「アメ横」象徴だった鮮魚店が激減しカオスな街に 中国系が進出し400近い店舗の構成が大変貌

アメ横の商店街を撮影した写真

昭和から続く上野の人気スポットアメ横。

JR上野駅前からJR御徒町駅まで高架沿いに続く約500メートルの商店街だ。

5月中旬の平日、アメ横を訪ねてみると、そこには、戦後の闇市の時代から、昭和、平成を経て大きく変貌した令和のアメ横が存在していた。

御徒町駅の北口から交差点を渡るとすぐにアメ横の入り口だ。7

すでに駅構内からアジア系の訪日外国人客が多い。

商店街に入ると、すぐに土産物屋に人だかりができている。

近づいてみると北海道土産を格安で販売中だ。

賞味期限が迫っている「白い恋人」は50%オフ。

これらの商品をアジア系の観光客がまとめ買いしていく。

「北海道土産はとても人気。ここで買えば安いからいっぱい買います」

仲間と中国語で話をしていた若い女性客に声を掛けると、片言の日本語でこう答えてくれた。

近くのゴルフ専門店ではロストボールを1個55円から販売中だ。

10個1485円のコーナーには有名ブランドのきれいなボールが梱包されている。

月1ゴルファーには魅力的だ。

ドン・キホーテの入り口では浴衣(YUKATA)が6000円で販売中。甚平は4990円だ。

さらに進むと、今度は海鮮丼を提供する飲食店が見えてくる。

「おすすめ! 漬けサーモン丼¥600」「ウニ・イクラ・カニ丼¥1200」など、築地の場外より安い。

店内のカウンターから道に面したテーブル席まで外国人客で満席。

10人ほどの行列ができている。

脇道にそれると摩利支天徳大寺があった。

開創400年という由緒ある寺で、「厄を除き、福を招き、運を開く」開運勝利の守護神が祭られている。

アジア系男性2人に続いて参拝した。

再びアメ横の通りに戻る。

今や貴重となったジャパニーズ・ウイスキーを飲ませる「YAKITORI BAR」があるかと思えば、続いてはおいしそうな鶏の丸焼きが並ぶ中国料理店。

そして「三陸の海の幸」を肴に日本酒を楽しめる立ち飲み屋「魚草」には十数人の客が群がっている。

この店だけは日本人客が多い感じだ。

アメ横歩きを楽しんでいるのは訪日外国人客や日本人の飲み客だけではない。

セーラー服姿の女子高生が席を“占領”している店があった。

「手作り チーズハットグ」の横断幕が掛かっている。

韓流の新感覚屋台フードで、ソーセージ、チーズ、ポテトソーセージなど5種類。

スムージーも人気のようだ。

店内は10人ほどの女子高生でいっぱい。

大久保のコリアンタウンを彷彿させる光景だ。

女性が集まる店はまだあった。

青果店がやっているスイーツのコーナーだ。

串が刺さったりんご飴、いちご飴が彼女たちのお目当て。

100%フルーツ果汁を使ったイチゴミルク、マンゴミルク、メロンミルクなども人気だ。

ひと通り歩き、ちょっと疲れたので気になっていた台湾スイーツの店「黒工号」に立ち寄り、台湾名物「嫩仙草」(のんせんそう)を試してみた。

紫蘇科の薬草「仙草」を乾燥させて煮詰めたゼリーで、中医学では生薬としても利用されているという。

イモボール、黒米、ミニイモエンが入った「黒工1号」(880円)を食す。

ほろ苦さとほんのりさわやかな風味。

カラダに良さそうな気がしてくるから不思議だ。

アメ横には400近い店舗が軒を連ねているが、最近、目立ってきているのは多国籍化した飲食店だ。

ここ数年の変貌ぶりについて、この地で33年間革商品店「アルバカーキ」を経営しているアメ横商店街連合会副会長(広報担当)の千葉速人さんに話を聞いた。

「もともとアメ横には飲食店はほぼなかったんですよ。それが10年ほど前にケバブの店ができてから流れが変わり、5、6年前から急速に飲食店が増えましたね。コロナ禍と後継者難で店をたたんだ後には、中国系の人たちがどんどん入ってきていますね。逆に鮮魚店はずいぶん姿を消しました。かつては路面店200軒のうち40軒近くが鮮魚店と乾物屋でしたが、鮮魚店は今では数えるほどですよ」(千葉さん)

平日は数万人、年末になると数十万人が押し掛けると言われているが、最近はどうなのか。

「近頃は7割が外国人ですよ。今日は平日だからまだ少ないけど、土日は通りを歩くのも大変なほどの活況ぶりです。立ち飲み、食べ歩きが目立ちますね。ただ、もっと物販の店にも目を向けてほしいですね。アメ横は百貨店を平面に倒したような商店街で、車以外は何でも売っている商店街ということをもっと知っていただきたい。掘り出し物、宝物探しの感覚で楽しんでほしい。歴史ある店を巡り対面販売ならではの会話を楽しむ。そんなアメ横文化に浸っていただきたいですね」(同)

アメ横の歴史は古い。

敗戦後、焼け野原となった一帯で誕生した闇市がルーツ。

多くの闇市は的屋が仕切っていたが、アメ横は満州からの復員兵400人が共同体、連合会を形成して出店を統制したという。

上野側は飴玉を売る店が多かったことから「飴屋横丁」、御徒町側はアメリカの舶来品が多かったことから「アメリカ横丁」と呼ばれ、いつしか「アメ横」と呼ばれるようになったという。

時の流れとともに街の景色も移ろい、その姿を変えていく。

アメ横も例外ではない。

このまま多国籍化、カオス化が進んでしまうのだろうか。

そんなことを考えていたら、千葉さんが最近の新しい潮流についてヒントになるかもしれないと、こんな話をしてくれた。

「連合会の事務局も入っているアメ横プラザが、このほど初めて新規テナント出店を公募したんですよ。短期のイベント利用、期間貸しにも対応するということをホームページ上に記して、連絡先を表示しました。そうしたら、数十件の問い合わせがありました。若い方も多かったですね。今後、若い人たちがさまざまな仕掛けの場としてアメ横を活用して、新たな文化発信の場となっていく可能性を感じています」(同)

中国、台湾などアジア系の飲食系ショップが乱立するカオスな飲食店街となっていくのか、はたまた若手アーティストが新たなアメ横文化を創造していくのかーー。アメ横の今後の変貌に注目していきたい。

参照元:Yahoo!ニュース