裏金は「飲食関係」に使った カネのかかる政治「今となっては何のため」、元国会議員が明かす実態

自民党総裁選(27日投開票)は、派閥の政治資金パーティー裏金事件で明るみに出た「政治とカネ」の問題にどう向き合うかが問われている。
大半の派閥が解散を決め、各候補は口々に政治改革を訴えるが、そもそもなぜ政治にカネがかかるのか。
「足りない時は自腹を切っていました。でも、今となっては何のために必死にカネを集めたのか、疑問も感じます」。
事件で人生が一変した、ある政治家を訪ねた。
9月上旬。激しい雨が路面を打ちつける中、4月に議員辞職した宮沢博行前副防衛相(49)が、選挙区内の静岡県森町を車で回っていた。
宮沢氏は支援者の一人である飲食店経営の女性宅を訪れ、深々と頭を下げた。
「すみません。しっかりやりますので、お客さんにもよろしくお伝えください」
裏金事件がクローズアップされていた2023年12月。
宮沢氏は「『しゃべるな、しゃべるな』、これですよ」と記者団に話し、安倍派(清和政策研究会)から裏金について口止めされたことを暴露して大きな話題を呼んだ。
一方で、自らの女性問題が週刊誌で報じられ、不祥事が重なったとして24年4月25日に議員辞職。自民党も離党した。
「4月28日に地元に帰ってきて、その翌日からおわび行脚を始めました」。
同県磐田市の事務所で取材に応じた宮沢氏は、落ち着いた様子で語った。
事務所内に自らのポスターはなく、外にある立て看板は真っ白だ。
「支援者からは『がっかりした』『何をやっているんだ』とおしかりの言葉をいただきます。ただ、『頑張れよ』といった励ましの言葉も多いですね」
辞職後、事務所に秘書は置かず、事務員が1人いるだけだ。
支援者の名簿を見て住所をカーナビに入れ、自らマニュアル車のハンドルを握る。
国会議員時代とは異なり、何でも一人でこなさなければならないが、「自分のペースで回れるので、これもいいものです」と意に介さない。
宮沢氏は、いわゆる「安倍チルドレン」の一人だ。
磐田市議を3期務めた後、12年12月の衆院選で静岡3区から出馬し、初当選した。
この選挙で自民は政権復帰し、安倍晋三元首相は「安倍1強」と呼ばれる長期政権を築いた。
宮沢氏は21年に小選挙区で敗れたものの、比例復活して4選を果たした。
23年9月には岸田文雄内閣で副防衛相に就任したが、その3カ月後、裏金事件を受けて辞任。
事実上の更迭だった。
安倍派では当選回数や役職に応じてパーティー券の販売ノルマを決め、ノルマを超えた分を議員側にキックバック(還流)していた。
関係者によると、宮沢氏に課された販売ノルマは多い年で60枚(1枚2万円)だったが、新型コロナウイルス禍の20~22年は各30枚(同)に下がった。
党の調査によると、その20~22年に計132万円の還流を受け、政治資金収支報告書に記載しない裏金になった。
裏金を何に使ったのか。そう問うと、宮沢氏は即答した。
「飲食関係です。収支報告書に載せない努力をしていました」
政治資金規正法では、国会議員が関係する政治団体は1万円を超える全ての支出を収支報告書に記載し、開示請求を受ければ領収書を提出しなければならない。
しかし、宮沢氏は他の議員や支持者との会合、秘書の情報収集などで使った飲食費が全てオープンになることに抵抗を感じていた。
「飲食費には公開してほしくないものもあるんで、なるべくポケットマネーでやるようにしていました。『政治資金でこれも落とすのか』との批判もあるし、収支報告書に載っているのは見栄えがよくないんで」と説明する。
宮沢氏は飲食費を別会計とするため、専用の銀行口座を開設。
自らの歳費(議員報酬)を入れてプールし、自分や秘書が使った場合は領収書を取って入出金を管理していた。
ただし、その使途を公開することはなかった。
派閥の裏金についても「キックバックはここにぶち込んでいました」と明かした。
一方で、辞職の引き金となった女性との交際費には裏金を「全く使っていない」と強調した。
国会議員は月129万4000円の歳費に加え、月100万円の調査研究広報滞在費(旧文書通信交通滞在費)も支給される。
さらに、党を通じた政党交付金もある。
それでも、やりくりは大変だという。
「一番は秘書の人件費です」と宮沢氏は言う。
現職当時、宮沢氏は公設秘書3人、私設秘書3人の計6人を雇っていた。
東京と地元の事務所の管理に加え、支援者の陳情への対応、選挙区内の市会議員との付き合い、支援者回りの際の運転など、秘書の仕事は多岐にわたるからだ。
公設秘書の給与は国費で賄われるが、私設秘書の給与は個人負担。
「1人雇えば年2回のボーナスを含めて年間500万円以上かかる。痛い出費です」
宮沢氏が支部長だった「自民党静岡県第3選挙区支部」の収支報告書(21年分)を見ると、確かに人件費として1850万円が計上されていた。
そのほかにも細かな出費が多い。
備品・消耗品費(計542万円)には車のガソリン代やコピー代のほか、自撮り棒(1万7930円)やポロシャツ(12万3000円)といった記述もある。
事務所費(計444万円)には家賃や電話代のほか、労務管理事務所への顧問報酬や求人広告代も含まれていた。
こうした出費を賄うため、宮沢氏が力を入れたのが寄付金集めとパーティー券の販売だ。
収支報告書には地元の建設会社や物流会社のほか、静岡県医師連盟、静岡県石油政治連盟など業界団体の寄付がずらりと並ぶ。
宮沢氏が代表を務める別の政治団体「宮柱会」の収支報告書(21年分)には、政治資金パーティーの収入として計820万円が記載されていた。
「派閥のパーティーはノルマだけ達成すればいいや、というつもりだったんで、政治資金を稼ぐのは自分のパーティーだと思っていました」と宮沢氏は明かす。
ただ、パーティー券の販売には苦労し、足りない分を自腹で埋めることもあったという。
支援者へのあいさつ回りに向かうため、住所を確認する宮沢博行前副防衛相。
議員バッジを失った今、収入は激減した。
「生活は厳しい。蓄えを崩して、年内持つかどうかです」と力なく笑った。
「カネのかかる政治」に苦しんできたのは宮沢氏だけではない。
自民党の桜田義孝元五輪担当相は23年12月、パーティー券の販売ノルマを理由に二階派を退会したと記者団に明かし、「私の場合は300枚だった。徒手空拳でここまで来たが、売るのが厳しかった」と語った。
別の議員は「資産家じゃなければ政治家になれないような世の中でいいのか」とぼやいた。
派閥ぐるみのカネ集めの果てに起きた裏金事件。
宮沢氏は今、「カネのかからない政治をやりたい」との思いが芽生えているという。
政治活動をするために秘書を雇っていたはずなのに、その秘書の人件費を捻出するために寄付金集めやパーティー券販売から離れられなくなっていた。
「本末転倒です」と宮沢氏は言う。
自民党は安倍派を中心に議員ら39人を処分し、このうち安倍派座長だった塩谷立元文部科学相と安倍派参院トップだった世耕弘成前参院幹事長は勧告を受けて離党した。
安倍派は解散を決め、総裁選でも候補者を出していない。
かつての最大派閥に、宮沢氏は何を思うのか。
「幹部がどこかで『(還流を)やめよう』と言っておけばこうはなりませんでした。安倍派は保守政治の柱だったと自負しているので、それが消えてしまったのは損失です」と振り返る。
宮沢氏はこれからも政治活動を続けるつもりだが、こう言い切った。
「もう自民党には帰りません。政治不信を払拭(ふっしょく)するには、自民党政治自体を変えないといけないんです」
参照元:Yahoo!ニュース