母68歳 もう一度「中学生」になります 小中で転校12回 後悔を夢に変える挑戦

木がふんだんに使われたピカピカの校舎に、教室が3つ。
2024年4月に開校した夜間中学校で、英語の授業が行われていました。
英語の先生「簡単な『曜日』の覚え方、行きますよ」
英語の先生「あー日曜日は『おこさんデー』、月曜日はさあ働くぞって、月曜日からは『ガッチリマンデー』…」
ここは「熊本県立ゆうあい中学校」。
初年度の新入生は、様々な事情で中学校に通えなかった15歳〜87歳までの37人で、外国にルーツを持つ人が2割いる。
学年は、事前の面談や学力に応じて、1年生から3年生に振り分けられた。
夕方5時すぎ。
きょうも、生徒たちが登校してきた。
これから夜9時まで、間に給食をはさんで4コマの授業が行われる。
「私はあまり中学校に行くことができませんでした。小学校と中学校の生活は大きく違い、その変化についていくことができなかったからです」
「高校受験に踏み切れず、学校に行きたいけど行けない。そんな葛藤の中、このゆうあい中学校ができることを知りました」
入学式で新入生代表挨拶をした深瀬拓磨(ふかせ たくま)さん、17歳。
2年生の生徒だ。
中学1年から不登校になり、4年間ほぼ自宅で過ごしてい
た。しかし、これまでの生活が嘘のように毎日学校へ通い、授業でも積極的に発言する。
国語の先生「『真摯(しんし)に記された手紙』…ちょっとこの言葉は難しいですが、どんな意味でしょうか?」
深瀬さん「手紙に関してなら、自分が思うのは『その人を思ってその人を思いながら書いた』ような感じ」
同級生「ナイス。深瀬くんがうまくまとめてくれた」
深瀬さんはとにかく車が大好き。
「車関係の仕事に就きたい」という夢を、先生に熱っぽく語る。
深瀬さん「専門学校があるじゃないですか、車の。資格をある程度得た上で、定時制の工業高校から、そこに上がっていく」
クラスメートや先生たちと過ごす普通の日々が、嬉しくてたまらない深瀬さんだ。
深瀬さん「起立、気をつけ、礼」
先生「さようなら。せーの、明日も元気で頑張るぞ!じゃんけんぽん!」
6月に入った頃から、深瀬さんは急に授業を受けられなくなった。
何か理由があるわけではない。
体が思うように動かないからだ。
学校の入り口まで来て、先生たちに挨拶だけして、そのまま帰ってしまうという日もあった。
先生「OKです。またね。じゃあまた明日。またね。気をつけてね」
先生たちも、深瀬さんをあせらせることなく静かに見守る。
登校出来ない日が続き、いよいよ夏休み前日という時。
教室を覗くと、深瀬さんの姿があった。
帰りの会で、入学からこれまでを振り返る。
深瀬さん「前半はこう…ちょっと踏ん張りすぎたかなってところがあったんですよね。5月の後半あたりからちょっとペースを乱して、来られなくなったんです」
そして、これからについても、自分の言葉で伝えた。
深瀬さん「今の自分が嫌いだと思ったんですよ、正直。だけどそれで終わりじゃなくて、それを好きになれるように変えたいと思ったんです」
「だからそれを実現できるように、9月から頑張っていきたいと思っているので、よろしくお願いします」
深瀬さんの気持ちに、教室はあたたかな拍手でこたえた。
その後、深瀬さんは自分のペースで登校している。
深瀬さん「水曜日、今から始まりの会を始めます。きょうの日直は深瀬です。健康観察をします。先生お願いします」
「そろそろ仕事もできなくなるし、このまま私、年金で節約しながら暮らすだけしか残っていないのかしら?って。2、3年前から思っていたの」
68歳の木本礼子(きもと れいこ)さんは、そんな不安を抱いていた。
しかし今、彼女の人生は思いもよらない方向へと進み始めている。
木本さん「えっと…『3分のX+Y』かっこがいる?いらない…えっと…」
1年生の教室では、数学の授業が行われていた。
数字とアルファベットが混じり合った文字式と格闘している木本さん。
「ゆうあい中学校」で学ぶため、40キロ離れた自宅から、近くへ引っ越してきた。
緊張の授業が終わり、おやつを食べながらのガールズトーク。
1年生女子3人の合計年齢は、220歳だ。
「たいがつかれた昨日」「でも、元気よ元気〜」「若いんだね」
木本さんが生まれたのは1955年。
戦争が終わって10年、日本が戦後復興にまい進していた頃だ。
小学校、中学校時代は勉強が十分にできる環境になかった。
父親の仕事の関係で、9年間の義務教育の間に12回転校したという。
木本さん「それでもう、全然勉強はついていけないわ、友達はできないわ…母も私に『中学校を卒業したら働いてほしい』ってずっと言っていたもんですから、『どうせ高校にもいかないなら』って、あまり勉強しなかったんですよね」
18歳で結婚し、44歳の時に離婚。
30年以上福祉の仕事をしながら2人の子どもを育てあげた。
しかし勉強をしなかった後悔は、ずっと心の中にとどまっていた。
木本さん「子どもが成長していくにつれて…ああ、やっぱり勉強しとけばよかったっていう気持ちが、ずっと胸の中のどこかにあったんですよね。福祉のことはある程度分かるけれど、世間のことは何もわかんないなって」
そんな時だった。
回覧板で夜間中学の体験授業の案内を見つけた。
木本さん「すごく心を惹かれた。今まで自分がやり残してきたことをもう一度チャレンジできるんだって」
しかし、娘たちは生活面や金銭面を心配し、入学を反対したと言う。
『何でいまさら中学校に行って勉強して、それが何に役に立つの?』
『わざわざ拠点を移して生活を切り詰めながら、生活をしなければならないの?』
木本さん「…けれども、私はどうしても、やり残してたことにもう一度チャレンジしたいって気持ちが諦めきれなかった。ですから、親子の縁を切られてもいい!と思って」
勉強にしっかり取り組むため学校の近くにアパートを借り、娘たちに金銭的な負担をかけないよう、新たな仕事も自分で探した。
月曜から金曜まで学校の近くの高齢者施設で働いている。
午前8時から午後1時まで5時間、休憩はない。
木本さん「学校はね、食べ物で言うと別腹みたいな感じで、仕事とはまた全然違うんですよね。みんな来ていて、楽しいし」
そんな木本さんには、目標がある。
木本さん「もう半世紀以上も前に習ったので、ただ一つ覚えてる英語は『This is a pen』それしか分からない。私が元気で頑張っていることを、娘たちに英語で書いて送りたいと思っています」
ある日の休み時間、木本さんは、英語の先生に声をかけた。
木本さん「娘の誕生日が3月20日なので、それに合わせてバースデーカードを英語で書いて送りたいと思っているんですよ。ちょっと書いたので、先生に見てもらおうかなと思って」
英語の先生「ああ、これですね。『あなたの家族』ということで『your family』。『あなたたちはハッピーなカップルであって、あなたの家族を大切に守ってきた』」
先生の添削を受け、木本さんが初めて書いた英語の手紙が完成した。
『Happy birthday Akemi. How old are you now? Please take care of your body and do your best. From mother.』
手紙を受け取った娘から「ありがとう」と電話があったことを、木本さんは嬉しそうに教えてくれた。
参照元:Yahoo!ニュース