「決して役者やめたわけじゃないんで」角野卓造「一過性脳虚血発作」で舞台降りて7年 役者魂今も

中学時代に舞台と出会い、劇団文学座の看板俳優だった角野卓造(76)は、69歳のときに演劇人生にピリオドを打った。
脳の血流が悪くなる「一過性脳虚血発作」という病が理由だ。
芸能界に入る原点との決別の際、何を思ったのか。
そこには生きてきた歩みがそうさせる独特の死生観も影響していた。
現在、規則正しい生活や検診で健康をキープ。
「決して役者をやめたわけではないんですよ」と舞台とは違う世界で演者としての闘志を燃やしている。
角野といえば、ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)で演じた中華料理店のマスター、小島勇。
最初に異変を感じたのは、同作の舞台版を上演中(2006年1月、明治座)でのことだった。
当時57歳。
「それほど重要な箇所でなく、暗転前のワンセンテンス。赤木(春恵)のママに『母ちゃん、〇〇だよ』というようなセリフ。ポンと出てこなかったんですよ、あれ?と思ってね」。
数分後には違和感は完全に消えた。
しかし若い時からセリフ覚えには自信があっただけに「どうしたんだろ?」と気になった。
そして翌年の札幌、その3年後にも東京の舞台で似た症状に襲われる。
それも重要なシーンでセリフが分からなくなることが起きた。
しかし、その後もしばらくすれば元に戻る。
頭に痛みも手足にしびれなどない。
検査で脳の血流が悪くなる「一過性脳虚血発作」と診断された。
「もともと血圧は高い。非日常的な劇中では緊張だけでなく、役のテンションを含め、普通の状態ではなくなる。舞台上で演じる行為そのものが、自分の体に思っていた以上にエネルギーを使い、相当な負荷をかけていたんでしょうね」
14歳で演劇に出会い、楽しさに目覚め、舞台を愛し続けた。
文学座の看板俳優の一人だった。
角野クラスの俳優なら、プロンプターを付けるなど、いくらでも乗りきる方法もある。
しかし、本人はそれをよしとはしなかった。
数年間考えた末、ラストは2017年の舞台にすると決めた。
「また起こるかもしれない、と不安を抱えてやるのが嫌なんです。心配しながらやんなきゃいけないでしょ?共演者はもちろんだけど、一番ご迷惑かけるのは、お客さん。芝居が始まれば集中してストーリーや物語の世界を構築してご覧になる。それが役者のセリフの違和感で一瞬で観客が素に戻る可能性がある。作品を全部壊しかねない。現実世界に戻るってことは夢をぶち壊してるわけだから。そんなのは絶対に嫌で。これはもう、舞台に立つべきでない、と思ったんです」
角野の妻は文学座の先輩女優で演技派で知られる倉野章子(77)。
家族と話し合ったりもしたのだろうか。
「これは俺が勝手に決めたこと。かみさんに相談して決めるのもおかしな話でしょ。『俺、もう舞台やめるわ』と。言ったのは、それだけでしたよ」
健康への考え方の転機は36年前。
「渡鬼」で夫婦を演じた泉ピン子(77)の言葉だった。
「卓ちゃん、もう40歳だから年に1回うちの旦那(医師)のとこで検査した方がいいんじゃない?私も年1回やってんのよ」と言われ、「『分かりました。うかがいます』と。[「最初のころはまだ胃カメラ飲むのも太くて、つらくてね」。
しかし、これが自分の体をより客観的に把握したいと思わせる。
角野を襲った「一過性脳虚血発作」は、脳梗塞(こうそく)の兆候のひとつなのだという。
幸い発症していない。
「うちは循環器が弱いんだけど、父親が脳梗塞で7年間寝てました。俺も何か来るかもしれないな、と覚悟していたところもありました」。
息子が芝居の世界に進むことに難色を示しつつ、陰では応援してくれていた。
父は75歳で逝く。
角野は今年76歳になった。
一方で角野には実は兄がいた
自宅分娩で亡くなる短い命だった。
母親(98)は医者の娘。
生まれたばかりの我が子を守れなかったことを、ひどく責めただろう。
叔父が働いた慶応病院で角野が生まれたのは、そんな背景がある。
兄と父。
人生の始まりと晩年。
いや応なしに命の尊さを考えるようになっていく。
18年には「ウォーキング中に胸を締め付けられる息苦しさを覚えて。もしもに備えて(舌下錠の心臓薬)ニトログリセリンをポケットに入れたりもしてたんだよね」。
狭心症だった。
放置すれば心筋梗塞を招きかねない。
手首からカテーテルを挿入し、「狭窄(きょうさく)の箇所に血管を広げる(金属性の医療器具)ステントを入れて。検査しながらその場で手術。全身麻酔じゃなかったから、意識のある中、30分で終わった。おかげで、いますごく楽ですよ」。
他に尿道結石、副腎の腫れの経過観察、副鼻腔炎の手術歴があるという。
いずれも大事に至る前に動いている。
「健康オタクというのかな。病院に行くのも検査も好き。自分の体をより数値を通して把握できる。はっきりして気持ちいい。結果が悪ければ次を考えられる。かたくなに病院嫌いの人もいるけど、もったいない。いまは採血と検尿だけで多くの病気が分かりますから」
そんな中で角野が改めて伝えたいのは、演じることを終えたわけではないということ。
万が一のときに撮り直しの効く映像分野では十分、仕事ができる。
「決して役者やめたわけじゃないんで、僕は」。
語気が強まった。
演者としての闘志は、いまも燃えたぎっている。
角野は、十数年前から自身を取り上げてくれているハリセンボン・近藤春菜(41)に感謝する。
顔が似ている縁で「角野卓造じゃねーよ!」のフレーズはおなじみ。
「春菜ちゃんが、ちゃんと名前を正確に連呼してくれたおかげで、読み方を間違えられなくなった」といい、「昔は芝居で巡業に行ってもカクノさん、スミノさんと言われて。彼女は僕にとっての恩人。他人のような気がしないね」と話した。
参照元∶Yahoo!ニュース