど、悪いイメージがふくらんでいき、おなかの子に悪い影響を与えると思ったんです。病気のことを考えるのをやめるなんて、できるはずもないのですが、無理やりにでもやめようと、必死にあがきました。そんな私の気持ちとは裏腹に、おなかの子はとても元気でよく動いていました。こんなに元気なのにね…と、胎動を感じるたびに悲しくなりました」(香織さん)
国立成育医療研究センターに転院し、出産後、脊髄髄膜瘤を修復する手術を受けることが決まる。
1月末に、総合病院での最後の健診を受けに行った。
「健診のたびに病気のことが明らかになっていくのが怖くて、この日は、病院の駐車場に止めた車から降りられませんでした。『このまま産みたくない!』『ずっとおなかの中にいたほうが、この子は幸せなんじゃないの? 』と、だたっ子のように夫に訴え、泣きじゃくってしまいました。『そんなこと言ったらおなかの子どもがかわいそうでしょ~』と、まさに子どもを言い聞かせるようになだめる夫に支えられながら、のろのろと診察室に向かったのを覚えています」(香織さん)
2月頭、妊娠7カ月(26週目)に国立成育医療研究センターを初受診。
じっくりエコー検査をしたあと、今後のことについて説明を受け、2週間後の健診では胎児MRIを受けた。
「脊椎が開いている幹部は、比較的低い位置だとわかりました。低い位置ほど独立歩行の可能性が高まるそうなので、少しだけ希望が見えました。でも、排せつ障害や下肢まひによる歩行困難はあるそう。水頭症やキアリ奇形の可能性も消えていません。唯一うれしかったのは性別がほぼ確定したこと。女の子の可能性が高いとわかり、娘ができるんだと、ほっこりした気持ちになりました」(香織さん)
感染症リスクを避けるために、脊髄髄膜瘤を修復する手術は、生後72時間以内に行うことになっている。
手術日を確定し、そこから逆算して帝王切開での出産日が決まった。
「4月15日が娘の誕生日と決まりました。その前日、NICUに入ることがわかっている赤ちゃんを産む妊婦さん専用の病棟へ入院。36週での出産なので、あと1カ月くらいはおなかの中にいてもいいはずなのに、という気持ちがわいてきてつらくなりました。でも同時に、これまで一緒に過ごせた幸せに気づき、おなかの子がとてもいとおしくなりました」(香織さん)
4月15日、帝王切開で女の子が生まれた。
「泣き声を上げなかったのと、背中についている大きなこぶの処置・保護のため、娘はすぐに処置室へ運ばれました。少しして泣き声が聞こえ、よかった~とほっとした瞬間、看護師さんから『赤ちゃんが通りますよ!赤ちゃんと握手できますよ!』って。あわてて手を伸ばすと、NICUへ運ばれていく娘の手と一瞬だけ触れ合うことがきたんです。私は病室に運ばれたあと、動くことができなかったので、NICUに行けません。娘に会いに行った夫が撮った動画と写真で、初めてわが子の顔を見たときは、生まれてきてくれてありがとう、という喜びでいっぱいに。でも、直接顔を見ていなくて、触れたのもほんの一瞬なので、母親になった実感はまったくわきませんでした」(香織さん)
翌日、香織さんもNICUに行くことができた。
「まだ歩けないので、車いすに乗り、看護師さんに連れて行ってもらいました。保育器の中にいる娘には、湿った布で覆われ保護された大きなこぶがついています。そのこぶを取るまでは、抱っこはできないと言われました。こぶは600gもある大きなもの。破裂せずに生まれてきてくれたことに感謝すると同時に、大きなこぶを背負っている娘が痛々しく、ふびんで、『そんな姿にさせちゃってごめんね』と心の中で謝りました。また、頑張って生きている娘の姿を見て、一瞬でも産まない選択がよぎった自分を責め、何度も何度も心の中で謝っていました」(香織さん)
出産から3日目、紬ちゃんは6時間にもわたる脊髄髄膜瘤を修復する手術を受けた。
【荻原先生より】二分脊椎による障害の程度はさまざま。退院後は経過観察を続けます。
生後2日目に紬ちゃんに会いに行ったとき。
二分脊椎のなかでも脊髄髄膜瘤は、生下時より脊髄の下部が皮膚で覆われておらず、感染予防、機械的損傷を防ぐための修復術が生後すぐに必要だ。
また、その後も合併する水頭症、キアリ奇形が症状を出してくる場合は順次治療が必要となってくる。
水頭症に対して、頭の中の水をおなかに逃がしてあげるというシャント術が行われた場合、シャントが閉塞することも考えられ、その後の経過観察が必要だ。
排せつ障害、下肢運動機能障害の程度はさまざまだが、外来での経過観察をしていかなければならない。
重いつわりが終わり、安定期に入ってほっとした直後、妊娠19週目のときに、おなかの子が二分脊椎で障害を持って生まれてくることを告げられた香織さん夫婦。
無事生まれてきてくれた喜びに浸る間もなく、生後72時間後に二分脊椎の手術が待っていた。
参照元:Yahoo!ニュース