愛と発信で支える復興と未来 元Juice=Juiceリーダー・宮崎由加が見つめる能登と石川
日本の女性アイドル界をリードしてきた「ハロー!プロジェクト」に所属し、その中から2013年に結成された「Juice=Juice」で初代リーダーを務め、日本武道館公演や海外公演を経験した宮崎由加さん。
2019年の卒業後は、地元・石川の魅力発信にも取り組んでいる。
先日、能登地方の被災地へボランティアとして足を運んだ彼女は、改めて人手不足や情報発信の大切さを実感したという。
アイドル時代に培った“伝える力”を、今度は故郷のために注ぎ込む。
地元への思い、被災地支援、そして後輩たちへ示したい新たな道について、宮崎さんにじっくりと話を聞いた。
──先日、能登地方の被災地でボランティア活動をされたと伺いました。現地を訪れてどのようなことを感じましたか。
一番に感じたのは「人手が足りない」ということでした。
1月の地震、そして9月の豪雨の発生以降ずっとボランティア募集の情報を見ていて「いつか行きたい」と思っていました。
今回ようやく現地に行けたのですが、実際に見渡してみると、泥かきや片付け作業など、やるべきことが本当に無限にあって、終わりが見えない状態でした。
現場では生活再建に欠かせない作業が山積しており、ひとりでも多くの手が必要でした。
皆さんが必死に作業しているのに、まだまだ手が届かない場所がある。
こんなに人手が足りていないんだ、という実感が強く残りました。
──現場に入ったことで、どのような課題や必要性を感じたのでしょうか。
直接的な労働力としてボランティアに参加することに加えて、私の場合は「発信する力」を生かすことも必要だと痛感しました。
現地の様子や今起きていることを、たとえ小さなことでも伝え続けることで、「私も何か手伝えるかも」と思ってくれる人が増えるかもしれない。
実際に足を運んだ者として「こんなに人手が足りない」とか「まだこの地域には手が回っていない」という情報をSNSやメディアなどで伝えていくことが私の役目なのかな、と感じました。
──地震発生当初から宮崎さんは「自分にできること」を模索されていたと聞きました。当時はどんなお気持ちでしたか。
地震が起きた直後は、正直とても心苦しい気持ちになりました。
「何かしなくちゃ」と思っても、まだ道路がつながっていなかったり馳・石川県知事の「今は来ないで」という発言があったりして、現地に向かうことがかえって混乱を招く可能性もありました。
自分にできることは何なのだろう、とすごく悩んだ時期でもあります。
私がパーソナリティーを務めるラジオ番組でも、震災直後は情報をどう伝えるべきか迷いもありました。
明るく話すことで不快にならないか。
もっと具体的な情報を伝えたほうがいいのか。
そのバランスに悩みました。
しかしあるとき、能登のリスナーの方から「あなたたちが楽しそうにしゃべっている声に元気をもらえた」というメッセージをいただいたんです。
その瞬間、私は少しでも日常の癒やしや元気を届けることができているんだと実感しました。
状況を見極めつつ石川の現状も折々で伝えていますが、楽しく元気になれる時間を提供しようと心がけています。
夏には一度現地に足を運び、住民の方の声に直接触れたことで「もっと力になれることがあるはず」と思いました。
そして今回、ようやくボランティアとして伺えたことで、より深く現場のことを知ることができました。
──石川のために何かをしたいという気持ちはいつごろから芽生えたのでしょうか。
Juice=Juiceで東京を拠点に活動しながらも、「石川のいいところをもっと知ってもらいたい」という思いが自然と高まっていったんです。
実は「いつかは石川県の観光大使になりたい」という思いを歌にしてもらったこともありました。
石川を訪れてみようと考える人が増えるきっかけをつくれるかもしれないと思いましたし、石川のために何かをやりたいと思ったときに、発信力があるとスムーズに動けることもあるかなと思ったので、とにかく自分が活躍することが次につながると考えていました。
──そもそも、アイドルを目指そうと思ったのは何がきっかけだったのでしょうか。
「モーニング娘。」の道重さゆみさんへの憧れでした。
「なんて可愛い人がいるんだ」と心を奪われて。石川ではアイドルのコンサートに行く機会がほとんどなかったこともあり、もっぱらブログを通して彼女の魅力に触れていましたが、道重さんが発信する独特のキャラクター性や、毎日欠かさず更新されるブログから伝わるまじめさに惹かれ、「こんな世界があるんだ」「この人がいる場所を見てみたい」と思ったのがアイドルを目指す最初の一歩でした。
そして高校2年生のときに、初めてハロー!プロジェクトのオーディションを受けました。
当初は「受からないだろうな」「だけどせっかくオーディションが開催されているのなら受けてみたい」という軽い気持ちで受けたのですが、2つのオーディションに続けて落ちたことで、強い悔しさが生まれました。
「自分は本当にアイドルになりたいんだ」と気づいたのは、そのときです。
そこからは当時の自分の強みだと思っていたピアノを必死で練習し、3回目のオーディションに挑む中で、本気でこの道に進もうと覚悟が固まっていきました。
──Juice=Juice結成後、皆さんは日本武道館公演という大きな目標に挑みました。当時、日本武道館を目指す決断はどのように下されたのですか。
2013年にデビューして、初めのうちは必死に目の前のステージや活動に食らいついていく日々で、大きな目標を掲げる余裕もありませんでした。
でも、2014年の年末ごろ、ハロー!プロジェクトの後輩グループも出てくる中で、自分たちの立ち位置や将来について大げんかをしながら話し合う時期が訪れました。
その時期は、正直みんなバラバラでした。
みんなやりたいことというか、目指してるものはいろいろあるんだけど、 同じ方向を向いてないというか。
「このままじゃダメだよね」ということで本音でぶつかり合って、 その中で「日本武道館でライブしたい」となって。
そこで、全国でライブをすることを決めました。
事務所から言われたのではなく、5人のメンバーで話し合って決めました。
私たちはアイドルだから、スキルアップはもちろん、いろんな人に愛されないといけない。
だから、 とにかくみんなに会いに行こうという活動でした。
1年4カ月かけてJuice=Juiceとして225公演、さらにその間、ハロー!プロジェクトのライブ出演で公演数を積み重ねていき、2016年11月7日、日本武道館のステージに立つことができました。
──Juice=Juiceで活動する中で、特に大変だと感じたことはどんなことですか。
歌やダンス、パフォーマンス面のプレッシャーはもちろん大きいのですが、私が特に大変だと感じたのは「グループの変化にどう向き合うか」という点でした。
その中でも、メンバー増員は大きな分岐点だったと思います。
当初5人で始まったJuice=Juiceは、ファンの方にも愛され、私自身もこの5人が大好きでした。
だけど、もっともっとこのグループが活躍するためには、 増員も一つの方法だと思いました。
5人で目指す未来もあったんですけど、 新しく仲間が増えた状態で見えるものも、すごく夢があると考えて。
最終的には5人でメンバーを増員することを決めました。
正直、戸惑いは大きかったです。
ファンの皆さんの中にも不安を感じる方は多かったし、オリジナルメンバーである私たちにも「この先どうなるんだろう」という気持ちがありました。
みんなの戸惑いを感じる中で、私にできることは「誰よりもJuice=Juiceを好きであること」だと決意しました。
私がグループで一番になれるものってなんだろうと思ったときに、 グループを一番好きでいることかなと思うようになって。
それまでも心から好きだったんですけど、 もっともっと私が大好きって思えるグループにしたいと思って、 メンバーを迎えるとき、とにかく誰よりも大きな愛で迎えようと決めました。
私たちの心の中に少しでも不安があったら、ファンの方は受け入れ態勢を整えることができません。
不安がってる既存メンバーがいたのも見ていたから、 私がまずは受け入れ態勢を整えようと思って。
とにかく新しいメンバー2人を愛でることから始めました。
7人での初めてのコンサートで、新メンバーの瑠々(段原瑠々さん)が歌い出しのフレーズを歌った瞬間の会場のどよめきは、今でも忘れません。
その瞬間、会場が揺れたんですよ。本当に。
そのとき、「新しいメンバーを受け入れてもらえた」と確信しました。
そのプレッシャーに打ち勝った瑠々もかっこいいと思いましたし、オリジナルメンバーの私たちは、いよいよ頑張らないとまずいぞと火をつけてもらった感じもあり、本当にいい2人が入ってきてくれたと思いました。
──それほどまでに大好きなグループを卒業するときは、どのような思いでしたか。
活動をする中で、つらくてやめたいと思ったことはないのですが、グループが成長していく中で「次に渡すタイミング」は大事だと思っていました。
もちろんメンバーもファンもみんな大好きだし、楽しいからずっといたい場所でもあったんですけど、 グループの成長を考えたときに、純粋に今がタイミングかなと思ったんです。
ちょうど1人新しいメンバーが入ってきたときでもあり、私がここでやめることで、また新たな可能性も広がるのではないかと。
それが24歳のときでした。
先のことは具体的には考えていませんでしたが、私自身、自分の育った石川県で何かもっとできる人になりたいという思いも強くなっていた時期でした。
変化を嫌う方もいるかもしれませんが、 逆に変化がないと、現状を維持することも難しいじゃないですか。
私は昔から、とにかく「Juice=Juiceファミリーの輪を広げたい」ってよく言ってたんですけど、そういう意味で、ファミリーの輪を広げていくには、同じメンバーでやるのもすごく大事なことだけど、 メンバーが増えて変化が起きることで、新たな面白いものをそれぞれに見つけてもらえると思ったんです。
──Juice=Juiceを卒業して5年。活動の幅を広げていますが、今後はどんなことを目指していますか。
私の姿を見て、後輩の子たちが自信を持って卒業できるようにしたいと思っています。
「卒業した後、すごく大変そう」と、 未来や夢がないと思ってほしくはないので。
自分のやりたいことはどんどんやっていって、 後輩が自信を持って卒業する日を迎えられるように私も頑張っていきたいと思ってます。
私自身は卒業してからすぐにコロナ禍になってしまったので、物理的に動けないことも多かったですが、以前からやっていた仕事を引き続きやらせていただいたり、ラジオで企業の方にインタビューをさせてもらったりと初めてのことも多く、 毎日刺激的に過ごしています。
今はグループの中にいる人ではないけれど、Juice=Juiceはずっと私が愛してきたグループです。
ファミリーの輪が広がって、ずっとずっと愛されるグループでいてほしいなって思うし、 私も見逃さずに追っていきたいなと思います。
被災地を視察する宮崎さんそして、Juice=Juiceを大好きだった気持ちと同じくらい、石川県、そして能登のことも心から大好きなんです。
被災された方の中には、今はまだ先が見えず、取り残されたような気持ちになってしまう方もいると思います。
けれど、アイドルとして活動していた頃から感じていたのは、本当に愛してくれている人ほど、意外と声を出さないことが多いということなんです。
だから、全国にはきっと能登のことをずっと心配して、何か力になりたいと思っている方がたくさんいるはずで、そうした思いを感じ取っていただけたら嬉しいなと思います。
そうした思いを行動へとつなげるきっかけになるよう、私自身も「また能登に行ってきたよ」と発信し続けていきたいんです。
そうすることで、「じゃあ私も一歩踏み出してみよう」という方が増えてくれるかもしれない。
私自身が足を運ぶことはもちろん、これからもとにかくたくさん発信して「能登が大好きなんだよ」という気持ちを伝え続けていけたらと思っています。
参照元∶Yahoo!ニュース