親子の「帰りたい」を支えたい 子どもの訪問診療に「仲間づくり」で挑む小児科医の挑戦

近年の小児医療の発達は、多くの子どもたちの命を救ってきた。それに伴い、人工呼吸器の管理など医療的な生活援助を日常的に必要とする「医療的ケア児」の数も増えている。
この子たちが生活する上で大切なのが、小さな不調を見逃さないための定期的な診療だ。
ただ、人工呼吸器を使っていたりすればちょっとした外出でも負担は大きく、通院は簡単ではない。
そんな医療的ケア児にとって大きな助けとなるのが、医師による訪問診療だ。
それでも小児の医療的ケアという専門性が高い分野であることなどから、担い手はまだまだ少ないのが現状だ。
札幌市の小児科医・川村健太郎さん(44)の日常から、医療的ケア児への訪問診療の課題を探った。
ピンポーン。「こんにちは!」
小児科医の川村健太郎さんが、訪問バッグを手に患者宅を訪れた。
バッグには聴診器、体温計、血圧計といった基本的な医療機器や、電子カルテ用のノートパソコンが収められている。
「調子はどうでしたか?」
川村さんが院長を務める「生涯医療クリニックさっぽろ」(札幌市手稲区)では、18人(うち常勤は6人)の医師が、18歳以上の成人を含む約240人の医療的ケア児・者へ訪問診療を行っている。
川村さんによれば、子どもの訪問診療を専門にする診療所は、全国にも数えるほどしかないという。
ひとりの患者に対し、基本的に2週間に1度の定期訪問を実施。
前回訪問時からの体調の変化や、生活の様子などをチェックしている。
川村さん自身も1日に6~7件の患者宅を訪れ、片道50キロの距離を移動することもある。
移動手段はすべて自分たちで運転する車だ。
訪問診療には、厚生労働省が定めた「16キロルール」と呼ばれる規則がある。
医療機関と患者宅との距離が16キロを超える訪問診療は、近くに専門的に対応できる医療機関が存在しないなどの「絶対的な理由」がなければ保険診療として算定が認められないというものだ。
にもかかわらず川村さんが時に16キロルールを超える範囲を移動して保険診療を続けているのは、高齢者向けに比べ、医療的ケア児への訪問診療を行う医療機関が不足している実態を示している。
これは北海道に限らず、全国的な傾向だという。
川村さんが在宅医療と出会ったのは、研修医時代のことだ。
実習先の診療所では、医師による訪問診療だけではなく、専門職の訪問リハビリや看護、保健師による家庭訪問をおこなっていたという。
「医療職の専門的なサービスを必要としている場は患者さんの家であることが多いのに、病院の中でしかそのサービスを提供できない場面を多く経験してきました」
患者の生活の場である「家」で、その人に応じた医療を多職種によるチームで提供する在宅医療に触れた。
家の中での生活に合わせて、患者が大事にしたいことを実現できるように関わる医療者の姿に、「めっちゃいいな」と感じたのだという。
その後、病院で勤務をしていた頃にも、在宅医療の大切さを実感させてくれる高校生の女の子、ナナちゃんがいた。
ナナちゃんはもともと呼吸状態が悪く、自宅で鼻マスク式人工呼吸器を使っていたが、川村さんのいた病院に肺炎で入院し、一時は気管内挿管が必要となった。
そうなると、医師は通常は喉に気道確保の穴を作る「気管切開」を検討するという。
しかし、気管を切れば声は出せなくなってしまう。
そのため、ナナちゃんの家族は切開を希望せず、自宅にも連れて帰りたいと願っていた。
川村さんは、そのまま家に帰っても再入院になる可能性が高く、体調がさらに悪くなることもあると伝え、家族と話し合いを重ねた。
それでも家族の気持ちは変わらなかったため、心配しながらも一時帰宅を許可した。
すると、ナナちゃんの様子は一変したという。
「家に帰ったら、すごい呼吸が良くなっちゃって、笑顔も見られるようになった。『家ってすごい』と思ったし、自分の見立てなんて全然当てにならないなって思ったんです」
こうして川村さんは在宅医療の道を選び、あちこち訪問しながら子どもたちを診るようになった。
厚労省の2021年の推計では、医療的ケア児は全国に約2万人いると見られ、15年間で2倍以上に増えた。
一方、川村さんと同じように子どもたちの自宅を訪ねて診療する医師の数は、まだまだ少ない。
そこには、小児科医であれば病院勤務が中心であることや、高齢者の在宅診療医にとっては小児の分野に取り組むハードルが高いことなど、さまざまな理由がある。
それでも、子どもの訪問診療に関わる医師が増える意義は大きいと川村さんは考えている。
「自分のことを考えてもそうですが、病院と家のどちらが良いかと聞かれたら、ほとんどの人が家と答えるのではないでしょうか。もちろん、患者さんの体調やサポート環境などが整っていなければ家に帰れない可能性はありますが、訪問診療や在宅医療の関係者がいれば、できることは増えると思います」
子どもたちと家族が、家での暮らしを安心して選択できるようにするために必要なのは、子どもの訪問診療に対応する医療機関がさらに増えること。
川村さんはこれを「仲間づくり」と表現する。
高齢者向けの訪問診療の実績はあっても子どもの経験がない医療機関にとって、医療的ケア児を患者として受け入れ始めることへのハードルは高い。
医療的ケア児は高齢者と比べても人工呼吸器を必要とする割合が高く、医学的な専門性も高い。
そのため川村さんのクリニックでは、小児の訪問診療を検討している医療機関に対して、これまで培った経験や専門的な知識を伝えている。
患者の自宅で検査機器を使用して呼吸状態の評価をしたり、人工呼吸器の作動状況のデータを分析したりと、専門性の高い診療について研修をすることもある。
また、医師だけでなく理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、歯科衛生士、管理栄養士など多職種のチームで関わる子どもの訪問診療についても、外部の医療機関から多くの研修を受け入れている。
「最初は誰でも必ず困るから、相談できるだけでも気持ちが楽になると思うんです」と話す川村さん。ともに子どもの訪問診療に取り組む「仲間」として悩みや課題を共有できる関係になることで、医療的ケア児の支援者が増えることを目指している。
川村さんがもう一つの課題として挙げるのが、医療的ケア児が成長していく過程で、小児医療と成人医療の間をうまくつなぐことだ。
小児医療の対象は一般的には15歳(中学3年生)、医療的ケア児の場合は18歳未満とされる。
その年齢を過ぎれば成人に特有の病気なども増えてくるため、小児科医ではなく成人の診療を行う医師の関わりが重要となるからだ。
「『この先の医療をどうしたらいいだろうか』みたいなことが、患者さんにとっての悩みの中心になってほしくない」。
そう話す川村さんは、専門によってはっきりと分けられている医療側の体制に変化が必要だと感じている。
「健康状態を相談できたり、成長の過程を一緒に考えてくれたり、穏やかな時間を過ごせるようにサポートや支援を受けられるような選択肢がもっとあったらいいなって思っているんです」
川村さんは、ほかの在宅診療所への見学や医療関係者の集まりなどの際に、仲間づくりの大切さを伝えている。
そうした中で、前向きな反応や声をかけてくれる人が増えてきた実感がある。
子どもたちの生活を支える「仲間」の輪は、着実に広がっている。
参照元:Yahoo!ニュース