9年で668社の神社が減少 危機の「祭り」に女性や地域外の人たちの参加、マッチングサービスも
高齢化や人口減少が神社や祭りにも影響を与え始めている。
文化庁の調査では9年間で668社の神社が減少。
また、祭りも減りだしている。
地域住民が参加する祭りは人手がなければ成り立たない。
そこで、国指定の重要無形民俗文化財の祭りでも、地域によっては伝統の解釈を変えるなどして、祭りの維持に乗り出している。
女性や地域外の人たちの参加のほか、マッチングサービスを始めた自治体もある。
肌を刺す冷気が漂う山深い谷間、川沿いに立つ社殿から漏れ聞こえる笛の音が静かな夜を満たす。
夜が更けるにつれて人々が続々と集まり、湯釜の周りで踊る白装束の舞い手を囲み、社殿を埋めていった。
参拝客は約100人。
空が明るみ始めた午前6時半頃、天狗の面(おもて)を着けた男が現れ、煮えたぎる湯を素手で払う儀式が始まる。
飛び散る湯に歓声が響き渡り、祭りは最高潮を迎えた。
2024年12月11、12日、長野県の南端に近い飯田市上村。
正八幡宮(上町地区)で一昼夜をかけた祭りが行われた。
遠山地方の神社で奉納される「遠山郷の霜月祭」だ。
約800年の歴史を持つ重要無形民俗文化財だという。
それだけの歴史ある祭りだが、近年、新しい取り組みを始めた。
女性の参加だ。
この日、社殿の中央、湯釜の周りで舞う男性たちの中に、神楽の調べに合わせて足を運びながら扇を広げ、優雅な動きを見せる若い女性の姿があった。
同地区出身の会社員、坂井優花さん(仮名、24歳)だ。
3年前から参加していると坂井さんが言う。
「今年は県外へ転勤したので、(釜を加熱する装置である竈〈かまど〉に火を入れて行われる)宵祭りには参加できませんでしたが、限られた時間でも(本祭りの)霜月祭に参加できて良かったです」
霜月祭はもともと女人禁制だ。
舞うのはもちろん、竈の作り替え、焚き物、食事の準備などの一切が地域の男性住民の手によって行われるのが習わしだった。
正八幡宮の宇佐美秀臣宮司(66)によれば「昔は女性が神社境内の掃除をすることにも抵抗感を持つ人が多かった」という。
しかし、その習わしを維持することは近年難しくなった。
上町地区の世帯数は約50戸、平均年齢は約70歳に達した。
都市部への人口流出による過疎化と少子高齢化が進み、祭りの担い手不足は年々深刻さを増した。
このままでは祭りを絶やすことになりかねない――。
そう危惧していた宇佐美宮司は、ある出来事をきっかけに女性に参加してもらう決断を下した。
「2020年、古事記、日本書紀が生まれてから1300年の節目を記念した、宮崎県の『記紀編さん1300年記念事業』で同県に招かれ、我々の祭りを披露しました。このとき、九州の祭りの関係者が祭りを維持するため、女人禁制を解くことを検討していた。それを聞き、だったら我々もそうすべきだと痛感したんです」
女性参加に否定的な意見が住民の間にあることも分かっていた。
そのため、宇佐美宮司は「意味づけ」を考えた。
「祖父が宮司の時代には、すでに祭りの日の食事を準備する役割は女性が担ってもよいとされていました。各家庭から男性に出てもらい、祭りの手伝いをしてもらっていたのですが、当時すでに女性1人だけの世帯もあったからです。そこで『うちのじいさんの頃から私たちは祭りの日、女性が作った料理を食べてきた。将来、女性が舞う状況が来る準備をしてくれとったんだ』と意味づけて、納得してもらいました」
2020年12月の祭りで初めて宇佐美宮司の妻が最初の舞い手となり、翌年、坂井さんが続いた。
こうした判断は結果として、霜月祭にとってはよかった。
遠山地方では担い手不足により祭りを中止した地区もある。
かつて遠山郷の霜月祭は17社で営まれたが、今では8社にまで減っている。
そんななか、上町では祭りの継承に向け、女性にも参加してもらうことで祭りを続けている。
「本来の姿を変えてまで続けるのは違うとなった地区もある一方で、上町では形を変えてでも先人の伝統をつないでいきたいという気持ちの方が強かったのだと思います。私はこのように維持していくのに一定の意義は感じています」(坂井さん)
祭りが全国で減っている。
毎日新聞の無形民俗文化財アンケート調査によれば、都道府県が指定する無形民俗文化財(1737件)のうち93件が休止状態にあり、1975年に現行の指定文化財制度が始まって以来、指定を解除された祭りや行事は9件あるという(2024年11月6日の記事)。
市町村が指定・選定する6541件や、そもそも指定・選定されていない祭りになると、さらに多くが休止に追い込まれていると見られる。
祭り休止の次の段階として懸念されるのは、そんな祭りの舞台でもある神社の消滅だ。
実際、文化庁宗務課による宗教統計調査では2015年以降急減し、8万1237社だったのが2024年には8万569社と9年間で668社がなくなっている。
神社がなくなるとは何を意味するのか。
「法的には、宗教法人格が一つ減ることを意味します。単に解散だけのケースもありますが、多くの場合、解散と同時に企業の吸収合併に相当する神社合併が行われます」
そう語るのは、宗教法人の行政手続きを専門に扱う行政書士で、自身も富士浅間神社(群馬県)で神職の役職の一つである禰宜(ねぎ)を務める小峯孝洋さんだ。
神社合併では、その神社の氏神に他の神社へ遷(うつ)ってもらう合祀祭と呼ばれる儀式が執り行われるという。
その前に必要なのが宗教法人法に基づく法律上の手続きだ。
まず対象となる神社が所属する包括団体(多くの場合は神社本庁)に合併を申請する。
次いで、神社の掲示板などに公告文を貼りつけて地域に合併を周知する。
最後に各都道府県庁に申請し、審査が通ったら、法務局で合併の登記を行う。
その段階で合併される側の元の宗教法人が解散される。
ただし、法的手続きだけですべて解決するわけではない。
減少中とはいえ、今なおコンビニエンスストアの数(2024年11月現在、5万5692店)より多い約8万の神社が全国各所に鎮座している。
それに対し、宮司など神職の数は約2万人。
じつは、神職はその人数の4倍にあたる神社を管理している。
それを可能にしているのが複数の神社の兼務だ。
多いと30社以上を兼務している宮司もいると小峯さんは言う。
「地域で神社を支えるのは氏子ですが、その氏子が極端に減ってしまうと、祭りや境内の維持管理もできなくなっていく。資金不足状態に陥り、宮司は周辺の神社との合併を考え始めます」
法的手続きを行わず、管理者である宮司がいなくなった神社は不活動宗教法人となる。
そうなると、乗っ取られて脱税などに悪用される恐れがある。
したがって、実質的な活動がなくなった段階で、解散・合併手続きをするのが望ましいが、実際には合併せず、放置されている神社が多いという。
「合併の手続きは煩雑で、費用もかかるからです。数は少ないとはいえ残っている氏子にとって愛着のある神社から氏神がいなくなるのはつらいことでしょうから、宮司から『もう合祀しましょう』となかなか切り出しにくい事情もある。私も神職なのでその気持ちはよく分かります」
「地域の過疎化と高齢化により合併ということになりました。今では合併済みの神社はすでに草に覆われ、木が社殿を貫くなど、社は朽ち果てつつあります」
8年前に兼務社の合併手続きを行った北関東の神社の関係者はそう語った。
地域の氏子との間でどんな議論があったかについては、口は重かった。
氏子あるいはその地域の人にとって、祭りなどの行事で長く親しんだ神社がなくなることは地域のアイデンティティーの喪失にも近い。
國學院大學神道文化学部教授の黒﨑浩行さんは、「神社やお祭りは地域コミュニティーの再生に貢献しうる」と指摘する。
黒﨑さんは2011年3月11日の東日本大震災以降、岩手、宮城、福島の神社を巡り、復興過程を調査してきた。
特に注目したのが祭りの役割だった。
「住民が多数亡くなったり、神社が倒壊・浸水したりするなどして、2011年には祭りの休止を余儀なくされた地域が多かった。しかし、その後は祭りを再開することが復興への第一歩だといった声をよく耳にしました」
ただし、地域によっては、住民だけで祭りを再開するのが難しいところもあった。
そうしたところで導入されたのが、地域外の人々を祭りの担い手として確保する試みだった。
黒﨑さん自身、2012~2013年に宮城県女川町や岩手県大槌町で神輿(みこし)担ぎや山車引きを手伝った。当初は葛藤もあったという。
「祭りは本来、地域住民のものです。その主体性や継続性を考えると、外部の人間が関与するのは本来好ましくない。しかし、支援する側、受ける側が、祭りを通じて縁を感じる経験にも価値はある。そう考えると、外部の支援が入ることもいいのではないかと思いました」
津波に襲われた宮城県気仙沼市唐桑町の宿浦地区。同地区に鎮座する早馬神社で毎年10月に行われる神幸祭(しんこうさい)も現在は地域外の人々の支援により成り立っているという。
「もともとは宿浦地区の家の長男たちが神輿を担いでいましたが、1990年代には少子高齢化の影響で担ぎ手が減り、祭りの継承が困難になっていたんです。それで気仙沼市の漁協青年部など宿浦地区外の人々に声をかけて早馬神輿会を結成し、日程も多くの人が参加しやすい日曜日に変更したそうです。そのおかげで震災の年も神輿を上げることができ、その後も祭りが維持されています」
こうした地域外の人による神社や祭りへの支援は、いまや全国的なものだ。
冒頭で紹介した遠山郷の霜月祭も、上町に住んでいない会員を含む霜月祭保存会(上町地区)が祭りの準備から舞まで中心的な役割を果たし、竈に薪をくべたり、湯釜に水を足したりする作業も、上町地区外の社会人や大学生が手伝っている。
上村公民館主事の井川真輝さんによると、霜月祭では大人だけでなく、地区外の子どもたちも大きな役割を果たしているという。
「祭りには、子どもの舞のパートがありますが、その参加者の半数以上は飯田市の市街地の子どもたちです」
11月から練習を始めたが、当初、市街地から通う子どもたちは下校後から帰路に就くまでの短い時間しか練習できず、舞の完成度が低かった。
運営側は子どもたちの演目を取りやめることも検討した。
ところが、子どもたちが空き時間に自主的に練習した結果、急激に上達し、上演にこぎ着けたのだという。
保存会のメンバーで、同地区で暮らす山口雄大さんは「次につながる成果だった」と振り返る。
「市街地から上村小学校に通う子どもたちが親御さんと一緒に祭りに来てくれたのですが、夜通し続く大人たちの舞を最後まで見て『すごかった』と言ってくれた。お祭りを知ってもらうきっかけになってよかったと思います」
祭りが市街地と遠山郷をつなぐハブのような役割を果たしているのだ。
祭りや行事を通じて地域と外部の人をつなげる行政による取り組みもある。
福岡県が2023年8月に創設した「地域伝統行事お助け隊」制度だ。
「お助け隊」の派遣を希望する行事の実施団体は、地元市町村の企画担当課や文化財担当課を通じ、山車の引き手や会場設営など、どんな担い手に何人参加してもらいたいかを福岡県に申請する。
一方、伝統行事に参加したい人は「お助け隊」のホームページで「お助け隊」に登録し、ホームページに掲載された情報や県から通知されるメールをもとに参加を希望する行事を選んで申し込む。
お互いが了解すれば派遣が実現する。
福岡県が仲介する祭りのマッチングサービスと言える。
現在(2024年11月)までの登録者は284人。
創設以来15件の伝統行事の募集案件を掲載し、計39人がお助け隊として各地に派遣された。
福岡県市町村振興局政策支援課地域政策監の宮嵜敬介さんは、1年間の運営でマッチングが成立しやすい活動内容の傾向が見えてきたという。
「神輿を担ぐなど行事の担い手は人が集まりやすいです。一方で、神楽の舞手のように一定期間の練習が必要なものに申し込みをいただくことは難しい傾向があります。登録者の年代は40代、50代で、時間に余裕がある方が多いですね」
お助け隊制度を始めたきっかけは、多くの伝統行事が休止に追い込まれたコロナ禍だという。
「感染状況が落ち着いて、いざ再開しようとしても人が集まらない状況があることが分かりました。このまま伝統行事が途絶えると、地域のコミュニティーがバラバラになるという危機感もあり、福岡県ではこのような事業を始めました」
お助け隊制度のもう一つの狙いは、関係人口の創出と移住・定住の拡大だという。
「私ども政策支援課では、以前から県外の方に向けて福岡県の魅力を発信する『ふくおかファンクラブ』というサイトを運営し、メールやLINEで地域の体験イベントや地元の祭りなど、県内市町村から寄せられた情報を発信しています。現在、『地域伝統行事お助け隊』登録者の大半は県内在住者ですが、今後は県外の人にも参加してもらえればと考えています」
祭りを介して福岡県との接点が増えれば、その中から移住に至るケースが出てくるかもしれないし、さらに地域が活性化するかもしれない。
そんな期待を抱いている。
女人禁制の解除や地域外の人々の参加。
高齢化や人口減少で地域が弱るなか、多様な価値観を受け入れることで、祭りに新たな活力が生まれている。
祭りが維持され、多様な人が関係していけば、地域コミュニティーも維持される可能性がある。
祭りの火はまだ燃えている。
参照元:Yahoo!ニュース