「事件をなかったことには絶対できない」加害者に問いかける遺族 傷つけられても心情等伝達制度を使う理由

家族を失った悲しみを抱える遺族をイメージした写真

これからも何度でも利用して、加害者に問いかけたい──。

2023年12月にスタートした「心情等伝達制度」。

25年前に娘を殺された横浜市の男性は、受刑中の加害者に心情を伝えることのできるこの制度を利用し、遺族の苦しさを伝えた。加害者から返ってきたのは、「過去をなかったことにしたい」という身勝手な言葉。

心ない返答に傷つけられても制度の利用を続けるのはなぜなのか。

別の被害者遺族である大阪府の男性は、加害者本人ではなく、刑務官などに心情を伝える活動を独自に行ってきた。

それはなぜなのか。

犯罪被害者の遺族と、遺族の声に耳を傾けてきた保護観察官に話を聞いた。

2023年12月にスタートした「心情等伝達制度」は、刑務所等で受刑中の加害者に、被害者やその家族・遺族が、問いかけやメッセージ(心情等)を伝えることができる制度だ。

法務省の発表によれば、開始から1年で136件の申請受理があった。

そのうち、生命・身体犯が35件、交通事犯が31件、財産犯が34件、性犯罪が17件、その他が19件。

神奈川県横浜市に住む渡邉保さん(76)は、この制度をすでに2度利用した。

さらに3度目の利用を考えている 。

制度上、利用回数に制限はない。

渡邉さんは、制度を使って加害者に繰り返し心情を伝える理由を、「犯罪被害者がようやく手に入れた権利だから」と話す。

「(加害者からの苛烈な返答に)ショックは受けましたが、20年以上経っても何も更生できていないどころか、ひどくなっているとわかったことが収穫です。いつか答えが変わるのか、変わらないのか。(自分が)生きている限り、制度を利用していきたい」

渡邉さんは2000年10月、当時22歳の長女を男性に殺害された。

加害者は被害者の中学校の同級生で、かねてストーカー行為を繰り返しており、帰宅途中の被害者をRV車ではね、農地に連れ込み、首を包丁で刺して絶命させた。

2003年に自首、一審で無期懲役の判決が出て二審もこれを支持、被告は上告したが最高裁は棄却した。

刑事裁判の法廷で、加害者は遺族に向かって「お前が迎えに行かなかったから娘は死んだんだ」と暴言を吐きつけた。

渡邉さんが新制度の開始を知ったのは2022年の秋。

当初は利用に消極的だった。

「相手が相手だから、何を言っても響かないだろうという諦めの気持ちがあったんです。でも20年以上経って加害者も反省をしているかもしれないとほんのちょっとだけ期待したんですが……見事に裏切られました」

2024年6月、渡邉さんは制度利用のため刑務所へ赴いた。

刑務所内の一室で、被害者担当刑務官男女1名ずつと向き合い、1時間半にわたって思いのたけを話した。

あらかじめ話す内容を箇条書きにしており、それも手渡した。

刑務官が聴取した内容をその場で文書にし、渡邉さんも確認した上で「心情等録取書」が作成された。

後日、刑務官が加害者に書面を読み聞かせるかたちで、渡邉さんの心情が伝達された。翌7月、渡邉さんのもとに「心情等伝達結果通知書」が届いた。

その時の様子をテレビ局が取材していた。

渡邉さんは通知書を開封すると、文章を目で追ったあと、数秒沈黙した。

「どういうことなんでしょうね……」。

そう漏らすと、怒気を含んだ声で吐き出した。

「ふざけるなって……」

筆者が取材に訪れたのは、この4カ月後。

封書を開けた時のことを改めて聞くと、渡邉さんは「よく覚えていない」と言う。

それぐらいショックだったということだろう。

渡邉さんが「心情等録取書」に込めた問いかけは、「裁判中は無罪を主張していたが、刑が確定して受刑していることについて、どのように感じているのか」「今どういう思いで刑務所にいるのか」というものだった。

返答は次のようなものだった。

[再審請求で棄却されたから、全部認めるしかないし、これ以上争ってもしょうがない][過去のことは忘れて、今できることをやりたい。人生をやり直すことを考えている]

渡邉さんは憤る。

「はらわたが煮えくり返る思いでむかむかして……。何が、過去のことは忘れて今を生きたいだ、人生をやり直したいだ、と。お前にやり直す人生なんかないよと思って読んでいました。車ではねてパニックを起こし、娘を刺したという事実はようやく認めましたが……」

翌8月、渡邉さんは2度目の制度利用を行った。

犯行の計画性について、納得できる答えが返ってこなかったからだ。

「私たち家族は、今でも事件と向き合って苦しい生活を送っている。お前は刑務所の中で死ぬことになる。過去のことをなかったことに絶対できない。そのことをどのように考えるか」という鬼気迫る質問も入れた。

2度目の「心情等伝達結果通知書」は9月末に届いた。

その内容は1度目以上に渡邉さんを傷つけるものだった。

[保さんがどう思っていようが、俺には関係ない]

[過去のことは、俺はなかったことにする。それを保さんが自己中心的な考えだと思うなら勝手に思えばいい]

[こんなこと何回もやってられない。俺的にはゼロからやり直そうと思っているのに、わざと邪魔してるようなもんじゃん。変な手紙を送ってきて、嫌がらせですよ]

[俺のことを憎んでもどうしようもない。人を憎んでも、挫折とか絶望しか生れない]

[二度と手紙を書いて来ないでください]

計画性についても、[目的はない、偶然そうなっちゃった。行き当たりばったりで、もし、計画的犯行なら財布とか盗んでいる。そのことは弁護士も言っている]という主張を繰り返した。

傷口に塩を塗りこむような言葉の羅列。

渡邉さんによれば、法務省も、制度開始前から、このような苛烈な言葉のやり取りになることは予想しており、研修でそのまま伝えるべきかどうかの議論があったという。

渡邉さんは2回目の心情伝達を郵送で行ったが、その際、こんな経験をした。「『私の思う責任のとり方は、今すぐお前が死ぬことだ。この世からいなくなることだ』と書いたら、担当の刑務官から電話がかかってきて、『それは自死を促すことになるので、そのまま伝えることはできません』と言われた。表現を変えていいかと聞かれたので、仕方なく応じました」

渡邉さんは、刑務官の負担を気遣いながらも、こう話す。

「刑務官は、被害者や遺族とどう接していいかわからず、言葉遣いや振る舞いによっては二次被害を与えてしまうのではないかという戸惑いがあると思います。ただ、被害者はこういう思いでいるんだ、この加害者がやったことは被害者や遺族にこんな打撃を与えて、苦しめているのだということをわかってほしいんです」

犯罪被害者側が抱えてきたもどかしさの一つに、刑務官や保護観察官など、加害者の矯正や更生保護に関わる人たちに、犯罪の態様や被害者の苦しみが十分に伝わっていないということがある。

遺族のなかには、犯罪者の教育や更生に携わる人間は、加害者がどのような人物で、どのような罪を犯したのかを十分に認識しているべきだ、という考えは以前から存在した。

大阪府河内長野市に住む大久保巌さん(60)は、16年前、次男(当時15)を当時17歳の少年に殺害された。

大久保さんは、前例のない行動に出た。

加害者が少年刑務所に収容された直後から、関係機関に遺族としての思いを伝えていったのだ。

事件が起きたのは2009年6月。

加害者の少年は被害者のガールフレンドに手を出そうとしたが手厳しく拒否されたため、被害者をだまして呼び出し、バットで頭部などをめった打ちにして殺害し、川に放り込んだ。

加害少年は、刑事裁判の法廷で、謝罪の気持ちを問われた場面で笑うなどの態度をとった。

加害少年には、当時の少年法に則って、懲役5年以上10年以下の不定期刑が言い渡された。

裁判は社会的な関心を呼び、裁判長は判決文に「10年の懲役刑でも十分ではない。少年法の適切な改正が望まれる」という異例の付言をした。

その後、2014年に、少年に対する有期刑の上限を20年に、不定期刑の上限を短期(下限)10年、長期(上限)15年にそれぞれ引き上げる少年法改正がなされた。

本連載の第1回で取り上げた福岡の女性刺殺事件(2020年)の加害少年に対しては、改正後の量刑が適用されている。

府中刑務所(写真:アフロ)事件後、大久保さんは毎日復讐を考えたという。

次男の仇をとりたい。

激しい無念は夢をも支配した。

しかし、時間が経つにつれ、加害少年が死刑になろうが、親も含めて皆殺しにしようが、到底納得できないことがわかっていったという。

「次男の命を奪ったことが帳消しになるわけではない。しかも満期でもたった10年です。ただ、裁判長の付言は法を超えるものがあったと感じたので、そのことを関係者に伝えなくては、と思いました。刑務所に被害者の親が来たということだけでも、刑務所の方々の印象に残るじゃないですか」

大久保さんは、少年が収監されている少年刑務所の刑務官や、いずれ仮釈放の審査に関わることになる地方更生保護委員会の委員などに面会することを望んだ。

「加害者に関わる刑務官や保護観察官などに、私の息子が巻き込まれたのがどんな事件で、加害少年がどんな少年で、刑事裁判の内容がいかにひどいものだったかを、しっかりと理解してほしかった。刑務所から仮釈放の申請が上がってからでは遅いと思っていたので、最初に収監された少年刑務所に2〜3年間通い、そこが閉鎖になったあとは、移送先の九州の少年刑務所に毎年足を運びました」

当時、犯罪被害者遺族が刑務官に心情を伝えた前例はなかった。

法務省の見解は「制度はないが、できないというルールもない」。

結局、現場の裁量に委ねられることになった。

数カ月の交渉の末、まず保護観察所との面会が実現した。

次男の写真を大量に持参し、次男の人生や思い出、親としての胸中を語った。

保護観察所の職員は「遺族の心情に初めて触れました」と話したという。

大久保さんが「刑務所にも話を通してほしい」と要請すると、時間は要したが刑務所を訪ねる許可も下りた。

「刑務所長や担当官らが会ってくれました。私が話をしなければ、彼らは、加害者がどんな人間だったかも、私たちが事件後どういう思いで生活をしてきたかも、知らないままだったでしょう」

のちに大久保さんは、加害者が出所した際、直接面会することを断っている。

その理由をこう話す。

「加害者に答えを求めてもムダなんですよ。それでは私にとっては全然足らんのです。わかりますか? 全然足らんのです。うちの子どもは加害者に殺されているのだから、加害者がどれだけ苦しもうが足りないんです」

大久保さんは今回の新制度について、一定の評価はしている。

しかし、仮に当時この制度が存在していたとしても、刑務所や保護観察所、地方更生保護委員会などの関係機関に事件内容や遺族の思いを伝えるためには利用しただろうが、加害者から返事をもらうことは望まなかった、と断言する。

いずれにせよ、大久保さんの行動が、今回の制度の礎(いしずえ)の一つになったと言えるだろう。

保護観察官として加害者の更生を本分としながら、被害者の心情にも耳を傾け続けてきた一人に、法務省近畿地方更生保護委員会・事務局次長の西崎勝則さん(54)がいる。

保護観察官は、犯罪や非行をした人の社会生活の中での立ち直りを保護司などと協力して指導・支援する。

保護観察所は現在、全国に50カ所ある。

西崎さんが保護観察所の被害者担当官となったのは、保護観察中の加害者に被害者の心情を伝える「心情等伝達制度」をはじめとした、更生保護における犯罪被害者のための制度が始まった2007年のこと。

「被害者担当官となるまで、私は、保護観察は、加害者の更生のためには、その人たちの問題のある部分も受け止めて寄り添うことだと考えていました。その考えは今も変わりませんが、他方で、目の前の加害者の更生を願うあまり、意識の中で、その向こうにいる被害者の存在を、どこか遠くへ追いやっていた自分がいました」

西崎さんは、被害者担当官となって以後、被害者遺族の集会に参加するなどして、犯罪被害に遭った人の実情や気持ちを直に知るようになる。

「衝撃でした。それまで味わったことのないものでした。被害者の声を聴けば聴くほど、加害者の更生に携わる立場だからこそ、被害者の声に耳を傾け、仕事に生かさなければならないと思うようになりました」

西崎さんは「かつては自分も、加害者に『すべてを忘れて一から出直してがんばるように』と指導したことがあるんです」と吐露する。

しかしそれは、被害者側から見れば反感しか湧かない。

被害者遺族の会に参加した当初は、自分が「加害者の支援側の立場」であることを明かすべきか迷い、話し合いの輪に入ることができなかった。

しかしある時、自己紹介を求められ、「実は」と恐る恐る名刺を差し出した。

すると、「あなたみたいな人がこういう集まりに来てくれることが大事なんだよ」と歓迎された。

以来、行政官の知識を生かして犯罪被害者のさまざまな相談に応じ、次第に頼られるようにもなった。

筆者の知る限り、西崎さんほど頻繁に犯罪被害者遺族の集まりに足を運んだ行政の人はいない。

被害者支援を考えれば、司法行政との連携は欠かせないが、両者の間には溝があった。

その溝を埋めるのに、西崎さんのかかわりが貢献したことは間違いない。

西崎さんの勤める職場は法務省保護局の所管で、矯正局所管の刑務所や少年院で始まった新制度に直接関係する立場ではないが、被害者と加害者の両方に接してきた西崎さんは、新制度を冷静に見ている。

「被害者にとって、加害者の指導を刑務所が行おうが、保護観察所が行おうが、国がやっていることに違いはないんです。新制度を利用することで、被害者が、加害者の贖罪意識が不十分だと思えば、その不満は国に向けられるのです。また、新制度によって、加害者自身も、指導にあたる刑務官らも、被害者や遺族の思いを突きつけられます。そこで生じた課題を、今度は保護観察が(加害者をどう更生させるかという)宿題として受け継ぐことになります。真に被害者のための制度とするためには、それぞれの役割をしっかりと果たしていく必要があります」

参照元∶Yahoo!ニュース