東出昌大「私は何としてでも生きていける」 紆余曲折を経て手にした“自信”

「都会や組織の競争のなかにいると、不安の種を探してしまう」。
そう話すのは、俳優の東出昌大さん(37)。
若いころは、「立派に思われたい」「すごい役者だと思われたい」という“欲”もあったという。
そうした思いがなくなったのは、「人生のなかの紆余曲折」を経て、「正直に生きるほかないって諦観が勝った」から。
「コンプレックス」をテーマに、東出さんに話を聞いた。
――芸能界は個性が求められる一方で、わかりやすく比較される業界でもあります。息苦しさはありましたか。
息苦しさは感じてるけど、でもお金もらってるし、しゃあないなって(笑)。
――先ほどの「顔に傷がついてはいけない」というのも、そうですよね。自分がある種商品としているわけですから。
一人暮らしのときに布団で寝ていたものが、それなりに稼げるようになってセミダブルのベッドを買ったとします。
がくんと収入が落ちたときに布団を敷き直すのが嫌だから、それなりの家賃のところを探したいって思いますよね。
今まで築き上げてきたものが瓦解するというのは、非常に恐怖です。
「起きて半畳寝て一畳」といいますが、その境地まで行ってしまえば、実際はたいしたことじゃないんですけどね。
ただ、やっぱり都会や組織の競争のなかにいると、そうは思えなくなるから、不安の種を探してしまうんでしょうね。
――不安の種を探すことが、安心につながったりもするんでしょうか。
それを一つひとつ克服していくことで、上昇しているというドーパミン的な快楽があるのかもしれないですね。
競争をかき立てることは、推進力にもなります。
ただ、いいものを買って、もっと良くなろうと不安材料を探して競争することは、エネルギーに転化できるようで際限がないことだとも思います。
もう少しプリミティブなところに向き合う時間が増えると、意外と今のままでも生きていけるなって思えるような気がします。
取材などで、いろんなメディアの方がここにいらっしゃるんです。
同世代の方も多いのですが、みんな「行き詰まっている」と言うんです。
――どういう面でですか?
定時に仕事に行って、デスクに座って、パソコンをたたいて、給料日になったらちょっといい飯を食って。
時間がないときはざっと風呂に入って、布団で興味があるんだかないんだかわからないYouTubeを見て眠くなるのを待つ。
「やりたいことじゃないな」「旅行とかパーッと行きたいな」「でも今は忙しいから行けないな」という状態が続いていることをそう呼んでいるのかもしれません。
都市部の社会システムのなかで生きていると、雇用問題や株価の変動といった金銭面の不安が常につきまといます。
そこでうまく順応できないと食べていくことができないから、そのルーティンから抜け出せなくなってしまう。
――今の東出さんはそのシステムから完全に抜けていると思いますか。
付かず離れずな感じがします。
山で野生動物を見ていると、生き物って飯を食って排泄すればそれで生きながらえるんだということがわかるんです。
だから、今の僕はお金には依存しなくなったけど、冷凍庫の肉が減ってくると「獲りにいかないと」と不安になります。
やっぱり住む場所はものすごく大きいですよ。
東京って、家賃や水道ガス光熱費、食費にもお金がかかります。
都会のシステムに組み込まれると、生きているだけでたくさんのお金を払わないといけなかったりします。
今の暮らしはそれが圧倒的に少ない。
「いっぱい働かないといけない」っていう強迫観念がないですよね。
――「こうあらねばいけない」という強迫観念から抜け出すのは難しくもあります。10代、20代の駆け出しのころは、特に周りに比較されたと思います。当時どう受け止めていたんですか。
「上にいかなきゃ」という上昇欲みたいなものはありましたよ。
ネットニュースの見出しで「〇〇主演」とか見ると、「すげぇ役やってんな」「俺も頑張んないと」と思っていました。
――そうした競争からは、どのタイミングで解放されたのでしょうか。
いつだろう……。
狩猟をするようになったのは大きいですね。
はじめたときは、よく思わない人がいるからと、狩猟をしていることを公表してはいけないと言われていました。
でも、狩猟文化って血なまぐさくて残酷ではあるけれど、それを隠す世の中って変だなって疑問も感じていて。
――周りの人が設定する基準に違和感があったんですね。
そのあと年を重ねて、こっちで生きるようになって、「僕は正直に生きるほかないわ」って諦観が勝ったんです。
そうするとどんどん生活がしやすくなっていきました。
――一度諦めたということですよね。
そうです。諦めました。
今まで付き合いのあった人たちに、「諦めて、自分に正直に生きていきます」と伝えました。
みんな離れていくだろうなと思ったんです。
でも、「それがいい」「好きに生きたらいい」と背中を押してくれて、予想外の反応でした。
若いころは、「立派に思われたい」「すごい役者だと思われたい」というのがあったけど、今は何を誰に言われようと、どうでもいいって。
後ろ指をさされても、「知るか!」って(笑)。
人って、意外と他人がどうしようと気にしないんです。
私自身も誰がどう生きていようと、何とも思わない。
そう気付いたときに、「日本アカデミー賞に呼ばれるような役者であらねば」みたいな考え方ってあまり意味がないんだなって思えて。
毎日の生に感謝しながら暮らせることのほうが、当代随一の役者だと言われることより幸せなことだと思うようになりました。
――突き詰めるとシンプルなのかもしれません。ただ頭ではそうわかっていても、踏み出せない人たちがいます。
私も人生のなかでいろんな紆余曲折があったから、こっちに移住ができたので、状況を変えたいけど変えられないという気持ちはよくわかります。
コンプレックスも悩みも、分解して考えてみたら、少しは見方が変わるかもしれません。
「過去に色々あったから今がある」とも思う一方で、最近は今の連続が楽しければいいと考えるようになりました。
先ばかり見てもわからないということもありますし、過信かもしれないけれど、私は何としてでも生きていけるという自信があるんです。
そう思える自力をつけていくことも、社会システムに依存せずにすむ一歩かもしれません。
参照元:Yahoo!ニュース