72種類の拷問 10万人が“行方不明” シリア「絶滅収容所」の生存者を独自取材 証言から浮かび上がった残虐な拷問の実態
「絶滅収容所」との異名を持つシリアのセイドナヤ政治犯刑務所。
アサド政権崩壊後、多くの収容者が解放されたが、この場所で“行方不明”となっている10万人の市民のほとんどは、命を落としている可能性が高いとされている。
私たちは、4年前から複数の生存者を独自取材。
証言から浮かび上がった残虐な拷問の実態とは…
アサド親子による、半世紀もの独裁政権のもと運営され、実態は闇に包まれていたセイドナヤ政治犯刑務所。
その詳細が今、少しずつ明らかになってきている。
人道支援団体「SSJ」山田一竹 代表「一言で言えば、もう本当に地上の地獄。刑務所というよりは、絶滅収容所です。入った時点で、ある意味死ぬ。拷問した後の遺体が記録されてきた数多くのファイルが存在する」
2013年に亡命したシリア人警察官、コードネーム=シーザーが秘密裏に持ち出したことで、「シーザー・ファイル」と呼ばれるようになった、極秘資料がある。
そこには、拷問の末殺害されたとみられる6786人の遺体の写真が含まれていた。
人権団体はこの資料を元に、ある報告書を作成しました。
報告書には、アサド政権による残虐な拷問の実態が克明に記されていた。
アサド政権下の刑務所で、いったい何が起きていたのか。
私たちは4年前から証言を集め始めた。
2022年7月、スペイン・マドリードのアトリエで絵を描く男性。
シリア人アーティストのナジャフさんは2011年、シリアの首都ダマスカスでデモに参加したことで、拘束された。
投獄された先で待っていたのは、壮絶な拷問だった。
拘束されていた ナジャフさん「電気ショックによる拷問が行われていた」
家族が全財産を金に換え、看守を買収したことで何とか救出されたナジャフさん。
凄惨な記憶をたどりながら、当時の様子を絵に描き起こし、証言活動を続けている。
拷問によって死亡した仲間を運ぶ役割もさせられた。
ナジャフさん「仲間の遺体を運ぶとき、遺体は大きく変形しているから、この人物が私の親戚の一人か、友人の一人かということを考えなくてはいけない」
なかでも壮絶だったのが、椅子を使った拷問だった。
ナジャフさん「拷問で亡くなった人たちの多くは、ドイツの椅子と呼ばれている拷問によって亡くなった。他にも頭を殴打したり首を折ったり。取調官が首を折るんです。この拷問は音はせず、椅子の下にいる誰かが窒息して、足が地面にぶつかる音だけが聞こえた」
人権団体が集めた証言によると、シリアの極秘刑務所で行われた拷問は、分かっているだけで実に72種類あったという。
報告書「拘束された多くの人は目がえぐりとられていた」「皮膚を焼いたあとに、野蛮な方法でその皮を剥がされた」「針やネジなどを鼻や唇、耳、背中、手や足の裏などいたるところに刺された」
今回解放されたセイドナヤ刑務所。
愛する家族や友人の姿を探す多くの人が集まりましたが、行方不明となっている10万人の市民のほとんどは、命を落としている可能性が高いとされている。
ナジャフさんのように生還できたのは、奇跡に近い。
多くのシリア難民が集うトルコ南部の町に住む老夫婦は、東部の町デリゾールで息子のオクバさんが逮捕された。
息子が逮捕 アリさん「(オクバは)仕事に行く途中に捕まったんだ。突然いなくなった。捜したけれど見つからなかった。警察なのか軍なのか。拘束されることはよくあるから、すぐに帰ってくると思っていた」
両親は、息子がいつか必ず帰ってくると待ち続けましたが、その時は訪れなかった。
オクバさんの幼い娘も、父が帰ってこない理由をどこかで理解しているのだという。
息子が逮捕 ヤスミーンさん「パパがいなくて嫌だから、穴を掘ってぬいぐるみを埋めたの。『パパが刑務所から出てきたら掘り出して遊ぶの』『ぬいぐるみが掘り出されないということは、パパは死んだということなの』と言っているわ」
両親は「遺体でもいいから返還してほしい」と政府に求めましたが返答はなく、アサド政権が崩壊したいま、息子が奇跡的に生きているのか、埋葬されているのかも分からない。
住んでいる街を明かさない条件で、取材に応じてくれたヌーラさんも幼い子供とともに拘束された。
子どもと拘束 ヌーラさん「私が検問所で拘束されたとき、息子は3歳でした。『鞄の中を出せ、なんだこれは、コーヒーを飲むのか』と聞かれました。何も悪いことはしていないのに。『誰から頼まれた、武装勢力に持っていくのか』と言われました」
ヌーラさんは自宅用に買ったコーヒーを、武装勢力に渡そうとした疑いで、突然拘束された。
「椅子に身体を打ち付けられ、後ろで手を縛られて何度も平手打ちをされました。あまりに痛くて叫び、涙が出てきました。そして部屋に戻されました。息子が私の姿を見て泣くのです」
――何をされた?
ヌーラさん「言えません。ムスリムの女性に対する罵倒です」
気丈に、笑顔で答えるヌーラさん。
しかし、性的暴行を受けた心は、深く傷ついていた。
解放されたあと、ヌーラさんは行方不明だった弟を探すため、人権団体に接触。
そこで見たシーザー・ファイルの一つの写真にくぎ付けになりました。
ヌーラさん「前歯は虫歯があり欠けていたのと目を見て分かりました。特徴的な歯でしたので間違いなく弟の顔です」
家族が拘束され、拷問の果てに変わり果てた姿で、遺体すらも戻ってこない。
これがアサド政権下での、シリア国民の日常となっていました。
人道支援団体「SSJ」山田一竹 代表「全ての破壊行為の責任を負うアサド元大統領が、訴追されて裁かれない限り、被害者やサバイバー、遺族の方たちの痛みや苦しみ・怒りというのは、消えません。なので、そういった意味でも正義の追求というのは、今後シリアでは最も重要な課題になると思います」
参照元:Yahoo!ニュース