孤独死した91歳母、娘が語る美しい最期 “おひとり様シニア”の日常にSNS反響 「理想の逝き方」を考える

老後の不安を抱える お年寄り

“おひとり様シニア”の生き生きとした丁寧な暮らしをX(@hiroloosaki)で発信し、フォロワー数が20万を超える大崎博子さん(91)が7月23日、自宅のベッドでひっそりと息を引き取った。

そんな大崎さんの「逝き方」に対して「理想の旅立ち方」、「なんて美しい人生」と、SNSで多数の反響があった。

「人生100年時代」を迎えるなか、最後まで元気な姿を投稿し続けた大崎さんから「理想の最期」のヒントを探るべく、長女・ゆうこさんに話を伺った。

大崎さんが注目されるきっかけとなったのは、78歳から始めたXだ。

近所に住む友人との交流や、日課である公園での太極拳、趣味の麻雀を楽しむ様子、手料理の夕飯など、充実の毎日を発信していた。

91歳を迎えてもなお、日常生活に支障をきたす程の身体症状はなく、団地で1人暮らしをしていた大崎さん。

健康的な生活を送れることも理由としながら「人生で、今が一番幸せ」と語る。

そして迎えた亡くなる前日の夜、「今宵の晩酌の友です」の言葉とともに手料理5品の写真をXに投稿。

最後に「おやすみなさいませ」というツイートを残し、帰らぬ人となった。

訃報を受けた娘のゆうこさんは、自宅のあるロンドンから急遽帰国。

大崎さんの部屋を訪れたときのことを、ゆうこさんは次のように回顧します。

「Xに投稿されていた夕飯の手料理の残りは冷蔵庫にしまわれていました。部屋の中は掃除も整理整頓もされていて、きれいに保たれていました。」

ゆうこさんに、大崎さんが1人暮らしをすることになった経緯について教えてもらった。

「母は私が幼い頃に離婚し、以来ずっと母子2人で暮らしていました。私は23歳でロンドンに留学し、それをきっかけに現地で就職、結婚をしたため、母は、60代くらいからずっと1人暮らしをしていました。もともとは港区の団地に住んでいましたが、そこの取り壊しが決まって、練馬区の大きな公園のそばの団地に引っ越したんです。母が70歳くらいのときだったと思います。」

ゆうこさんの目に、晩年の大崎さんの姿はどのように映っていたのだろうか。

「たくさんのお友だちに囲まれて、元気に楽しく過ごしていました。同世代のお友だちはほとんど亡くなっていたので、20歳くらい年下のお友だちが多かったようです」

娘さんの言葉から、大崎さんの活発で積極的なお人柄が浮かび上がる。

「母はね、昔からとにかくなんでも一生懸命にやる人! 麻雀でも『楽しむ』というより『勝つ』ためにやるんです(笑)。興味のあることは、とにかくなんでも試してみて、ハマったものは、とことんやる。そういう人です。78歳の頃に、私のすすめで始めたXもそうですね。そこで、多くの方々と交流が広がっていくのも楽しいようでした。」

大崎さん親子は毎日のように連絡を取り合うのが習慣だった。

「母とはビデオ通話をするのが日課でした。ロンドンでは昼頃、日本では夜頃。母はその日にあったことやお友だちとのこと、大好きな韓国ドラマのことなど他愛もないことをたくさん話してくれました。」

離れた場所に住みながらも良好な親子関係を築いていた。

そんななか、ゆうこさんにとって母の訃報は予期せぬ出来事だった。

「『今日はめずらしく電話に出ないな、出かけているのかしら?』と思っていたところ、母の近所に住む友人から、私宛にLINEが届いたんです。何かあったときのために、ご近所さんや母の友人数名とLINEを交換していました。

連絡をくれたのは、お向かいのマンションに住む方で、日本時間の7月23日20時頃だ。

『今日は珍しくXに1度もツイートがないし、夜になっても部屋に灯りがつかないの。心配だから家を訪ねてもいい?』という内容だった。

母は団地の上の階に住む別のお友だちに合鍵を渡していたので、その方に鍵を開けてもらって、その後念のため警察が来て確認、という順序でした。」

お2人は自宅のなかで最期を迎えときのために、すぐに発見してもらい、家族に連絡がいくよう準備していた。

その他、「どのような形で最期を迎えるか」について親子で話し合っていたことがある。

「10年くらい前から『最期はこうして』と話をしてくれていました。母はエンディングノートを書いており、亡くなったときに必要な書類を全部揃えていたり、葬儀社から見積もりをとったりしていました。それらが置いてある場所やスマホのパスワードなどもすべて教えてもらっていました。ずいぶん前に遺影も撮っていましたし、自らすすんで『終活』をしていましたね。」

大崎さんの「終活」はXやXのフォロワーにも目が向けられていた。

「『亡くなったらXで報告してね』と言われていました。」

日本に帰国した日、ゆうこさんは母のXアカウントからツイート。

「博子の娘です。23日の夜に母が永眠いたしました。」と投稿した。

9月2日時点、そのツイートには約16万の「いいね」が送られている。

大崎さんの最期について、ゆうこさんの思いをお伺いした。

「まさに『ピンピンコロリ』という感じだったので、母らしい最期だったなと思います。でも遺された私としては、突然すぎて…『もっと感謝の気持ちを伝えたかった』『最後にきちんとお別れしたかった』という寂しい気持ちでいっぱいです。それに本当に理想的だったのかは、本人にしか分からないですよね。部屋のカレンダーに予定が書き込まれているのを見て、寂しい気持ちになりました。」

大崎博子さんのように、周囲から見て元気な状態で最期を迎えられる人はそう多くはない。

そんななか「納得した最期」を迎えるために、私たちは何ができるだろうか。

また、家族や友人、福祉はどのようなサポートができるのだろうか。

終末期の在宅診療に取り組む医療法人あい友会理事長、野末睦 医師(あい熊谷クリニック院長 兼任)は大崎さんの最期について、「すぐに発見されるように事前にいろいろ手配されており、とても素晴らしいことだ」と話す。

野末医師によると、大崎さんのように健康なまま最期を迎えられることは稀で、ほとんどの人がなんらかの心身疾患を患って亡くなっていくと言う。

近年は以前に比べて、本人が「納得した死」に向かって準備するということが社会的に尊重されるようになった。

「大崎さんのように、エンディングノートを残すのは良い。どのように最期を迎えたいのか、周囲にも伝えておくといいでしょう」

家族や友人ができることとして、「もし『もうだめだ』『もう終わりだ』と言われたら、『そんなこと言わないで』などとは決して言わず、『私はあなたと1秒でも長く話せるとうれしい』というように、思いを受けて会話を止めないであげてほしい」と強調する。

『逝く瞬間』は誰にも選べない。

だからこそ唯一選べる『生き方』が、納得した最期を迎えるために最も大切なのかもしれない。

参照元:Yahoo!ニュース