「このままでは産業が消える」 美濃焼の「とっくり王子」がメスを入れた流通の仕組み

美濃焼をイメージした写真

岐阜県多治見市は、日本でも有数の焼き物の産地として知られている。

野村健太さん(37)は多治見市で、陶器ボトルをはじめとするとっくりの販売を手掛ける商社に入社。

営業マンとして働く中で、市内でも製造が盛んな高田・小名田地区の陶器メーカーが次々に廃業していく様子を目の当たりにする。

「このままでは産業が消えるかもしれない」と危機感を抱いた野村さんは2024年、陶器ボトルの商品開発やPRを手掛けるために起業。

「とっくり王子」を名乗り、クラウドファンディングにも挑戦しながら、業界の流通に新しい仕組みを生み出そうと活動している。

もともとお酒が好きだったという野村さんは、建設業界から転職して、2011年に陶器ボトルを扱う商社に入社した。

入社後は営業マンとして12年間、全国の酒蔵を飛び回りながら、お中元やお歳暮、父の日や退職祝いなどの贈答品に使う陶器ボトルの販売を手掛けたという。

商材である陶器ボトルを車に載せて、日本各地のホテルを転々としながら、年の半分くらいを出張にあてる日々だった。

「お酒は好きでしたが、最初から高い志を持って入社したわけではありません。営業マンとして全国を飛び回る中、さまざまな酒蔵さんや陶器ボトルを製造する職人さんと接していくうちに、徐々にこの仕事に熱が入るようになっていったんです」と、野村さんは振り返る。

中でも、多治見市の窯元で働く職人たちが手作業で陶器ボトルを仕上げていく細やかさに、驚きと感動を覚えたという。

同時に、この業界の課題も見えてきた。

窯元を訪ねると、働いている職人は70~80代。

生地づくりを担う職人には、90代もいた。

そして、多くの陶器メーカーや窯元には、後継ぎがいない。

廃業も相次ぐ中、このままでは高田・小名田地区の陶器メーカーが消えてしまうかもしれないと、野村さんは危機感を抱く。

後継ぎがいない原因のひとつは、賃金が安いこと。

現在の流通において、陶器ボトルは「備品」の扱いだ。

酒蔵はお酒を入れる備品として捉えているため、ライバルは安価な瓶。 

加えて、昨今は若い人の間で、以前よりもお酒が飲まれなくなった。

需要が減っている中、陶器ボトルの値段を上げようにも、価格転嫁がうまくいかない。

大切な文化である文字入れも一面20円と、安いものになっている。

さらに、労働時間の長さも、後継ぎを見つけづらい原因のひとつになっているという。

窯元の職人は、深夜の2時に工場に行き仕事を始めることもしばしば。

かつては分業制で、アルバイトを雇いながら3~6人でやっていた作業を、すべて1人で行っていることも珍しくないそうだ。

「陶器ボトルの値段が上げられず、アルバイトを雇おうにも賃金を多く出せません。さらに、ただでさえ人口が減少している中、若者は賃金の高い隣の愛知県に出ていってしまうんです」と、野村さんは話す。

窯元の職人たちも「この仕事には将来性がない」「子供には継がせたくない」と口にしている状況で、営業マン時代の野村さんは頭を抱えた。

一方で、全国を飛び回りながら営業を続ける中で言われた「陶器ボトルは素晴らしいもの。なくしちゃだめだよ」という酒蔵の言葉によって、「この文化をなくしてはいけない」と、野村さんの中で決意が固まったという。

陶器ボトルを作るまでには11の工程があり、製造にかかる期間は約1.5カ月。

そのすべてが職人による手作業だ。

ボトルにメッセージなどを入れる「名入れ」をすれば、一点ものとしての価値が出る。

瓶にはない世界観を演出できるところが、陶器ボトルの強み。

「高田・小名田地区の陶器ボトルには、江戸時代後期、ガラス瓶が日本に入ってくる前からの、400年以上の歴史と伝統があります。通販サイトに行けばワンクリックでモノが手に入るこんな時代だからこそ、手間暇をかけて作られる陶器ボトルの魅力を伝えていきたいと考えるようになりました」と、野村さんは語る。

値段を上げようにも上げられない、賃金を出せないので人を雇えない。

そのため労働時間が長くなり、後継ぎが見つからず、高齢の職人が作業に従事し続けることで、製品の不良率も上がってしまう。

この負のサイクルから脱するためには、現在の流通の仕組みを変える必要があると、野村さんは考えるようになった。

現在の流通は、酒蔵が起点だ。

窯元は、酒蔵に商品を販売する商社に言われたものを一円でも安く製造することで、需要に応えてきた。

高田・小名田地区の窯元は、いかに商品を安く作るかに特化しすぎてしまったと、野村さんは現状を語る。

この流通の仕組みに変化をもたらすために、従来は単なる「備品」と考えられていた陶器ボトル自体にスポットを当て、野村さんが間に入り、酒蔵と窯元とが一緒になって商品を共同開発できないか。

営業マン時代からアイデアマンだったという野村さんは、このアイデアをもとに、陶器ボトルの商品開発やPRを手掛ける企画商社「とっくり王子」の起業を決意する。

「起業を決めてからは、窯元を訪ねると、毎回面白いアイデアを持ってきてくれるから楽しいと職人さんたちが声をかけてくれるようになりました。自分としても、それまでは現状を嘆いているばかりでしたが、起業を決意してからは顔つきが変わったと家族に言われました」

商品開発にあたって窯元の職人たちも、最近は使われなくなった昔の形状や、挑戦したことのない色など、さまざまなアイデアを提案してくれるようになったという。

さらに野村さんは、3年前から筆を取り、陶器ボトルに文字を入れる「名入れ」の技術を自らも習得しようと励んでいる。

きっかけは、注文をとってきて発注した際「その文字数だと難しい」と、窯元に断られてしまったことだった。

実際に筆をとってみると、陶器が曲面のため、単なる習字とは違う難しさがあったという。

「文字のバランスを調整できなかったり、細く書きすぎて潰れてしまったり、漢字のとめ・はねを上手く書くことができなかったり、筆からはっ水剤が垂れてしまったり、自分で筆をとってみると新たな発見がありました。商品開発にあたって、何か新しいことを取り入れたいですし、これまでと一緒だとは思われたくありません。自ら名入れの技術を習得することで、できることの範囲を広げていきたいと思ったんです」 

修練の結果、「ありがとう」など短い定型文であれば1分程度、個人名などを含む長い文章の場合は10分程度で、名入れすることができるようになったという。

起業を決意し商社を退職した2023年には、多治見市で出店・創業する起業家やスタートアップを支援する「第6回たじみビジネスプランコンテスト」で、創業グランプリを受賞。

酒蔵と窯元と一緒に商品開発を行うことによって陶器ボトルの付加価値を高めるという事業モデルについて、プレゼンを行った。

2024年8月には、酒類販売管理者の免許も取得する。

現在は、妻・幸枝さんの実家である玉川釉薬の社員としてタイル用釉薬の営業職を務めるかたわら、オンラインで注文できる名入れ酒器ギフト専門店「SHUSHU」の立ち上げに向けて奔走している。

起業後は、最初の大きなプロジェクトとして、2024年11月に「『名入れ陶器ボトル』を広めたい!とっくり王子の挑戦!」と題したクラウドファンディングにも挑戦した。

目的は、高田・小名田地区の陶器ボトル業界の現状と、美濃焼陶器ボトルの総合プロデューサーとして行う事業を、多治見市以外の人にも知ってもらうことだった。

「同じ陶器の産地でも、生き残っているところはオリジナル商品を作っていたり、うまくトレンドを発信したりと、工夫を重ねています。高田・小名田の陶器ボトルはこれまで、こういったアピールをほとんどしてきませんでした。贈答品を贈る20~30代のお客様に注目してもらえるような新しい形状・色のボトルを開発し、それを全国に発信していく必要があると考えています」

返礼品には、野村さん自身が名入れを行うカップや麦焼酎入りの陶器ボトルなどを用意。

実際にクラウドファンディングを始めてみると、窯元の職人はもちろん、チラシを置いて広報に協力してくれる人や、サイトのデザイナーなど、多くの人からの応援が目に見えるようになったという。

クラウドファンディングは、2025年1月24日に終了する。

野村さんは「窯元の後継ぎではない自分が、この事業を拡大していく決意を固めるための、のろしを上げる試みでした」と振り返る。

野村さんは今後も、陶器ボトルの工場見学や名入れ体験ができるツアー、海外展開など、「できるだけ安く作った商品を酒蔵に販売する」以外の戦略を考え続けるという。

目標は、3年後に売上高2千万円を超えること。

「現在、自分には2歳の息子がいます。メーカーの相次ぐ廃業をどうにか食い止め、子供が大人になったとき、自分が生まれ育った場所の産業である多治見市の陶器ボトルを誇れるようにしたいんです」

オリジナル商品の開発やクラウドファンディングなどでの発信を続けることで、20~30代の若者に興味を持ってもらい、彼らが新たに業界に参入してきてくれることにも期待しているそうだ。

「後継ぎ探しも含め、もちろん簡単なことではありません。でも、誰かが旗を揚げないと見てもらえませんからね。1人でも2人でも、この産業に興味を持ってくれる人が増えたらいいなと思っています」

「とっくり王子」として、陶器ボトルの流通に変革をもたらす野村さんの活動は続く。

参照元:Yahoo!ニュース