被害者が冷たくなる感覚が今も 17年前に秋葉原に居合わせ救助した男性「直接の被害者でなくても心の傷癒えない」

過去を振り返っている人

東京・秋葉原で2008年に起きた無差別殺傷事件は8日、発生から17年。

トラックが歩行者天国に突入して5人をはね、通行人が次々とナイフで襲われたあの日。

現場に居合わせて救助にあたった男性は、被害者が徐々に冷たくなっていく感覚を今も忘れることができない。

蒸し暑い日だった。

08年6月8日。

愛知県豊明市の大学院生西村博章さん(40)は友人に頼まれ、秋葉原の電器店に買い物に来ていた。

店を出ると、目の前の人だかりにただならぬ雰囲気を感じた。

うつぶせの状態で倒れた中年の男性が腰を刺されており、事件だとすぐにわかった。

当時は、筑波技術大(茨城県つくば市)で理学療法を学ぶ大学2年生。

持ち歩いていた救命道具をバッグから取り出し、ゴム手袋をはめて止血にあたった。

「他にもけが人がいるぞ」。声の先に、倒れている若い女性がいた。

急いで駆け寄り、刺された腰を手で押さえる。

重傷者の手当ては初めてで、極度の緊張で手から力が抜けていった。

警察官に頼まれて向かった次の現場では、30歳代の男性が胸を刺されて心肺停止の状態だった。

駆けつけた医師らと交代で、必死に心臓マッサージを繰り返したが、男性の体は足先から冷たくなっていった。

救急救命士になるのが夢だった。

先天的な目の障害で諦めた後も「人を助けたい」という思いは変わらず、専門学校在学中に独学で応急処置の民間資格を取得した。

いったん就職後、リハビリを支える理学療法士を目指して大学に入った。

だが、17人が死傷したあの日の現場には絶望しかなかった。

夜のニュースで、3人目の男性が亡くなったことを知った。

「自分が死なせてしまったのか」。自責の念にかられ、眠れない日が続いた。

約1か月後、所属していた柔道部の練習に復帰した。

投げ技をかけられた瞬間、事件当日を鮮明に思い出して頭が激しく混乱し、涙が流れ出た。

病院でPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された。

それ以来、急に起こる息苦しさに悩まされ、大学卒業に6年かかった。

理学療法士の資格を取り、介護施設や病院などで働いたが体調はすぐれない。

休むことへの理解も広がらず、どの職場も長続きしなかった。

「人生を台無しにされた」。

事件を起こした加藤智大元死刑囚(22年7月に死刑執行)への怒りは収まらなかった。

一方で、壮絶な体験をしたからこそ「人の命を救うことに携わりたい」という思いも強くなった。

18年4月からは国士舘大(東京都世田谷区)の大学院に通い、救急システムの研究を続けている。

視覚障害者でも見やすいAED(自動体外式除細動器)設置場所の表示方法や、鉄道を活用した傷病者の搬送方法などが研究テーマだ。

今もあの日のような蒸し暑さを感じたり、ヘリコプターの音を聞いたりすると呼吸が激しくなり、けいれんすることもある。

「17年たっても、心の傷は癒えない。私のように直接の被害者でなくても、事件の影響で苦しむ人への理解が広がれば」。

そう願っている。

事件や事故の現場に居合わせ、けが人や病人の救命救助に当たる人は「バイスタンダー」と呼ばれる。

総務省消防庁によると、2023年に心肺停止で救急搬送された人のうち、一般人の応急手当てを受けた人の「1か月後生存率」は14.8%で、処置がない場合に比べて約2倍に上った。

消防幹部は「社会の高齢化の影響で救急要請は増えており、救急車の現場到着時間も延びている。バイスタンダーの役割はより重要になっている」と話す。

一方、精神的な負担へのケアや支援は広がりを欠く。同庁が昨年度に行った調査では、全国720の消防本部のうち、バイスタンダーの心的ストレスに対する支援は、4割にとどまった。

相談先を記したカードを渡す取り組みが大半だ。

惨事ストレスに詳しい筑波大の松井豊名誉教授(社会心理学)は「相談窓口の拡充や支援を必要とする人への継続的なフォローアップ体制の整備が必要だ。学校や企業で行う救命講習の場でも、心的ストレスについて周知すれば、社会の理解が広がるだろう」と語る。

参照元:Yahoo!ニュース