「タワマン住みの“新住民”は町内会に入らない。でも、祭りには来る」…。タワマンの聖地・武蔵小杉、激変した街に“旧住民たち”が語ること

タワーマンションをイメージした画像

あっちにもタワマン、こっちにもタワマン。気付けば日本の街はタワマンだらけになった。

それもそのはず。タワマンは2024年末時点で全国に1561棟もあるという。

その土地の生活、景観、価値を大きく変えてしまうタワマンだが、足元には地元の人たちの生活圏がいまも広がっている。

縦に伸びるタワマンではなく、横に広がる街に注目し、「タワマンだけじゃない街」の姿をリポートする。

第1回はタワマンの聖地、神奈川県川崎市の武蔵小杉駅前。

乱立するタワマンの足元で、変わりゆく街の姿を見つめる旧住民たちの視点とは。

日本テレビの24時間テレビは好きになれないが、テーマソングの「サライ」はきらいじゃない。

東急武蔵小杉駅(神奈川県川崎市中原区小杉町3-472)から徒歩数分にある「サライ通り商店街」を歩きながら、そんなことを考えていた。

サライ通り商店街を横切るように流れる渋川という小川の両岸には、ソメイヨシノが植樹されており、桜の名所としても知られる。

ここを散策したのは、ちょうど桜の時期だった。

楽曲『サライ』のようにふぶくほどの花びらは散っていなかったが、サライ通り商店街の空を仰ぐと、いくつものタワマンが見えた。

武蔵小杉はかつて、工場と住宅が混在する、どちらかというと地味な街だった。

神奈川県川崎市中原区のほぼ中央に位置し、東急東横線とJR南武線の乗換駅として機能してきたが、長らく“通過される街”でもあった。

転機が訪れたのは2000年代半ば。

工場跡地の再開発が始まり、2007年にレジデンス・ザ・武蔵小杉(神奈川県川崎市中原区新丸子東3)が竣工。

その後も次々と大規模マンションが建設され、かいわいはさながらタワマン銀座の様相を見せ始め、「東京に通える未来都市」として注目を集めた。

2010年代にはテレビや雑誌で取り上げられることが増え、“住みたい街ランキング”の常連となり、人口も急増した。

現在、駅周辺には10本を超えるタワーマンションが立ち並び、高層ビルの合間をベビーカーが行き交う光景が日常となっている。

ただ、このエリアには、昭和の香りを残す商店街も残っている。

この“ギャップ”こそが、武蔵小杉という街の今を物語る。

タワーマンション(タワマン)は、一般に20階以上または高さ60m超の超高層集合住宅を指すようだが、今や我々がイメージするタワマンは20階や30階ではなく、もっと高層だ。

タワマンの定義はあってないようなもの。

この連載では、「2000年以降に竣工した、すごく高くて、おしゃれなマンション」くらいにしておく。

“高い”には価格の高さも含まれる。

またタワマンのような高層建築物は国の安全認定を受け、耐震・耐火・避難性能など厳しい基準を満たす必要がある。

高さが100mを超える場合は、はしご車が届かないため、屋上に緊急用ヘリポートの設置なども義務付けられる。

実際、武蔵小杉周辺の地図をGoogleマップで検索し、航空写真で真上から眺めてみると、駅周辺のタワマンたちの屋上には、ヘリポートを示す「R」マークがでかでかと描かれている。

ちなみにこの「R」は、Rescue(救助)の頭文字なのだそうだ。

高層階からの眺望はもちろんいいし、日当たりも良好だ。

立地についても比較的交通などの便のよい場所が選ばれる。

また、共用施設やセキュリティの充実もタワマンの魅力といっていいだろう。

ただ、物件によっては外で洗濯物が干せない、朝夕の混雑時にはエレベーターが使いにくい、地震が起こったときには特に高層階は地上より揺れ幅が大きい、管理費や修繕積立金も高額になる、といったデメリットもあるようだ。

東急武蔵小杉駅の南側には、「グランツリー武蔵小杉(川崎市中原区新丸子東3-1135-1)」がどっかりとあぐらをかくようにある。

大規模な商業施設で、生活雑貨、レストラン、カフェ、衣料品、化粧品、旅行代理店までなんでも揃う。

外観がしゃれていて、あまりにも堂々としているので、田舎育ちの私などはちょっと気後れするほどだ。

駅の改札を出たところから、前にいた同年輩の男性の背中を追うように歩いてきた。

その人は「グランツリー武蔵小杉」を見上げて舌打ちをし、駅方向に戻っていった。

どういうわけか親近感を覚え、またその背中を追い、東武線武蔵小杉の駅を越えた。

南口側に行ってみると、ほっとする風景が残っていた。

センターロード小杉は、駅の南口からすぐの場所だ。

飲食店や居酒屋が軒を連ねる商店街である。

このかいわいの住所は、中原区小杉町3丁目となる。

今回はこの地域を中心に歩いた。

というのも、2025年の3月いっぱいで、小杉町3丁目の町内会が解散したという噂を聞きつけたからだ。

小杉町3丁目は、JR南武線と東急東横線の線路と、川崎堀と呼ばれる小川に囲まれた地域だ。

ここにも屋上に「R」マークをのっけたタワマンが4棟建っている。

それらが現れる前、2004年頃の小杉町3丁目の人口は1851人だったが、2024年には5508人と3倍近くに増えた。

ところが町内会加入率は激減した。

かつてこのあたりは、工業地帯だった。

工員やその家族を相手にした商店も多くあったが、今はもう数えるほどしか残っていない。

そのひとつ、この地で60年以上、お茶と海苔を専門に扱ってきた店に立ち寄った。

通りに面したガラス戸の向こうに、テーブルを囲んでお茶を飲む人たちの姿が見える。

ガラガラと戸を開け、突然の訪問を詫びてから、かいわいを取材していることを伝えた。

客のひとりは「名前を出さなけりゃ話をしてもいいよ」と言ってくれた。

「そう、3丁目の町内会はなくなっちゃった。タワマンの“新住民”と、私らみたいに元からいる人間じゃ生活そのものが違うんだよ」

地元ではよそから新しくタワマンに入ってきた人たちのことを“新住民”と呼んでいるらしい。

「あっちが新住民で、私らは旧住民」と70代の男性は笑って続けた。

「タワマンにはちゃんと自治会があって、日頃の困りごとなんかはそっちで事足りるんだ。だから町内会に入るまでもないんだな」

向かいに座っている60代後半の女性はこう言う。

「でもさ、町内会主催のお祭りなんかには来るんだよ。別にそれはそれで大歓迎なんだよ。でも、そこで子どもたちにお菓子やなんかを配るだろ、これって町内会費から出てる。でも彼らは町内会に入ってないからもちろん町内会費も払ってない。なんだかねぇって言う人もいたよ。コロナがあってからはお祭りも下火だからいいんだけどさ」

前出の店のご主人が、この地域でマンション(タワマンではない)のオーナーをやっている人物を紹介してくれた。

「低層の小さなマンション(本人談)」のオーナーさんには、街の路地で立ち話のようなかっこうで話を聞いた。

通りの向こうからひょいっと現れたその人は、いかにも旧住民の雰囲気だ。

気取らない普段着がしっくりと身についている。

「うちは、タワマンが立ち並ぶずっと前に建てたマンションなんですよ。もともとここに代々の自宅があって、その場所に建てたんだ。小さいマンションでね、なんと言ったらいいのかな、地元密着型ですよ。だからってこともないけど、うちのマンションに住んでる人は町内会に入ってもらっていた」

オーナーさんはそんなふうに語る。

「タワマンのおかげで人口は増えているし、人気の街になってはいるけど、固定資産税が上がってさぁ。その支払いも大変ですよ」

なるほど、旧住民にはそんな悩みもあるのかと同情しかけたが、地価の上昇が税を押し上げただけだ。

同情なんかしてたまるかと気持ちを引き締めた。

3丁目の街を2つに割るように走る府中街道沿いに「有限会社赤城屋(川崎市中原区小杉町3-26)」はある。

工業用のノコギリの研磨を請け負う町工場だ。

かつてはこうした家族経営の工場が地域のいたるところにあったらしい。

2代目社長の五十嵐俊男さん(82)は、現在は会長職に退いている。

この方が、小杉3丁目町会の最後の町内会長だ。

「このあたりは、昔は大小たくさんの工場があって、工員たちの社宅もそこかしこにあった。小杉神社のお祭りや夏場の盆踊りなんかも盛大だったね。清掃活動とか年末の見回りなんかで町会の仕事も忙しかった。お祭りのときには各町内会からみこしを出した。でも、今年の3月で3丁目町内会は解散しました。みこしもいらなくなったから300万円かけて修復してから、別の町内会に寄付しましたよ」

戦争中は群馬県の赤城山が見える場所に疎開していた五十嵐一家は、戦後にこの地に越してきて工場を開いた。

屋号の赤城屋には疎開先への思いが込められている。

「以前はここ3丁目にも一軒家がたくさんあったけど、いまじゃほとんどなくなってしまったね。家を売ってタワマンに入る住民も多い。そんな人たちは町内会にそのまま籍を置いてくれてたけれど、タワマン全体が町内会に入ってくれることはないんだ。こっちとあっちじゃまったく別の環境なんだね。昔から住んでる人たちは高齢化が進んでいるから、町内会員はお年寄り世帯ばかりになっちゃった。子ども会はもう10年も前に解散しましたよ。町内会のほうも数年前からこのままじゃどうしようもないってことで、2年くらい前から解散に向けての話し合いをはじめたんです」

そんな話を聞いている最中に、区役所から電話が入った。

何やらやり取りをして、受話器を置いた五十嵐さんが「自主防災組織からの退会書類を出してくれだってさ」とつぶやいて苦笑いした。

今回、街をうろついて、いろんな人に話を聞いた。

タワマンの新住民と、元から住んでいる旧住民の交流はほとんどないそうだ。

それまで生きてきた背景がまったく違うので、混じり合いにくいのだろう……漠然とそう感じたのだが、ある旧住民の言葉を聞いて、その考えが少し変わった。

「このかいわいは、昔は長屋みたいな家がずらっと軒を連ねていて、ご近所付き合いの盛んな土地柄だったんですよ。そんな地元の人でも家を売ってタワマンに移るケースもある。そうすると、向こうに移ったとたんツンとして、私らとは目も合わせなくなるような人も中にはいる。タワマンにはそんな、妙な力があるんだな」

高いところから見下ろすと、親しんだ街や人が別ものに見えてくるのかもしれない。

「見下ろしているうちに、見下したくなる」

自分自身に同じことが起きたとき、そうならない自信はない。

それはそれで、とても人間くさいな、とも感じた。

参照元:Yahoo!ニュース