「岐阜高島屋がなくなった街」で、なぜか出店希望者が増えてるってホント?柳ケ瀬で静かに始まる新時代

柳ケ瀬のアーケードを撮影した画像

2024年7月31日、岐阜市のど真ん中にあった岐阜高島屋が閉店してはや、半年以上。

長年、市民にとって“まちの顔”だったあの百貨店がなくなったことに、やっぱり寂しさを感じた人は多いだろう。

僕自身も、柳ケ瀬から歩いて5分ほどの場所が実家で、まさに庭のように感じて育った。

小学生のころはバラの広場で鬼ごっこをしたり、家族と高島屋に買い物に行ったり、屋上ビアガーデンにいった思い出も懐かしい。

いま思えば、あの百貨店は僕らの生活と街の中心に確かに存在していた。

高島屋が撤退したあと、確かに柳ヶ瀬を訪れるヒトは目に見えて減っているという声も耳にする。

デパ地下を楽しみに買い物に定期的にやってきていたヒトがぱったりと消えてしまったという声も耳にする。

でも、その一方で、街では意外な動きが起きている。

「出店の相談、増えてますよ」

そう話すのは、柳ケ瀬商店街振興組合の理事長・水野さん。

なんと、高島屋閉店後、柳ケ瀬でお店を始めたいという相談が、すでに多数寄せられているという。

一体なぜ?

高島屋がなくなったのに、なぜ出店希望が増えるのか。

その背景にあるのが、地価の変化だ。

高島屋という大型施設がなくなったことで、周辺の地価はじわじわと下落傾向にある。

テナント賃料もそれに合わせて下がり、出店のハードルが明らかに下がってきた。

これまで「まちなかでお店をやるなんて、ちょっと手が出ない」と思っていた人たちにとって、柳ケ瀬が現実的な選択肢になりつつあるのだ。

実際、相談に来る人たちは、カフェや本屋、クラフト系のショップなど、個人で始めるスモールビジネスが中心だ。

大型チェーンではない、“自分の色”で勝負したい人たちが、「今の柳ケ瀬ならやれるかもしれない」と希望をもってやってきている。

一昔前なら、柳ケ瀬でお店を出すなんて「勇気がいる」ことだった。

でも今は、空き店舗を活かして、もっと自由な発想でチャレンジできる街になってきている。

誰かが整えてくれた“完成された街”ではなく、まだ“余白がある街”。

それが、いまの柳ケ瀬だ。

そして実際にその「余白」に、新しい風が吹き始めている。

大型商業施設に人が集中していた時代から、個性的な小さな店が点在する、分散型のまちづくりへ。

柳ケ瀬も、そんな次のフェーズに入りつつあるように感じる。

実際、空き店舗を活用した取り組みも少しずつ始まっている。

小さな飲食店、アートスペース、ギャラリー、シェアオフィス。

こうした新たなプレーヤーたちが「柳ケ瀬でやってみよう」と集まり始める。

柳ケ瀬には柳ケ瀬らしい建物、柳ケ瀬らしい人の流れがある。

高層ビルが建つ必要はない。

むしろ、地元の人が気軽に立ち寄れる、回遊性のある街の方が、これからの時代には合っているのではないだろうか。

「商業性×多様性=成長」

この方程式が、柳ケ瀬のこれからを示している気がする。

売れることだけを追いかけるのではなく、いろんな人がいて、いろんな活動があって、その中から生まれてくるエネルギーこそが、街の魅力になるはずだ。

しかも、ここは単なるショッピングエリアじゃない。

岐阜市立女子短大の四大化にあたり、柳ヶ瀬地域など中心市街地に移転をするというお話もある。

岐阜大学で地域活性を学ぶ学生や若者が、ひとひとの会といったまちづくり団体に関わる機会も増えている。

若者が仕掛ける企画が大人たちを動かし、街に新しいリズムを生みだそうとしている。

「柳ケ瀬の“横顔”が面白い」ということ。

駅前の整った顔つきではなく、ちょっと斜めから見たときに見えてくる、この街の柔らかさ、ユニークさ。

そんな“横顔”に惹かれて、わざわざ訪れる人も出てきている。

以前のように、いくつもの百貨店や大型商業施設が並び、近隣のみならず周辺市町村からも「わざわざ買い物や、お出かけに行くところ」のように、過去の賑わいを取り戻すことはないだろう。

人口も今後ますます減少し、少子高齢社会をむかえる現実を直視する必要がある。

もちろん、課題もたくさんある。

交通アクセス、建物の老朽化、防犯や清掃の問題など、ひとつずつ地道に取り組むべきテーマは多い。

でも、だからこそ関わる余地がある。

市民や事業者の「やってみよう」が街を変えていく可能性に直結する。

過去よりコンパクトになった、しかし個性のある個店があつまり、カラフルで、生活に根ざした商店街になっていくことができるのではないだろうか。

ここで改めて強調したいのは──百貨店の撤退を、“衰退の象徴”とだけ捉えるのは、もったいないということ。

高齢社会が進む日本では、「車がなくても暮らせる生活圏」がますます重要になる。

病院も、銀行も、食料品店も、カフェも、徒歩圏内にあってほしい。

そうしたニーズに応える都市設計として、全国で注目されているのが「コンパクトシティ」という考え方だ。

柳ケ瀬のような中心市街地は、その実験場になり得る。

徒歩で移動できて、複数の機能が混在し、人と人が自然に出会える場所。

昔は当たり前だった“まちのあたりまえ”が、今また新しく評価されつつある。

高島屋があった時代は、いわば“見せる街”だったのかもしれない。

でも、これからは“暮らす街”“育てる街”が求められている。

柳ケ瀬は今、その変わり目に立っている。

誰かが整えてくれた便利な街ではなく、ちょっと手間はかかるけど、育てていく面白い街。

そんな“生きているまち”こそが、これからの日本に必要なんじゃないだろうか。

終わった商店街・柳ヶ瀬ではなく、むしろ新たな可能性を感じさせてくれるのではと思う。

参照元:Yahoo!ニュース