92時間後に奇跡的救出の男児は今 「あの子がいたから生きてきた」祖父が振り返る“希望”と“悲しみ”抱え続けた日々

震災時の経験を振り返っている被災者

「この悲しみを一日も忘れたことはない」。

新潟県中越地震で長岡市妙見町の土砂崩れに巻き込まれ、娘の貴子さん=当時(39)=と孫娘の真優ちゃん=同(3)=を亡くした魚沼市の皆川敏雄さん(88)が、新潟日報社のインタビューに応じた。

地震では、もう一人の孫の男児(22)=当時(2)=が約92時間後に救助された。

「3人とも助からなかったら、今ごろ生きてはいない。あの子が俺の支えだ」。

希望と悲しみを胸に抱えてきた20年を振り返った。

あの日を鮮明に覚えている。

当時、ラーメン店を営んでいた敏雄さんは10月23日午前9時ごろ、忘れ物を取りに店から自宅に戻ってきた。

ちょうど貴子さんが真優ちゃんと男児を連れて、新潟市へ出かけようとしていた。

「真優は保育園に入って半年、お母さんと一緒ということで、それは本当にうれしそうだった」

しかし、その姿になぜか不安と寂しさを感じ、涙がこぼれた。

「気を付けて行ってこいよ」。

貴子さんと真優ちゃんに最後にかけた言葉だった。

午後5時56分、震度7の揺れが中越地方を襲った。

自宅に戻っても3人はいない。

翌日、翌々日、小千谷市の体育館や3人が通ったと思われる道で写真を見せながら、行方を尋ねて回った。

警察から3人が乗った車が妙見の崩落に巻き込まれたと伝えられたのは26日だった。

27日、現場に向かうと、救急車や重装備の工作車が何台も並んでいた。

余震も続く中、救出作業が始まった。

男児が救出された瞬間 を「言葉に表せられない。うれしいなんてものじゃなかった」と振り返る。

「あの子を助けてもらったおかげで希望を持たせてもらった」

敏雄さんは、妻のミハルさん(2022年死去)と2人で成長を見守ってきた。

「健康に、寂しさを感じさせないように」育ててきた。

自宅には、男児が子どもの頃に描いた絵など「かけがえのない宝」が飾られている。

そこに真優ちゃんの作品はなく、あるのはクレヨンで描いたふすまの落書き。

「真優の作品がないのが寂しいんです。もっといっぱい落書きをしてもらえばよかった」と声を落とす。

男児は3歳の時、ミハルさんに「僕も我慢しているから、ばあちゃんも泣かないで」と励まし、周囲を驚かせた。

貴子さんと真優ちゃんの話を嫌がる時期もあったが、いつしか「心配させたくない。安心させてあげたい」と思うようになっていった。

今春、東京の大学を卒業し、関東で就職した。

時々電話をしており、最近では「コメを送ってほしい」と話していたという。

敏雄さんは「家のことなど、教えたいことがいっぱいある」といい、いつか時間をかけて伝えるつもりだ。

今は「あの子が結婚するまでは元気でいたい」と思っている。

参照元:Yahoo!ニュース