妻亡くした現場で月命日にシャッターを切る夫 JR脱線事故、1万枚の写真と変わらぬ思い

カメラで電車を撮影している人

平成17年4月のJR福知山線脱線事故で妻の川口初枝さん=当時(48)=を亡くした男性(68)は事故後、月命日にあたる毎月25日に欠かさず事故現場へ足を運び、写真を撮り続けている。

事故から20年となるのを前に、撮りためた写真は約1万枚に上った。

カメラのファインダー越しに見える現場の景色はすっかり変わってしまったが、かけがえのない妻への思いは変わらない。

あの日、初枝さんは定期健診のため、自宅のあった兵庫県西宮市内から快速電車で大阪市内へ向かい、事故に遭った。

初枝さんの知人から「(初枝さんが)待ち合わせに来ない」と連絡を受け、初枝さんにメールを送ったものの返信がなく、不安が押し寄せたと男性は振り返る。

遺体安置所になっていた同県尼崎市内の体育館に駆けつけたが見つからず、夜になって、再び同じ体育館に捜しに行くと、初枝さんが事故で亡くなっていたことが判明した。

対面できたのは、翌日の午前3時過ぎだった。

初枝さんを見て「(一体)どういうこと?」という感情しか湧いてこなかった。ただ、今でもはっきり覚えているのは「人間って亡くなるとこんなに冷たくなるんや」という感触だという。

当時は仕事が忙しく、早朝に家を出て、深夜に帰宅する日々が続いていた。

自宅で初枝さんと面と向かって話をする機会はほとんどなかった。

「家庭のことも子供のこともすべて任せきりだった。今から考えればひどい話だと思う。ちゃんと話をしてやればよかった」と後悔が募る。

事故後に心の救いとなったのは、初枝さんと一緒に行った旅先や子供たちの成長、家族の日常をとらえた写真だ。

初枝さんとの思い出をたどるように、約1500枚あるすべての写真を半年かけてデータ化し、パソコンに取り込んだ。

そして、初枝さんが「最後に生きていた場所」の移り変わりを記録に残すため、毎月、現場で写真を撮ろうと決めた。

この20年間、月命日には必ず現場を訪れた。月命日以外にも足を運び、撮影した写真は約1万枚。

誰かに見せるためではない。

「全部、自分の中に残そうと思って撮っている。ただ、それだけの話です」

快速電車が衝突した現場マンションの上層階は取り壊され、一帯は慰霊施設となった。

カメラのファインダーから見える風景は、凄惨(せいさん)だった事故直後とは異なる。

ただ、現場の姿が時間の経過とともに移り変わろうとも「(事故の記憶や教訓を)JR西日本の中では決して風化させてはいけない」と強く思う。

JR西は、脱線事故の発生日である毎月25日を「安全の日」と定め、その前後に社員らが安全対策を話すミーティングを実施しているが、「社員の間で事故が風化していないか。事故の教訓を認識しているのか」との不信感はぬぐえない。

それでも、男性はこれからも事故現場の写真を撮り続ける。

「一番嫌いな場所だが、一番大切な場所だから」

参照元:Yahoo!ニュース