戻らぬあの人、戻れぬふるさと 奥能登豪雨から半年

能登半島を撮影した画像

昨年9月21日の奥能登豪雨から半年を迎えた被災地では、住民が家族や知人を失った悲しみを抱えながら暮らす。

ふるさとを襲った水流と土砂の爪痕は深く、泥出し作業は今も続く。

なりわい復活、住まい再建の道は険しい。

そうした中、被災者は前を向いて復旧復興に歩んでいる。

川沿いに黒く湿った土が残り、強烈な臭いが鼻をつく。

奥能登豪雨で中学生からお年寄りまで4人が亡くなった輪島市久手川(ふてがわ)町。

半年たった今も多くの住民が避難を続け、氾濫した塚田川そばの住宅には人けがほとんどない。

「早く自宅に帰りたいが、電気も水道も通っておらず、今は住めない」。

元区長の瀬(せい)例(れい)敏之さん(68)は、土砂がたまって浅くなった川底を見つめ、自宅に戻るにはライフラインの復旧と河川整備が必要と訴える。

昨年9月21日の豪雨当日、自宅から塚田川を見た瀬例さんは目を疑った。

幅5メートルほどの川からあふれた水が道路や畑に大河のように広がり、電柱が轟音(ごうおん)をたてながら流されていった。

自宅前にあった納屋は鉄砲水が突き抜けて全壊した。

少し高くなった場所にある自宅は床下浸水で済んだが、停電で携帯電話の明かりだけが頼りの中、2晩を過ごし、救助に来た消防隊員と一緒に避難した。

妻の有子さん(68)は「真っ暗な夜に、土砂が崩れる音がするのが怖かった」と振り返る。

川沿いの建物は高さ1メートルほどまで水に漬かり、この時に積もった泥が鼻をつく臭いの原因とみられる。

夫婦は避難所を経て昨年10月に輪島市内のみなし仮設住宅に身を寄せた。

「住み慣れた家に帰りたい」。

そう願う一方で2人は「今の状態では帰れない」とも話す。

必要なのはライフラインだ。

自宅付近では今も流木が山積みになっており、電気が通っていない。

一帯は能登半島地震で断水し、仮設の水道管が整備されたが、豪雨で押し流され再び断水している。

電柱や水道管の整備を切望するが、そのためにはまず、豪雨で寸断された道路を復旧しなければならない。

輪島市や北陸電力によると、久手川の道路と電気、水道の本復旧の時期は決まっていない。

さらに夫婦は、豪雨の土砂で浅くなった塚田川の川底を掘り下げることも求める。

瀬例さんによると、豪雨前は堤防から川底までの高低差が4メートル近くあったが、土砂がたまった現在は1メートル以下しかない場所もある。

「今の川の状態では少しの雨で氾濫しそうで怖い。浚渫(しゅんせつ)が終わらないと帰れない」。

有子さんは顔をしかめるが、河川改修も完了時期は不明。

国土交通省は再び豪雨が起きても流木を食い止められるよう、塚田川上流に鋼鉄製のワイヤネットを整備した。

瀬例さんによると、地震と豪雨を受け、久手川の住民は70世帯から現在は10世帯ほどに減った。

ただ、顔見知りの5世帯ほどは電気や水道が復旧すれば、久手川で家を再建して住みたいと希望している。

現代社会では当たり前のライフラインを待ち望む人々が被災地に今もいる。

参照元∶Yahoo!ニュース