「現場の光景忘れられない」 当日対応の警察官 福知山線事故20年

警察官をイメージした画像

20年前のJR福知山線脱線事故で、発生直後から現場での救出活動や遺族らへの対応に当たった兵庫県警の警察官2人が取材に応じ、「現場の光景が忘れられない」などと語った。

現在も機動隊に所属する園田真一郎警部(50)は事故当日、神戸市内の体育館で訓練中に列車事故発生との一報を聞いた。

訓練を途中で切り上げていったん庁舎に戻った後、応援部隊として約2時間半後に現場に入った。

「ただ事ではない」と感じつつ、何が起きているのか分からないままの出動だったが、目の前のマンションに電車が巻き付いている異様な光景を目の当たりにし、すぐに「重大な事故だ」と理解した。

すでに消防のレスキュー隊や先着の機動隊などが活動中で、園田警部らの班は第三陣として傷病者や遺体、資材の搬送といった任務に従事した。

しかし、現場では車からガソリンが漏れ、電動カッターなどの火花が出る器具が使用できずに作業は難航。「救出できず無力さを感じた」と振り返った。

本部警務課で採用担当だった島ノ江健人警視(49)=現宝塚署=は事故当日、現場近くの体育館に設置された遺体安置所で、安否確認に訪れた家族らの対応に当たった。

体育館に到着するとすでに複数の遺体が安置されており、その後も次々と遺体とひつぎが運び込まれた。

事故や捜索の詳しい状況については聞かされていなかったが、集まった家族や友人らから「現場はどうなっているんだ」などと詰め寄られる場面もあった。

遺族に写真を示して身元を確認し、遺体の近くまで案内した。

「写真を見せることで『生きている』という希望を断ち切る」ことがつらかったという島ノ江警視。

「案内する際の言葉一つで遺族の心情が変わる」と痛感し、今でも市民への丁寧な対応を心掛けながら職務に当たっている。

事故から20年が経過し、当時を知る警察官は少なくなった。

園田警部は「同様の事故や災害が発生したら迅速に対応できるよう若手の指導に励みたい」と話し、島ノ江警視は「経験し学んだことを次の世代の警察官につないでいきたい」と語った。

参照元:Yahoo!ニュース