「生まれ育った家にお礼を」 大船渡山林火災、避難指示解除後の町

焼け焦げた我が家を前に言葉が出ない。
そんな姿が至るところで見られた。
山林火災で大きな被害を受けた岩手県大船渡市の三陸町綾里(りょうり)地区では、10日の避難指示解除とともに、解除を待ち望んでいた住民らが急ぎ足で自宅に帰った。
ニュースの空撮映像で既に焼失を知っていた人もおり、改めて現状を目にし「今まで育ててくれた家だった」と静かに手を合わせる人もいた。
避難指示が解除された直後の午前10時過ぎ、記者は大船渡市中心部から山あいの県道を車で南に進んだ。
次第に道の両側に見える山の焦げ跡が目立ち始め、道路の両側は黒ずんでいた。
真っ黒な木片や焦げたショベルカー、熱で曲がり倒れた沿道の標柱もあった。
まだ消火活動が続いているとして、消防車両が慌ただしく道路を行き交っていた。
黒い焦げは、綾里で延焼した区域に進むほど鮮明になった。
あちこちで焼失地域の境を目視することができ、山全体が激しく燃えていたことが分かる。
車から降りるとまだ焦げ臭さが残っていた。
「どうしてあの時、もっと必要なものを持ち出せなかったのか」。
玄関や庭木の一部を残して焼け落ちた自宅に戻ってきた千葉八重子さん(67)は今も思い返す。
2月27日、延焼の知らせを受けて勤務先から急いで自宅に戻ったが、火の手が近くに迫っていた。
消防団員が「早く避難してください、急いでください」と一軒ずつドアをたたいて避難を呼びかけ、わずかな時間で身の回りのものを手にして家を出た。
それ以来の帰宅だった。
「今になって見に来たところでどうなるわけでもないけれど、生まれ育った家にお礼が言いたかった」という思いで戻って来たといい、自宅に向かって静かに手を合わせていた。
「ここを離れている間、ずっと気になって眠れなかった。避難所の人だけでなく、親戚の家に身を寄せた人、別の場所に避難した人もきっといろいろ考えて眠れなかったはず。本当に長かった」と語った。
綾里の港地区付近の集落は、密集した数十棟が全焼していた。
燃えた家と残った家が道路1本を隔ててはっきり分かれた場所も多い。
近隣の集落に戻ったばかりの70代の女性は出火当時を「もくもくと煙が上がり、見たことがないオレンジ色に太陽が光っていた。気味が悪くなってすぐ逃げた」と振り返った。
変わり果てた地元の風景を見つめていた住民は言った。
「多くは西側からの風で燃えたようだ。風向きが明暗を分けたのだろう」
参照元:Yahoo!ニュース