「心の治療をしてもらっているみたい」補助犬の枠外で奮闘する、心療介助犬

犬を撮影した画像

エモーショナル・サポート・ドッグ(ESD)と呼ばれる犬がいる。

精神障害や発達障害のある人たちの「心」を介助するのがその役割だ。

当事者に寄り添い、安心や落ち着きの効果をもたらす。

日本では盲導犬、聴導犬、介助犬の3種類が法的に認められているが、ESDはそこには含まれていない。

近年は欧米での実績が知られるようになり、日本でも関心が高まりつつある。

犬の訓練士の出海宏平さん(67)は、この3年ほど神奈川県でESDの育成と普及に取り組んできた。

自閉症の若者がESDとともに成長していく姿に「こんなに変わるんだ」と驚かされている。

ESDはペットと同じ範囲でしか行動できないが、社会に受け入れられるために「効果や安全性の実証を重ね、必要性を伝えていきたい」と普及への意気込みを語る。

5月22日は「ほじょ犬の日」。ESDとの新生活が始まった2組のユーザーと二人三脚で歩む出海さんの日々を追った。

ESDのクー(4)と暮らす青木珂月(かづき)さん(19)は、小学生の頃に発達障害のひとつ自閉スペクトラム症(ASD)の診断を受けた。

光や音に対する感覚過敏があり、頻繁にパニック発作を起こしていた。

「音がワーンと響くと、自分の意識も空中に散りぢりになってしまう感じ」。

その意識を現実に引き戻してくれるのが、クーの存在だ。

「クーは生きているから、温かいし、呼吸をしている。そのインパクトがとても大きい」

青木さんが不安や緊張を感じていると、体のこわばりや息づかい、歩調などを感じ取ったクーもまた、落ち着きをなくす。

そんなクーの様子を感じとることで、青木さんも自身の状態に気づくことができる。

「何が怖いのか、なぜ怖いのか、向き合わざるを得なくなる。それを繰り返しているうちに怖さ自体を感じなくなって、心の治療をしてもらっているみたい」。

自身の精神状態を客観視できるようになったことが、苦手の克服につながっている。

クーと過ごすことで培われたのは、物事を自分で考え、決断し、行動する力だ。

青木さんは昨秋アパートを借り、一人暮らしをスタートさせた。

予算内の家賃のアパートはほとんどがペット不可だったが、大家に事情を話し、クーとの同居を認めてもらった。

「自立とは、自分で決めること。何をいつ食べるか、いつクーの世話し、寝るのか。全部、決断がなければできない」。

意思を持つこと、選択を続けることが生活なのだとかみ締めるようになった。

朝と晩にはクーに水と食事をあげてトイレを促し、外出時には「見守りカメラ」をセットする。

くっつき合ってともにリラックスすることも大事だが、お互いに依存し過ぎてしまわないよう、それぞれに過ごす時間も取るようにしている。

青木さんは「暮らし」を学ぶ意欲を持ち始め、この春からは掃除や片付けを手伝ってくれる週1回のヘルパーを頼んだ。

日中の活動場所を求め、地域の福祉事業所が用意するプログラムの体験も始めている。

「いつかクーと一緒に電車に乗れるようになったら、行ける場所が広がる。野望です」と目を輝かせる。

心療介助犬と呼ばれるESDの仕事は、精神障害のある人に寄り添うこと。

それにより、パニック障害や睡眠障害などの軽減が期待される。

その育成と普及に取り組んでいるのが、出海さんが施設長を務める神奈川県茅ヶ崎市の「ウェルフェアポート湘南」だ。

ESDに求められる特性は、人が大好きなことと性格のおおらかさ。

その上で「ほえない、かまない、飛びつかない」という社会性が求められる。

犬の訓練士としての47年のキャリアのうち、20年ほど介助犬と聴導犬の育成に取り組んできた出海さんは、ESDの役割を「特に何もしないことです」と説明する。

ただそこにいるだけで、ユーザーの気持ちを安定させ、安心感を与える。

それが仕事だ。

犬との生活経験がない希望者も多いため、まずはともに暮らすための環境やルールづくりから進めていく。

それぞれの家庭に譲渡した後も、散歩の練習につきあうなど伴走が続く。

7歳の藤原琥彪(たいが)君には、発達障害のひとつ注意欠如多動症(ADHD)の症状がある。

母の美穂さん(33)は出産直後から、おむつを変えてもらったり母乳を飲んだりしても泣いてばかりの息子とほかの子との違いを感じていた。

その後も外出中に母の手を振り払って走り出し、自分の思い通りにいかなければかんしゃくを起こす。

発達障害と診断されたのは4歳の時だった。

インターネットでESDを知った美穂さんが問い合わせた事業者の一つが出海さんの施設だった。

出海さんが自宅に連れてきたモデル犬の様子に、美穂さんは驚いた。

琥彪君が引っ張ればピタリと横につき、急に止まれば座る。

美穂さんは、琥彪君の行動が犬に興奮やストレスを与えないかと心配したが、モデル犬は不安そうな顔をすることもなくリラックスしていた。

こうした態度が身につくかどうかは、生まれ持った性格や傾向によるのだと出海さんは言う。

生まれた時から関わる中で犬の適性を見極め、人との信頼を育むことで、犬はリラックスして人に寄り添うようになる。

およそ1年後、モデル犬と同じ犬種のヒメとの暮らしが始まった。

それまで眠りにつくのに3時間以上かかっていた琥彪君だったが、いまでは10分もすれば寝息をたてる。

琥彪君がヒメを見ている間に美穂さんが家事をする時間もできた。

家全体が明るくなった。

「2人の間で何かしらの絆があるみたい。それは私にもわからないものですけど」と話す美穂さんの表情は明るい。

日本では、身体障害者補助犬法で3種類が補助犬として認められている。

目の代わりとなる盲導犬、音を知らせる聴導犬、体の不自由な人を手助けする介助犬だ。

公共施設や交通機関などには、同伴を受け入れる義務が定められている。

一方、補助犬とユーザーのペアは指定機関で訓練と審査を受け、国の認定を取得する義務がある。

補助犬の活用が進んでいる欧米先進国の多くは、ユーザーの障害の種類を制限していない。

自閉症の児童やPTSDを負った元兵士のパニックや睡眠障害を軽減させるなど、ESDの役割は社会的にも認知されている。

一方、日本ではESDはペットと同じ扱いになり、公共施設や交通機関への同伴は原則認められていない。

それでも、ESDへの関心は高まりつつあり、出海さんの元へも問い合わせが続いているという。

出海さんが危惧しているのは、明確な定義のないESDの育成が事業者の自主性に任されている現状だ。

適切なトレーニングや適性判断をせずに販売する悪徳事業者が増えることも心配だ。

正しい理解が広がらなければ、社会に受け入れられ、法で認められる機会は遠のいてしまう。

ウェルフェアポート湘南は認定補助犬である介助犬の評価基準に沿って育成し、 犬の適性を見極めた上で、利用希望者とのマッチングを行っている。

出海さんはいま、人の心に寄り添うESDを必要としている人が増えていることを実感している。

ただ、現実にはきちんと育成できる事業所がどこにでもあるわけではなく、育成頭数にも限りがある。

人の気持ちを落ち着かせ、安らかな眠りを助け、自立を支援する。

これらは「人と感情を共有できる動物」としての犬ならではの仕事だと出海さんは考えている。

だからこそ、一頭一頭丁寧に育て、少しずつ実績を重ねていく。

そうすることで社会にその効用を知ってもらい、育成者や賛同者を増やしてく。

「そんなふうにして、次の扉を開いていきたい」と出海さんは思っている。

参照元:Yahoo!ニュース